2019年8月3日土曜日

ブログ7周年記念 沖縄の夕日・夕焼けの写真10選


名蔵湾/石垣島


 本日でブログ7周年、そして、これが598本目の記事になります。

 7周年記念企画は、これまで撮った、沖縄の夕日・夕焼け・夕景の写真10選です。



川満漁港/宮古島

 冒頭の写真と共に、マングローブに沈む夕日2選です。
 海中に木が生えていて、その向こうに日が沈むという情景に憧れ、色々な場所で何度もチャレンジした、これぞ沖縄という写真です。



前浜/宮古島

 太陽とヨットの帆が何とか重ならないものかと、ヨットの動きに右往左往しながらも海岸を走り回って、やっと1枚だけ撮れた貴重な写真です。
 薄い雲が適度に太陽に被さり、綺麗な夕日を見せてくれました。



ふるさと海浜公園/多良間島

 凄いシャッターチャンスというほどでもありませんが、そこそこ南国らしさの感じられる写真かなと思います。
 実は、先日行った多良間島で、台風をかいくぐって撮った1枚なので、今現在、自分にとって印象的な写真なのです。当ブログ初掲載です。



伊良部大橋/宮古島~伊良部島

 伊良部大橋の宮古島側の付け根付近では、春分と秋分の頃、橋の真向かいに日が沈むというドラマチックな光景が広がります。
 


観音崎/石垣島

 雲で上半分がカットされ、しかも水平線で海に滲んでいるかのような太陽と、縁から光が染み出した美しい雲の組み合わせ。
 自然が創った偶然の傑作と、たまたまそこに居合わせた幸運な自分。この写真だけは、もう二度と撮ることは出来ないでしょう。




 夕日の写真は、本当に計算ができません。晴れている日でも、西の方に低い雲があって、夕日を見ることができなかった、などというのは日常茶飯事。

 夕焼けといえるような、綺麗に焼けてくれる雲が、日没前後に都合よくあるかどうかも全くの偶然です。

 日没寸前の太陽は、薄い雲や水蒸気にほどよく覆われていれば、赤く丸く見えますが、雲が厚いとその姿を見ることができず、逆に雲がないと、「ギンギンギラギラ夕日が沈む」感じになります。

 とにかく、カメラを持って出かけてみるしかありません。何があるのかないのか、行ってみるまで分かりませんが、その分、予期せぬ絶景が広がっていることもあります。

 


西桟橋/竹富島

 竹富島に3泊もしたのに、連日雨続きというアンラッキーな旅でしたが、最終日の夕方になって、申し訳程度に顔を出した赤い太陽を捉えることができました。



与那覇湾の空/宮古島

 夕焼けは西の空に決まっているだろ、といわれそうですが、必ずしもそうとは限らないところが、また面白いところです。
 左下に輝くのは、のぼり来る満月。この日は何故か、東側の雲が綺麗に焼けていました。希にこんなこともあるので、油断なりません。




ゲストハウスパナパナのテラス/小浜島

 この写真にタイトルをつけるとしたら、「影絵」です。夕日を眺めながらの飲み会の最中だったのですが、こう見ると、まるでお伽の世界です。
 
 



 ありがとうございます。7年もブログを続けることができました。ずっと同じネタですが、飽きずに読んでいただいたおかげです。

 7周年記念として、これまで当ブログでご紹介した夕日・夕焼け・夕景の写真を厳選して並べてみました。
 7周年なので、ベスト7でよかったのですが、つい、あれもこれもと欲張ってしまい、結局10選になってしまいました。

 夕日の写真は、一期一会ならぬ「一期一絵」。撮った時のことを1枚1枚思い出しつつ、アレにしようかコレにしようかと迷いながら、楽しく作業ができました。

 次回からまた、宮古・八重山の写真と情報と無駄話を発信していきます。懲りずにお付き合いいただければ幸いです。


 

前浜/宮古島

 夕日を見に来ていたカップルから、シャッターを押して欲しいとスマホを手渡されましたが、スマホのカメラでは、この露出が決められません。
 自分の一眼レフで撮ったのですが、生憎、夕食直前にふらっとカメラだけ持って撮りに行っていたので、自分のアドレス伝えることができませんでした。いい感じで撮れているので、何とか渡したかった1枚です。




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2019年8月1日木曜日

港の海がいきなり美しい 竹富島東港




 綺麗な海が見たいと思って沖縄離島に行くと、港に着いた途端、いきなり綺麗な海がありました。

 「港の海がいきなり美しい」シリーズは、当ブログで何度か記事にしていますが、竹富島東港も、もちろん例外ではありません。

 


 竹富島には、港は一つしかありませんが、敢えて「東港」と呼ぶのは、西桟橋と区別するためです。

 昔の竹富島では、石垣島に行くには東桟橋、西表島に行くには西桟橋と、分かれていたようです。

 東桟橋=東港は、本土復帰と同時に、沖縄県管理の港に指定されました。沖縄県のホームページを見ると、当時は防波堤もなく、ただ1本の桟橋があるだけでした。


 こちらは、現在の西桟橋です。桟橋としては、もはや利用されていません。




 黒島航路の船から見た竹富島。左の方に小さく見えるのが東港です。周辺は、青く深い海です。




 観光を終えて、竹富港に戻る途中の道で、ちらっと海が見える場所があります。このちら見えの海がまた何ともいい感じです。 



 竹富島といえば、伝統集落にコンドイ浜ですが、それ以外にも素敵な場所が点在します。
 東港もその一つで、写真を撮りながら周辺を歩いていると、あっという間に時間が過ぎてしまいます。


