2026年10月5日月曜日

竹富島の入島料 25年度収支を見て益々失望した



 竹富町の訪問税には最初から反対でしたが、竹富島の入島料については、当初は応援していました。

 今それが疑心暗鬼に変わりつつあります。

 喩えて言うなら、信じていた女が、知らない男と肩を並べて夜の街を歩いているところを見てしまった。そんな気分なのです。笑


 8月にも同じテーマで書きましたが、昨年度の収支報告が出て、疑心暗鬼度がさらに高まります。




 竹富島の入島料は、任意の寄附金です。島に行く人に1人300円の支払いを求めるもので、2019年から続いています。

 竹富町観光協会によれば、「入島料は、島の自然・祭事・習慣・伝統工芸や町並みを未来へ残す環境保全活動に使われます。」とされています。


 本来は、竹富町の事業ですが、島の財団に委託されています。
 
 2025年度の入島料収入額は、9,161,700円(対前年比97%)で、入島者に占める支払者の割合は、僅か7.1%にすぎません。

 支払者の割合は、2021度の13.7%をピークに、11.2%、9.7%、8.0%と年々下がっており、昨年度は、7.1%まで落ち込みました。




 財団は、この状況を打開するため、前回記事でご紹介したターミナルでの「納入はお済みでしょうか」攻撃の一方、キャッシュレスの導入、入島料を払った人がガチャを廻せるなど、あめとむち作戦を展開しましたが、事態は好転しませんでした。


 また、財団のアニュアルレポートの25年度取り組み経緯の中には、「入島料手売り販売実施」をトータルで数十日行った旨の記載があります。

 おそらくは、来島者に対面で直接支払いの協力を求めたということでしょうが、この「手売り」という言葉も、義務を伴う場面で使われる「納入」と同様、任意の協力金にはそぐわない言葉です。

 協力を「お願いする」ではなく、入島料券を「売る」という表現を、誰もおかしいと思わないのでしょうか。


 さらに、リピーターにも楽しみながら協力してもらえるよう、返礼品をリニューアルするという趣旨のことも書かれています。

 ガチャと相まって、「300円払うと何かもらえるよ」というインセンティブを付けたわけです。


 必至になって金集めに奔走しているように見えますが、違う方向に進んでいると思いませんか。


(入島料導入直前の石垣港離島ターミナル:2019年8月)


 アニュアルレポートから、2025年度の収支を拾ってみました。

 公益事業収入は、
 入島料収入が、9,161,700円
 補助金寄附金等を加えた公益事業の総収入は、11,265,795円
 でした。

 一方の公益事業支出ですが、
 事業費が、5,989,023円
 管理費が、6,349,658円
 です。

 事業費対管理費の割合は、48.5%:51.5%であり、管理費が事業費を上回っています。


 そうすると、入島料300円の内、本来の目的に使われているのは約145円に過ぎないことになります。

 入島料収入以外の公益事業収入が、全額管理費に回された(絶対にそんなことはあり得ないのですが)と仮定しても、それでも180円程しか本来の目的には使われていないのです。


 つまり、入島料の約半分、どんなに少なく見積もっても4割が、財団の維持や入島料の徴収費用に使われているのです。

 
 もちろん、本来事業を何もやっていないとは言いません。

 アニュアルレポートによれば、御獄の調査、港のゴミの分別、島の子供達によるビーチクリーン活動などが行われています。

 しかし、それが入島料の主な使い道ではないのであれば、話が違います。



 管理費をもう少し細かくみていきます。

 まず、役員報酬が1,282,960円です。昨年度からは大幅に減っていますがそれでも、事業費も含めた総費用の10%が役員報酬なのです。

 給与費が3,424,443円、賞与と法定福利費の合計が546,884円です。給与費は昨年度と比べほぼ倍増です。

 そうなると、役員報酬を含む人件費は、5,254,287円となり、総費用の42.6%を占めます。

 300円の入島料の内、推計で110円~125円が役員報酬を含む人件費に消えているのです。

 人件費以外に、その他の管理費が100万円ほどオンされます。



 一方、入島料の1/3以内の範囲で積み立てられるはずのトラスト事業用の資産は、前年度比で僅か42,000円の増加に過ぎません。

 これは、トラスト基金を指定した寄付が42,000円あったためで、入島料からの積み立てはゼロです。

 2019年度からのトータルでも9,057,090円に止まります。


 かつて、コンドイビーチ隣接地にリゾート開発計画がありましたが、島を挙げて反対しました。代表は訴えられ、訴訟沙汰にもなりましたが、初志を貫徹しました。

 再びそういったことが起きないように、土地を買い戻すためにトラスト基金を始めたのではなかったのでしょうか。あの時の熱気は何処に消えたのでしょう。





 宮古島の景観地、東平安名崎では、かつて地元の自治会が、環境美化活動のためとして来訪者から300円の協力金を集めていました。

 しかし、事業目的に地域住民の雇用が含まれていたことを不審に思った人達が調べたところ、事業は委託され、委託先が徴収員を雇って集金し、協力金のほとんどが徴収員の人件費に消えていたのです。


