2024年4月26日金曜日

少しでも安く沖縄に!安売り航空券との格闘20年

  


 諸物価高騰のため、とか何とかで、ホテル代も飲食代も高くなりました。レンタカーは、別の理由で一時期べらぼうに値段が上がったし。
 沖縄旅行も金がかかるようになりました。

 でもそんな中、航空券だけは安く買えるのです。


 沖縄離島に通い始めて20年余。今までは、リーズナブルに沖縄旅行をするには、いかに安く航空券を入手できるかが鍵とばかり、安売り航空券を求めて格闘して来たのです。




 かつて、「超割」というのがありました。期間限定で、航空運賃が一律1万円になるというものでした。

 発売期間は3日間くらい。みんな虎視眈々と狙いを定めます。ところが、発売開始の瞬間、既にネットが繋がらない。繋がった時には、沖縄路線は全滅。

 しかし、販売期間終了間近になると、取り敢えず予約した人のキャンセルが出るのです。沖縄好き同士で情報交換をしながら、パソコンに張り付いていました。


 当時、各地から宮古空港・石垣空港に直行する便は僅かしかありませんでしたから、狙うのは那覇行きです。

 それが1万円で買えれば、那覇で乗り継いで、トータル片道1万7千円位でした。


 自分はあの頃、宮古・石垣に行くための航空券は、往復5万円なら仕方がない、4万5千円を切ればラッキーくらいの感覚だったので、片道でも超割が取れればかなり楽になります。

 今から考えれば、そんなに安くはありませんでした。

 


 超割以外には、21日前までの早割とかネット割、後は、時間帯によって、例えば午後に沖縄に行く便の値段が安く設定されていたケースもあったのですが、そんなには安くはなりませんでした。


 その後28日前、55日前、75日前と早期割引きが拡大され、航空券は早く買えば安くなるというのが定着しました。
 
 同じサービスなのに、早く買うだけでこんなに値段が違うものはちょっとほかに思い浮かびません。

 よく考えたら不思議なことですが、これを利用しない手はないので、2月頃になると、早くも夏の予定を立てなきゃ、となるのです。


 早期割引き制度の名前は、J社とA社で異なり、前売・特割、特売・早特・先特・旅割と色々変わり、最近では、セイバーとかバリューというカタカナ名称になっています。

 思い白いことにA社が変えれば、J社も変える、あるいはその逆で、何でこんなところで競うんだか。

 
 また、Sマークが宮古・石垣に就航した時は、J社・A社も割引額を拡大し、仁義なき戦いが繰り広げられていたのも懐かしい思い出です。




 コロナ禍の2021年、夏休みを控えてA社がビックリの安値を発表します。羽田から宮古・石垣の直行便が1万円を切っていました。

 さすがに、この年は特別だろうと思いましたが、翌2022年も、夏以降これに近い割引き運賃が発表されました。


 2023年、コロナの5類移行で安売りもこれまでかと思いきや、逆に航空会社が仕掛けます。

 A社は、マイレージ会員向けに、どの区間も一律7千円(土休日は1万円)、J社は誰でも一律6,600円というイベントを発表します。

 J社に関しては、予約が殺到してサーバがダウンしたのはご存じかと思いますが、その後、短期間に少しづつ小出しにして、乗り切りました。




 2024年もこの流れが続いており、「タイムセール」の通知が次々とやって来ます。

 実は自分、今年6月後半、宮古・羽田間のA社便が11,370円(行きの分は買えなかったのでもっと高かったのですが。)で、7月中旬の羽田・石垣間が、行きJ便社15,770円、帰りのA社便13,170円で予約出来ているのです。


 超割を買うためにパソコンに張り付いていたあの頃よりも安い。他の物価が上がり、消費税も高くなっているのにです。

 しかも、安売りでも意外と空席があるのです。超割時代のように1席の空席を求めて、全集中の呼吸でディスプレーを見詰めている必要もありません。

 
 ただ、こうした格安販売は、あるのかないのか事前にはっきりせず、あっても何時あるのか分かりません。
 特に今年の場合、事前の予告期間が短く、突然に始まる安売り期間中に即断即決しなければならないという欠点もあります。


 大体この時期に行くと決めて、場合によっては宿を先に予約しておいて、勝負の時を待つみたいな。笑




 さすがにお盆やGW期間にこのような安売りはありませんが、それにしても何で航空券はこんなに安く買えるようになっちゃったのでしょうか。

 航空燃料も爆上がりしているはずなのに。


 どんなに安く買っても、普通席であればサービスは同じ。色々問題もある空港での扱いも、航空券の値段による差はありません。

 しかも、こんな値段でもマイルがしっかり貯まります。東海道新幹線では有料の車内販売すら廃止されたというのに、機内では、無料のドリンクサービスもあります。

 これで、航空会社が黒字なら大変結構なことです。


 ただ、航空運賃は、結局のところ不透明です。情報弱者に優しい制度ではありません。散々恩恵に与りながらも、本当にこれでいいのかと思うときもあります。


 もっとも、制度は何の前触れもなく変わります。来年になったら、「航空券がバカ高くなった」なんて記事を書く羽目になっているかも。



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2024年4月21日日曜日

今さら宮古島で水不足の危機と言われても

 


 「宮古島では、ホテル建設のため今後水不足が懸念される」って、そんなの始めから分かってたじゃん!

