2026年10月26日月曜日

昔沖縄に鉄道が走っていた(与那原鉄道資料館)

 


 沖縄で唯一の電車は、沖縄都市モノレール(ゆいレール)ですが、かつては、線路の上を電車や客車が走る本物の鉄道が走っていました。

 その一つが沖縄県営鉄道です。


 しかし戦争で大破し、残った施設は破壊、略奪され、また、線路は朝鮮戦争向けの鉄材として供給されてしまったことから、鉄道の痕跡を残すものはほとんど残っていません。


 そんな中で、数少なくなった鉄道の遺構と資料を保存しているが、与那原(よなばる)町立軽便与那原駅舎展示資料館です。


 この折れた鉄筋コンクリートの柱が旧与那原駅舎の柱です。

 左側の道路に当たる部分が線路でした。右側が現資料館です。




 もう一つ遺構が残っていました。旧那覇駅にあった転車台です。当時は、蒸気機関車だっため、終着駅では機関車の向きを変える必要がありました。

 今のゆいレール旭橋駅のそばにひっそりと残されています。旧那覇駅は、今は那覇バスターミナルとなっています。




 ところで、軽便与那原駅舎展示資料館が、「鉄道」ではなく「軽便」と名乗っているのは何故でしょうか?

 沖縄県営鉄道は、軽便鉄道法という法律に基づいて建設されました。

 国鉄など高規格の鉄道は鉄道敷設法に基づいて建設されていましたが、より簡易な施設・設備による鉄道が「軽便」です。

 戦前の鉄道省は、沖縄まで手が回らず、代わりに県が軽便鉄道を造ったのです。

 
 市営地下鉄などは各所でお馴染みですが、県営鉄道というのはあまりなく、わずかに、現在の東武野田線や富山地方鉄道などが、開業当時は県営鉄道だった例があります。


 

 上は、復刻された大正3年当時の時刻表です。

 那覇・与那原間を1日9往復していました。所要時間は29分で、今のバスよりは早かったようです。


 県営鉄道としては与那原駅まででしたが、そこから支線が伸びて、港からの貨物が輸送されていました。

 やがて軍事物資の主要な輸送路となり、そのことでアメリカ軍から激しく攻撃されたと言われています。


 終戦後アメリカの統治下におかれた沖縄ですが、地元関係者は鉄道の復旧を強く要望し、一時はある程度の復旧計画も策定されましたが、結局うやむやのままに終わりました。

 車社会のアメリカは、鉄道に関心がなかったようです。

 


 与那原町立軽便与那原駅舎展示資料館は、旧与那原駅跡地に立てられた小さな建物で、入場料は100円です。

 もっとも、展示されている資料も僅かであり、興味のない人だと5分で終わってしまうかも知れません。


 軽便に関する資料は本当に少なく、2003年に加田芳英(かだ よしひで)さんという人が出版した「図説・沖縄の鉄道」という本が頼りなのだとか。


 加田さんは、研究者というよりマニアですが、自らの足で貴重な資料を集め、沖縄県営鉄道に関しては、この本がほとんどバイブルに近い存在だそうです。



 資料館は客も少なくのんびりした雰囲気ですが、当時のことなど全く知らない若い職員が、軽便について熱く語ってくれたのが印象的でした。


 ノスタルジーや鉄オタ的興味だけではなく、沖縄戦の悲惨さを間接的に物語ってくれるという意味でも、意味のある施設だと感じました。





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2026年10月18日日曜日

那覇の国際通り 奇跡の1マイルは何処に行く?

  



 那覇の国際通り。相変わらず多くの観光客で賑わっていました。


 沖縄旅行ガイドに書かれないことはあり得ないという、沖縄随一の繁華街ですが、賑わっていた分、コロナでは壊滅的な打撃を受けました。

 あれから5年以上経過し、元の姿に戻ったのでしょうか.




