2017年3月30日木曜日

竹富島に残る沖縄の原風景 - 赤瓦の屋根 -




 竹富島に残る沖縄の原風景、今回でひとまず終わります。ラストは、赤瓦の屋根です。

 竹富島の憲章の「美しい島を守る」の項目の中で、建物は伝統的な様式を踏襲し屋根は赤瓦を使用する、とされています。



  伝統様式の建物とは、平屋であるとか、間口は南向きだとか、間取りについてもルールがあるようですが、外から見て目立つのは何と言っても、赤い瓦の屋根。


 
 赤瓦は、平な女瓦と丸い男瓦とからなり、瓦を葺く際には、まず女瓦を並べて、その左右の継ぎ目を覆うように男瓦を被せ、台風にも耐えられるよう、瓦どうしの隙間を漆喰で塗り固めます。
 赤いのは、耐熱性に優れているからだそうで、漆喰は元々は白っぽい色ですが、すぐに変色して黒っぽくなります。



 新築中のお宅にも、屋根に赤瓦が敷かれます。漆喰がまだ白く、瓦も焼けていないため、とても綺麗です。


 以前は、沖縄でも藁葺きの屋根でした。
 昔は、王府や役所以外では、瓦屋根は禁止されていて、民家に瓦が敷かれるようになったのは、明治時代中期以降のこと。

 今、竹富島に残っている藁葺き屋根の建物は、多分これ1軒だけだと思います。民宿新田荘の建物です。


 赤瓦の屋根とは切っても切れないシーサー。
 屋根の上のシーサーは、特別に発注するのではなく、瓦を葺く瓦職人が、残った瓦と漆喰で造る物です。 




 赤瓦の屋根と石垣、花や木に囲まれた白砂の道を観光客が行く。これぞ竹富島、これぞ沖縄、という光景。
 でも、竹富島を除いては、こうした場所を探すのは大変です。

 基幹島である石垣島から一番近い離島であり、年間50万人もの観光客が押し寄せる竹富島。
 当たり前のようにあるこの光景を守るため、島人は、よそ者には俄に理解できないほどの情熱を注いでいます。
 



2017年3月25日土曜日

竹富島に残る沖縄の原風景 - グック(石垣) -




 竹富島に残る沖縄の原風景、前回の白砂の道に続き、今回は、石積みの塀。竹富島では、グックと言うそうです。
 


 竹富島の集落に入ると、何処にでも当たり前のように存在する、グック=石垣。

 竹富島憲章の「美しい島を守る」の中には、屋敷囲いはサンゴ石灰岩による野面積みとする、という項目があります。

 野面(のづら)積みとは、石を成形せずにそのまま積み上げるもので、モルタルなどを練り込むこともしません。
 凸凹していて、また、衝撃に弱い反面、水はけが良く、隙間が風の力を和らげるため、台風にも強いのだとか。



 竹富島は、黒島などと同じ隆起珊瑚礁の島。 
 つまり、元は珊瑚礁だった場所が、地殻変動で海面が上昇し、陸地になった場所。なので、地面を掘れば、出てくるのは珊瑚礁由来の石灰岩なのです。

 グックは、黒っぽいグレーをしていますが、サンゴ石灰岩なので、元々は砂と同じ白っぽいベージュ色。それが、風雨にさらされて、あっという間に黒くなってしまいます。

 これは、グックの一部を取り壊した所。内側の色は明らかに違います。


 家の門。その奥にもう一段、グックが築かれています。
 これは、ひんぷんと呼ばれる物。「屏風」が語源だそうですが、竹富島では、まえやしと呼ぶそうです。
 目隠し、兼、風除けです。
 


 おっ、保護色?
 「起こすんじゃねーよ。」


 グックの周りに植えられている屋敷林。ふくぎという木です。
 葉がビッシリと密生するため、防風林・防潮林となり、しかも、幹が堅く葉が多いため、火事の延焼防止にも役立ちます。
 葉っぱが小判の形をしていることからも、「福木」として大事にされてきました。



 この野面積みの石垣も、竹富島以外ではあまり見かけなくなっています。衝撃に弱く壊れやすいという難点があるほか、隙間にハブが入り込むからだそうです。

 グックも、白砂の道も、そして伝統的な家屋も、沖縄の強い日差しに映え、観光客の目を楽しませてくれますが、これが、島人の普通の生活の中に存在しているから凄いですよね。



2017年3月21日火曜日

竹富島に残る沖縄の原風景 - 白砂の道 -




 外周わずか約9㎞。人口300人強。それにもかかわらず、年間50万人超の観光客が押し寄せる竹富島。

 竹富島の集落内の道路は、すべて、アスファルトではなく砂の道。海岸から運ばれた、珊瑚礁由来の白砂の道なのです。


 かつて沖縄の何処にでもあったとされる白砂の道。

 わざわざ砂を撒く理由については、諸説あるようですが、神事に関するもののほか、夜、真っ暗な中でも徘徊するハブを見つけやすいからだといういう説があります。

 竹富島に残されている、沖縄の原風景を求めて、一年を通して大勢の観光客がやって来ます。



 竹富島憲章というものがあります。昭和62年、「竹富島住民の総意に基づきこの憲章を制定する。」とあります。
 「美しい島、誇るべきふるさとを活力あるものとして後世へと引き継いでいくため」に島民は、自らに様々な制約を課しています。

 その竹富島の憲章の「美しい島を守る」の項目の中に、建物は伝統的な様式を踏襲し屋根は赤瓦を使用する、屋敷囲いはサンゴ石灰岩による野面積みとする、などと共に、道路、各家庭には、年二回海砂を散布する、ということが定められています。
 白砂の道は、竹富島憲章によって保全されている伝統文化であって、単なる観光資源ではありません。



 早朝、道を箒で掃きます。ゴミ一つ落ちていないように。


 ただ、掃くだけではなく、綺麗に掃け目を付けて行きます。
 この掃け目こそが竹富島憲章の精神だ、と言う人もいます。


 「街灯なんかなかった頃、満月の夜に月明かりに照らされて青白く光る道が、竹富島の原風景のような気がする。そういう写真が撮れないか。」

 7~8年前、初めて竹富島に泊まったときに、宿のオーナーから言われた言葉です。
 今、竹富島の集落内の道には、ほとんど街灯があって、白砂の道も人口灯に照らされます。
 月夜の晩、オリオンビールの酔い心地と共に、街灯のない場所を探し歩いて三脚を構えますが、これがなかなか難しい。



 砂の色は、正確には白でなくベージュに近い色。しかし、沖縄の強い日差しの下では、まさに白そのもの。目に眩しく映ります。


 道路の営繕は、普通、役所の委託を受けた業者が行いますが、ここでは、自分たちで海岸に行き、軽トラで砂を運び、小型のユンボでならし、最後は箒で掃くのです。

 そうして出来た道を、観光客の自転車も、水牛車も、島人の生活車両も、毎日普通に通過して行きます。