 と突っこみたくなる話ですが、4月16日、琉球銀行の調査部門であるりゅうぎん総合研究所が、「宮古島市の観光と水問題に関して」という調査リポートを発表し、話題になっています。


 内容は、宮古毎日新聞の要約によれば、

 「リゾート開発が進む宮古島市内で、ホテル建設に伴う水需要の増加が市の想定を超え、水不足に陥る懸念がある。」「ホテル建設を計画する事業者側の希望給水量に、市が応じられないケースがすでに出ており、今後の大規模開発に影響が出る可能性があると指摘している。」

ということだそうです。

  琉球朝日放送の配信記事では、もっと過激に、「宮古では今後リゾート開発は不可能と分析」という見出しを付けています。

 
 これ以上の開発が不可能ということになれば、宮古島の自然にとってはむしろ結構なことですが、本当にそれだけですむのでしょうか。


(沖縄タイムスプラスから)


 ご存じのとおり、近年宮古島や伊良部島では、ホテルの建設ラッシュで、それに伴って水道水の需要も急増しています。

 リポートによれば、2022年12月末時点の、宮古島市内のホテルの客室数は、約6000室で、10年前の2倍になっています。
 しかも、これには、2023年開業のヒルトン300余室は含まれていません。

 各部屋毎にプール付き、広いジャグジー付き、なんていうゴージャスなホテルも次々オープンしています。
 


 川のない宮古島では、水道水源を地下水に頼っています。

 宮古島の地質(多孔質の琉球石灰岩)は雨が浸透しやすく、それが豊富な地下水脈を形成します。

 それでも、降った雨は、蒸発したり、海に流れ込んだりするため、約40%ほどしか地下水になりません。

 その40%をいかに無駄なく活用するかが、宮古島市の水道事業のすべてです。


 それ以外の方法はありません。川にダムを造って湛水したり、上流に保水力のある森林を整備することもできません。

 宮古島には、貯水池はあるものの、湛水能力はダムとは比べものになりません。つまり、雨期に水を貯めて乾期にそれ使うことは難しいのです。


 市の「第4次宮古島市地下水利用基本計画」では、2028年度に観光客が200万人を超えても、水道水の供給が可能だとしています。

 これを信頼するとしても、特別な場合、例えば台風通過直後で、清掃や洗車のため大量の水を消費する、なんていう事態が発生したときどうなるかは分かりません。


 昨年は、上半期に少雨が続き、7月4日に節水が呼びかけられました。

 8月になって、例年の1.7倍ほどの雨がまとまって降ったため事なきを得ましたが、これが反対に、8月以降に少雨が続いたら、夏シーズンを乗り越えられたかどうか分かりません。


 宮古島では、25年~30年に一度、小雨による大渇水になるといわれていますが、前回が1993年だったので、確率的にはソロソロです。

  


 伊良部島では、旧伊良部町の時代から、宮古島とは独立して水道事業が行われて来ましたが、伊良部大橋の完成と共に給水管を敷設し、宮古島の水を伊良部島に送ることで、水道事業の効率化が図られています。

 今、この伊良部島の浄水場の再稼働が、水不足解消の切り札と主張する人もいます。

 しかし、施設が老朽化している上、伊良部の水は元々塩分含有量が大きく、浄水には金がかかります。
 だからこそ、この浄水場は廃止されたのです。


 もう一つ、宮古島には、地下ダムというものがあります。

 地下の水が貯まっている場所に止水板を打ち込み、水を囲い込んで海に流れ出すのを防ぎ、そこに井戸を掘って効率的に水を吸い上げるというものです。

 現在、農業用水にしか使われていない地下ダムの水には余裕がありそうなので、それを水道用水に回せばいいと誰でも真っ先に思い浮かぶと思いますが、それはできません。
 
 地下ダムが農林水産省の予算で造られたからです。


 これは、国の縦割り行政の弊害とみる向きもありますが、国には国の理屈があります。

 農業用水が足りないというから、国費(つまり国民の税金)を投入して地下ダムを造ったのに、ホテルが増えて水道用水が足りないから回してくださいと言われても、「だったら金を返せ」という話になるわけです。