 竹富島の入島料は、これとは違うと胸を張って言えるでしょうか。

 昨年度も、一昨年度も、半分ほどを財団の維持費用に使ってしまい、トラスト基金は増えていません。

 一方で、ガチャを作ったり、返礼品を替えたり、そんなことを一生懸命やっている。それも経費です。

 これで「入島料は、島の自然・祭事・習慣・伝統工芸や町並みを未来へ残す環境保全活動に使われます。」と言うのは、おこがましくありませんか。


   
 冒頭のイラストは、もちろんAI作ですが、ブロンプトを書いたのは自分です。

 悪意に満ちているように見えるかも知れませんが、今の偽らざる心境をAIが上手く表現してくれました。

 応援をしていただけに、入島料を取り巻く現在の環境には酷く失望しています。

 同じテーマで記事をアップしたのが8月25日ですが、その後に2025年度の収支状況を見て、益々残念な気持ちになってしまいました。


 

※ 8月25日の前回記事は、こちら。

※ 財団の収支については、こちら。

 
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2026年9月28日月曜日

泡盛にもバブルがあった あの「泡波」の今

 

 焼酎ブームという現象がありました。2000年代前半頃の話です。

 魔王とか森伊蔵などの有名所の芋焼酎を筆頭に、一部の本格焼酎(乙類)にとんでもないプレミアがついた、まさしく焼酎バブルの時代です。

 
 期せずして、そのバブルに参戦してしまった泡盛があります。

 波照間酒造所の泡波です。




 2005年頃の話。

 島で数百円の3合瓶の泡波が、石垣島で4千円、那覇で1万円、東京だと2万円などと言われていました。。

 銀座に今でもある沖縄料理店で、3合瓶19,800円というのを目撃したことがあります。
 本当かどうかは分かりませんが、東京では、一升瓶10万円説もありました。


 醸造元の波照間酒造には、「なんでこんなに高い値段で売るんだ」と苦情が来たこともあったそうですが、醸造元が高く売った訳ではなく、買った人が、勝手に高値を付けて転売しただけです。


 もっとも、そのほかのプレミアム焼酎も、ほとんどは醸造元の販売価格とは関係なく、転売ヤー達が値段がつり上げただけです。




 泡盛も米焼酎の一種ですが、泡盛自体はばかげた焼酎ブームに煽られることはなかったのですが、その中で唯一、泡波が高値を付けてしまいました。


 原因は、ブームに便乗して、面白おかしく書いた旅行ガイド誌の影響と思われます。

 「工場が小さいので生産量が少なくほとんど島内で消費されるため幻の泡盛と言われている。」 

 ほとんど島内で消費されていたことは事実ですが、幻ではありません。



 「幻の泡盛。生産量が少なく島でも普段はあまり飲まないのでお祝い用にとっておくそう。民宿によってはひとなめサービスしてくれるところもある。」

 に至っては、フェイクです。島の人は普通に呑んでいました。



 泡波は島人の酒です。ところが、バブリィな値段になった泡波を観光客が必至に買い集め、島外に持ち出す。

 そうするとリターナル瓶である3合瓶や一升瓶を回収できなくなる。酒造所にとっては、迷惑なブームでしかありませんでした。


 そこで観光客向けに、持ち帰り用として100ml瓶の泡波を販売し、それを買いやすくするため、島の売店に置く。

 そんな地道な努力もあって、泡波は、「幻の泡盛」から「ちょっと入手しづらい泡盛」に落ち着いて行ったのです。



 
 泡波は新酒しかありません。製造量が少なく、古酒として保存しておく量が確保できないからだそうです。

 しかし、泡盛は、瓶詰め後も熟成を続けます(詳しくはこちら)。

 これは、勝手に古酒になった貴重な泡波コレクションです。100ml瓶ではありますが。

 写真の左から古い順です。



 並び順間違っていないかって?

 間違ってはいないのです。左から17年.12年・16年・19年(ちょっと見にくいですが)と並んでいます。

 以前は、元号で表記されていたので、一番左の瓶は平成17年、すなわち2005年詰めなのです。

 まさに泡波バブルの真っ只中の時のものです。

 3合瓶で19,800円だとすると、100ml瓶に換算すれば約3,700円。その20年古酒ですぞ 笑




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2026年9月21日月曜日

沖縄で出会ったファンタスティックな人達 Ⅳ

 

 今回はちょっと重い内容であり、匿名だとしてもブログに書ける話ではないと今まで思っていたのですが、あり得ないような偶然の出来事から記事にすることにしました。

 久々、「沖縄で出会ったファンタスティックな人達」シリーズの第4弾です。




 石垣島の宿に一人で泊まっていたのは、23歳の看護師の女性でした。看護婦から看護師へと名称が変わってまだ間もない頃の話です。


 彼女は、4年制大学の看護学科を卒業し、正看護師として都心の大病院に就職しました。

 配属された病棟の先輩看護師達は、ほとんどが専門学校卒で、准看護師からの叩き上げ組もおり、4大卒の彼女は、病院からは期待された人材でしたが、実際の仕事場では何となく浮いた存在でした。