 でも、竹富島にやって来た人のほとんどは、港は素通りです。帰りに桟橋で船を待っているときにやっとこの美しさに気が付くのか、スマホ撮りをしている人がかなりいます。

 30分後に次の船が来るんだから、少しここでゆっくりしていったら、なんて余計なお世話ですかね。笑





 竹富島も色々お騒がせな状況ですが、それでも、素敵な港の海が出迎えてくれることは、以前と変わりません。


 竹富島には、他には漁港もなく、ここが現在では唯一の港です。
 飛行場は無いので、竹富島にやって来る人も物資も、100%ここを通過する、文字通りの要衝なのです。





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2019年7月28日日曜日

宮古島の謎の神事 スマフサラ(島腐らし)




 ぶら下がっているのは、なんと豚の骨。
 その下を、何事もなかったように車が通過します。


 東洋一のビーチと言われる宮古島の前浜。
 その前浜がある、与那覇地区で、まだ台風5号の強風が治まり切らない7月19日、スマフサラが行われました。

 スマフサラは、豚の骨を道路に吊して、集落内へ疫病や悪霊が進入するのを防ぐという神事です。
 



 当日朝 、地区の役員、長老達が公民館に参集し、準備が始まります。

 用意された豚が、定められた手順どおりに解体され・・・

 あれっ?始まったのは、何故か料理。


 煮えたぎった大鍋に、豚骨が豪快にぶち込まれます。豚骨スープ、とは言わず、ワープニ汁と呼びます。ワープニとは豚の骨のこと。 

 豚骨だけではなく、顔(チラガー)も、豚足(テビチ)も、肉を取り除いたすべての部位が鍋の中に。





 こちらは、豚肉の血イリチー。豚肉と豚の血の炒め物。

 豚の血には、ミネラルが豊富に含まれています。沖縄の伝統料理ですが、グロテスクなためか、最近は、作られることが少ないそうです。

 一切れ味見させてもらった、焼きたての血イリチーは、結構旨かったのですが。





 
 料理が終わり、昼過ぎがら、豚の骨の吊るし作業が始まります。

 与那覇の集落のうち「結界」とされる14箇所に、順次柱を立て、豚の骨を吊す作業を行います。



 豚の骨を結んだ縄を、ギンネムの木の枝を支柱にして吊します。そういうしきたりだそうです。

 ですが、よく見ていると、片側がギンネムの木であれば、もう一方は何でもいいみたい。電柱でも、そのほかの木でも、使えるものは使っています。




 縄を結ぶ手捌きが、お見事としかいいようがない。本業は海人?



 一通り作業が終わると次の結界へ。こうして14箇所を回って行きます。

 与那覇地区の結界は、他地区との境界とか、海に続く道にあります。ですが、集落内にも結界があり、きっとそれなりの理由があるのでしょうが、よそ者にはよく分かりません。


 こうして、3時間近くかけて、無事、スマフサラが終わりました。次に何が始まるかというと、当然打ち上げです。(^_^;)





 今回初めて、スマフサラという神事(儀礼)を知ったのですが、調べてみたら、本島北部から西表島まで、沖縄各地で行われているのですね。


 スマフサラという呼び名は、地区により、スマフサラシ、スマクサラシ、シマクサラシなど微妙に違いがあり、村落の端を意味するシマヌクサーラという言葉から派生したものと考えられています。
 シマクサラシを、漢字で、「島腐らし」と書くこともあるようです。


 村への災厄の侵入を防ぐことを主眼とした村落レベルの儀礼で、動物の骨を挟んだ縄が村の入口に張り渡されるというのが基本パターン。

 この場合、村といっても、地区、集落といった単位です。


 
 発祥がいつなのか、よく分かっておらず、歴史がある分、バラエティに富んでおり、地区によって、骨は、豚、牛、羊、鶏であったり、骨ではなく、米、餅、塩、料理などであるところも少なくないようです。

 時期も、1月から12月のすべての月で行われており、年に1回とも限らず、6年に1回の地区から、1日置きの地区まで。

 さらに、骨などを吊したり置いたりして終わりの地区と、ツカサによる祈りもある地区があって、全部を組み合わせると、200~300とおりにもなるそうです。


 

 




 スマフサラのもう一つ儀礼は、肉を食べること。

 肉を食べると、流行病を払う力が身につくといい、災厄を払うために結界にぶら下げた骨と同じ物を体内に取り入れることで、個人レベルでも防災の力を獲得することができると考えらているとか。

 豚を解体して、吊す前に料理していたのは、集落の人達に食べてもらうためでした。



 昔の島人にとって、豚肉は貴重品。祝い事の時に1頭潰して、ご近所にお裾分けをする習わしだったようです。

 スマフサラで配られる豚肉は、きっと大変なご馳走だったのでしょう。そんな、貴重な豚を余さず活用するための料理が、ワープニ汁と血イリチーなのかも知れません。


 
 翌朝、民宿の朝食でお裾分けされたワープニ汁。食べ慣れたとんこつラーメンのスープと比べれば、異次元の濃厚さでしたが、これで煮込んだ蕪は、超旨かったぁ!





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