 宮古島市が使える水は、降った雨の40%がMAXです。

 そのうちある程度の水は、まとまって湧き出して来ますが、ちょろちょろと海に流れ出る水まで回収利用しようとすれば、金がかかります。
 そもそも、雨が降ってくれないことには話になりません。

 そうなると、あとは使う水の量を減らすしかない、誰でも分かる簡単な理屈です。


 りゅうぎんリポートには、最後に必要な取り組みへの提言が書かれています。

 ホテルが節水型のシャワーを採用するとか、プールから溢れる水を再利用するとかの涙ぐましい節水対策が呼びかけられているほか、企業版ふるさと納税を活用した新たな水源地の確保などにも触れています。

 しかし、一番のキモは水道料金の値上げです。リポートには、大口需要者の水道料金を見直せと書いてあります。


 ごもっともですが、最初からそれをやっておけばよかったのですが、後からやるのは関係者の反発も大きいと思います。

 そうなると、次は水道料金全体の値上げという話になるかも知れません。でも、そうすると市民を巻き込んでしまいます。



 ホテルが激増すれば水不足になることなんて、素人でも容易に想像がつきます。なにを今さらというのが率直な感想です。

 それを、第三者機関が調査して判明したという流れも、不自然です。将来の料金値上げや使用制限に向けてアドバルーンを上げてみた、というのは考え過ぎでしょうか。




 コロナ前の2019年、宮古島バブルといわれた時期、それを懸念する地元の声に対して当時の副市長が、「観光業はトータル産業。自分に直に関係あるないよりも、回り回って自分のところにくる」と語っています(RBCニュース)。

 これ、皮肉ですよねぇ。

 観光業に関係ない人に、回り回って水不足や、水道料金の値上げがくるのでしょうか。
 


 りゅうぎんリポートはこちら


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2024年4月16日火曜日

沖縄風景写真 とは無関係に写真に関する雑談

   

 1980年代のカメラ雑誌。
 捨てようと思ってパラパラめくっていたら、ついつい引き込まれる独特なワールドがそこにありました。

 今回は、沖縄とはまったく関係のない話になるので、沖縄の風景写真を並べてむりやり沖縄と関連させつつ、今とはまったく違った40年前の写真の世界について語らせてもらいます。




あのころの写真は何だか分からないものが多かった

 当時のカメラ雑誌に載っている写真は、大家の先生の作品も、コンテストに入選したアマチュアカメラマンの作品も、どこがどう素晴らしいのか、よく分からないものがてんこ盛りでした。

 街角の光景や物を何故そう撮る? 花や動物を何故ストレートに撮らない?

 自分にはとても撮れない、というか、その着眼点すら分からない謎写真が、雑誌の7割、8割を占めます。


 たまに、おっ、これ綺麗じゃん、とか、このモデル可愛いじゃん、と思う写真があるとそれはカメラメーカーの広告べージだったりするのです。
 



能書きも多い

 そのよく分からない写真には、長文の解説がつきます。

 大先生の作品には、別ページに細かい字で長々と本人の思いなり評論なりが、フォトコン入賞作品には、下位の入賞でも2~300字の講評が。

 作品自体よく分からないので、解説を読んでもますます分からなくなるだけ。

 素直な感想を言っちゃうと、ウケないギャグを聞かされたあと、「今のギャグは何処が面白かったかというと・・・」といわれたみたいな。


白黒写真が多い

 モノクロ写真が誌面の約半分を占めているのも特徴です。

 当時でも、一般の人が普通に写真を撮る限りモノクロではなく、ほぼすべてカラーだったと記憶していますが、趣味の世界ではまだまだモノクロ写真が幅をきかせていました。

 モノクロ(Monochrome)というより、文字通りの「白黒写真」という感じの、コントラストが強烈に強い作品が多かったようです。




無造作に人が沢山写っている

 人が写っている写真も多いです。それも、そこいらにいる人を勝手に撮って勝手に載せちゃった、みたいなのが。

 当時は、プライバシー権とか肖像権に無頓着だったからでしょうが、正直に言ってこれは羨ましい。


 目の前に素敵なシーンが広がっていても、そこに人がいると、撮るにはもの凄く気を遣います。顔が写らないように、本人が特定できないようにと。

 そうしないと、もし、いい写真が撮れてもブログには載せられません。

 人を撮りたい場合は、勇気を出して声を掛けるようにしています。
 思っているよりは、OKしてもらえることが多いですが、もちろん断られることもあるし、お願いする間もないほどの突然のシャッターチャンスもあります。


 男性の写真では、タバコを吸っているシーンが多いのも時代ですよねぇ。

 


今なら児童ポルノ?