 加えて彼女は、小柄で童顔ながら魅力的な容姿で男性の目を引きやすく、病棟に1人だけいた男性看護師が彼女に馴れ馴れしく接し、それが苦痛であったばかりでなく、そのことが女性看護師達の目には苦々しく映り、二重に彼女を苦しめます。

  

 医師と看護師の間には、仕事関係だけではなく、人間関係にも上下があるとか。

 今はどうなのか分かりませんが、当時病院には、医師を頂点とした、まるでカースト制があると言われていました。

 しかも、職場には未婚の女性がワンサカといる。そういった立場を利用し、一部の医師はよからぬことを考えます。

 もっとも、看護師の中にも、一攫千金玉の輿を狙って、学究肌で世俗に疎いタイプの医師に、プライベートな関係で近づこうとする者もいたらしいのですが。


 彼女の場合は、まだ社会経験も人生経験も乏しく、その上、職場でのプレッシャーもあって心に不安を抱えていたため、優しげに振る舞う遊び慣れた医師の格好のターゲットとなり、あっという間に男女の関係になってしまいます。

 医師との逢瀬を重ねる間は、仕事の辛さも忘れ、それなりに充実した日々を送っていたのですが、その手の噂が病院内を駆け巡るのは光の速さ。

 「あの子は赴任してきて3か月でもう・・・!」という話を知らぬ者は病棟内にいなくなり、手慣れた医師は、面倒なことになる前にサッサと彼女のもとを去って行きました。


 彼女に同情する仲間もいたのですが、「自業自得」と陰で嘲笑する者も多く、もともと精神的に不安定だったところ、徐々に仕事に変調を来すようになります。

 病棟の看護師長は、業務に重大な支障が出る前に、彼女を負担の少ない外来看護への配転を模索しました。


 夜勤のない外来は、看護師には人気の職場で、妊娠中や子育て中の人が優先的に配属されるのですが、病棟看護師からは、「新卒のくせに、遊んでおいて振られたから外来に行けるのはおかしい」という不満の声が強く、それが本人の耳にも入ります。

 せっかくの師長の配慮でしたが、結果として彼女をさらに追い詰めます。



 晩秋の11月終わりのことでした。
 
 その日彼女は、日勤を終え、帰途についたはずでしたが、その日の夜、病院から100㎞以上も離れた海で、腰まで水に浸かりながら歩いているところを発見され、保護されたのでした。


 就職以来、職場の人間関係に悩む娘を気にかけていた両親でしたが、このことがあって病院に怒鳴り込みます。

 病院も事態を重く見て、副院長による調査が行われ、件の医師も事情を聞かれました。

 病院は、本人と両親に詫びを入れ、給与賞与全額支給の療養休職1年という特別な扱いとします。

 

 休職中、寮を出た彼女は、実家に戻ります。
 しかし、家に閉じこもりがちな娘を心配した両親は、旅に出てはどうかと勧めます。

 当初はあまり乗り気ではなかったようですが、「知っている人がいない遠い街に行ってみたい。」と言い出した彼女の旅先は石垣島に決まりました。

 石垣島には、彼女の姉の友人がおり、何かあったらその人が連絡するということで、その友人の紹介で石垣島の宿に1週間ほど滞在することになったのです。


 自分は、たまたまその時同じ宿に泊まっていました。

 免許を持たない彼女に石垣島の案内をするよう、宿の人を介して頼まれ、その際、若い女の子に向かって余計なことを言い出さないよう、あらかじめ上記のいきさつを聞かされたのでした。


 


 あれから20年。仕事で行った団体の事務所で突然声を掛けられました。

 「・・・さんですよね?」「は、はい。」

 あの彼女でした。



 長年島旅をしていると、ウソ!マジ?と叫びたくなるような偶然があります。

 小さな離島で会った人が、実は地元の隣駅の住人だったとか、八重山の民宿で一緒だった人と3年後に離島桟橋で会ったとか、宿で知り合った人と帰りの飛行機が同じで、席も前後の並びだったなど、世の中狭いとしか言いようのないことがありました。

 中でも今回の彼女との再会は、レベル5クラスの偶然です。何しろ20年ぶり。しかも、こちらは忘れていたのに向こうが覚えていてくれたのです。


 「石垣島楽しかった。海がきれいだった。河口近くで小さなカニやハゼを見たのをよく覚えている。あれから気持ちが変わった。石垣島に行って本当に良かった。」

 
 その後病院を退職し、一時は俗に言う夜職も経験しましたが、その後は資格を活かして福祉施設で働いているとのこと。

 併せて、諸事情で困窮する若い女性を支援するNPO団体で、ボランティアをしているのだとか。

 

 多くは聞けませんでしたが、辛い過去の経験を糧にして、今同じような境遇の人の支援に廻っている。

 そして、若しかしたら、石垣島のあの海をみたことがターニングポイントになったかも知れない。

 そう思うと、どうしてもブログで紹介したくなりました。ドラマのヒロインみたいな人が、世の中には本当にいるのです。
 
 

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