 子供の写真も多いのですが、男の子も女の子も、下半身丸出し、パンツ丸見えな写真が少なからずありました。

 今なら、児童ポルノで捕まるんじゃ?って思うくらいですが、「子供だから、子供はこういうものだから」という決めつけというか、大人目線で子供を撮っていた感じです。


ヌード写真全開

 そして、この当時のカメラ雑誌に特徴的なのは、ヌード写真が氾濫していたことです。

 それも、ただ女の人が裸になるというだけではないのです。

 砂浜に寝転がったり、草むらに埋まっていたり、木の幹にもたれかかったり、水の中にいたり、
 体に花が盛られていたり、ど派手メイクだったり、とんでもないポーズをさせられていたり、とんでもない衣装を身につけていたり、おしりや胸のどアップだったり。


 タイトルには「おんな」「女」「○○の女」というのが並びます。

 それに対する解説がまた、「エロス」が「官能的」で「淫靡」な「曲線美」と続きます。


 だけど、ハッキリ言わせてもらうと、女の人の裸なのに、全然ドキドキしないし、何も感じないのですよ。
 お年頃?だった当時の自分でもですよ。

 それどころか、エロじゃなくてグロじゃん、なんて突っこみたくなるものもあります。ヌードの分野であっても、よく分からない写真が並ぶのです。

 

 せっかく目の前に裸の女がいるんだから、もっとシンプルに撮れば、○○で××なのに、なんて思うのは、俗人の浅はかさなんでしょうな。

 芸術であるヌードは、その女性美をレンズを通して極限まで追究するのでしょう。(まぁ知らんけど)


 どうやって、撮るのかといえば、アマチュアの場合は、有料のヌードモデル撮影会に参加するか、同好会のメンバーで金を出し合って、プロのモデルを頼んでいたようです。

 とても金のかかる趣味です。
 

 大勢のおっさん達が、屋外で裸になった女の人を取り囲んで写真を撮る、というのも想像するとちょっと不気味ですが、近時のように高性能カメラで盗撮するよりは、ある意味潔いとも言えます。




 ♪ 今の君はピカピカに光って~

 宮崎美子さんがブレイクしたカメラのCMをご存じでしょうか。自分もその頃カメラデビューしました。

 カメラを買って写真に夢中になり、カメラ雑誌を買い漁りました。

 その当時のものをなかなか捨てられず、引っ張り出してパラパラとめくり出したら、面白くて止まらなくなってしまったのです。

 懐かしくもあり、却って新鮮な感じもします。

 本としては状態が悪く、結局捨てざるを得ないようなので、せめて捨てる前に感じたことをブログに書かせてもらいました。


 フイルムで撮り、それを現像してプリントしなければ見ることができなかった写真は、金がかかると同時に、カメラマンには一発必写の高いテクニックが求められました。

 撮ったものをすぐ見ることができ、いくら撮っても金のかからないデジタル写真の時代とは違い、いい意味でも悪い意味でも、写真趣味が特別な人達に支えられていた時代でした。




 今回並べた沖縄の風景写真ですが、当時これだけ撮れたら、多分プロカメラマンとして通用したと思います。

 昔は、目に見えるものを目に見えるのと同じ明るさ、同じ色で撮るのこと自体が難しく、カメラマンは、アーティストである前にエンジニア(技術者)でなければなりませんでした。

 綺麗な景色をそのとおり綺麗に撮れれば、出版社が買ってくれた時代です。


 カメラ雑誌には、それとは別に、自分のイメージを写真で表現するという、一種独特のワールドがあったのではないかと思いまです。
 
 ただ、自分がそのワールドに入って行けなければ、なんだかよく分からない写真が載っているというだけで終わってしまうのかも知れません。


 今のように、誰もがお手軽に、しかも、見た目以上にいくらでも盛れる写真を撮れる時代が来るとは、当時誰が想像したでしょうか。

 あれから、まだ40年しか経っていないのです。





 最後に〆の雑談です。
 今回の記事は、そもそも雑談なので、雑談of 雑談なのですが。

 「エロス」とは、ギリシャ神話の愛を司る神の名前です。
 愛と美を司る女神アフロディーテの息子で、背に翼を持ち、恋をもたらす金色の弓矢を携えるそうです。

 あれっ?と思いませんか。

 そう、ギリシャ語の「エロス」が、ローマ時代に入り名前が変わり、ローマ神話の中で、アモール(Amor)、クピードー(Cupido)と呼ばれるようになります。

 Amorは、後にフランス語のAmour(アモーレ)になり、Cupidoは英語読みでキューピッドなんだそうですよ。

 




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