 コロナ真っ只中の2020年7月、国際通りでは約80軒もの店舗が閉店・休業に追い込まれたとされます。 

 那覇市は、コロナ禍によって「観光客中心の業態」の脆弱性が明らかになったと説明していました。


 2022年。緊急事態宣言が終わり、通りには人が増えましたが、閉店して廃墟のようになってしまった店が多数ありました。

 翌2023年。シャッターの下りたままの店がまだかなり残っていました。


 あれから3年。今年の10月、前よりも復活していますが、牧志駅に近い方には、まだまだシャッターが下りたままの店が残っているようです。





 国際通り沿いにあった沖縄三越。

 百貨店としては2014年に閉店し、ビルの低層階に飲食店などが入っていましたが、いよいよ取り壊し工事に入ります。

 沖縄建設新聞によれば、跡地に建つ予定の新しいビルは13階建で、2031年の開業を目指します。

 3階から13階はホテルで、1・2階は商業施設となり、海外ブランドを中心とするファッション・雑貨・化粧品店などが並ぶそうです。


 これを読んで、脱力しましたよ。

 なんで、あの国際通りで、こんな日本中何処にでもあるような、ありふれた発想しか出てこないの?




 国際通りは、ホテルの立地条件としてはかなり悪い場所です。何しろ渋滞が激しく、車で近寄るのは大変です。歩行者天国になる時間帯もあります。

 それでは裏道を抜ければいいかというと、周辺の道路は、センターラインもない生活道路がほとんどです。

 しかも、ゆいレールの美栄橋駅や牧志駅から歩くと10分近くかかります。

 ここは、荷物を置いてからブラブラするのに適した街なのです。


 いまさら、海外ブランドを中心とするファッション・雑貨・化粧品店などが並ぶと言われて、わくわくする人はいるのでしょうか。

 蓋を開けたら、テナントは、○○良品とか、お値段以上とか、何とかバックスコーヒーだったりして。



 国際通りは、那覇市の中心と首里を結ぶ道路として、戦前の1934年に開通し、当時は新県道と呼ばれていました。

 沖縄戦で米軍の激しい攻撃を受けましたが、戦後間もなくの1948年、高良一さんという人がここに映画館を開設し、米軍の許可が得られやすいよう、「アーニーパイル国際劇場」と名付けます。

 アーニーパイルとは、伊江島の戦闘で死亡した、アメリカの従軍記者です。


 娯楽の少なかった当時、映画館には多くの人が殺到し、通りにはそれを当て込んだ店が次々に開業していき、闇市を形成していきました。

 翌1949年、来沖したアメリカの新聞記者が、そのあまりに早い復興ぶりを見て、「奇跡の1マイル」と呼んだことで話題になりました。

 その後も通りは、戦争で荒廃した那覇経済を牽引し、当時から車の渋滞が問題にされるほどだったそうです。


 本土復帰後は、通りにも観光客が増え、商店も観光客向けの土産物店などに替わって行きます。

 三越が閉店してからは、地元民はほとんど足を向けなくなり、闇市を起源とした小さな店は徐々に淘汰され、観光客相手の大規模店、特に、外国人向けの店が増えていきます。

 そうした事情もあって、普通の商店街と比べ、コロナからの復活に時間がかかっているのだと思いますが、復興の早さから奇跡の1マイルと言われた国際通りでは、何とも皮肉なことです。




 三越跡地しかり、宮古島のリゾートホテルしかり、ジャングリアしかりですが、どれも、沖縄の魅力や特性を本当に理解していない内地の人達が、頭の中で考えたプランであるとしか思えないのです。


 ジャングリアは、親会社が官民ファンドなどから80億円を超える出資を受けて建設されましたが、初年度は89億円の赤字で、公庫から30億円のつなぎ融資を受けたと報じられています。

 ジャングリアが面白いとかつまらないとか、待ち時間が長いとか短いとかいう以前に、「テーマパークを作れば北部観光の起爆剤になる」とかいって誘致した発想自体の是非が、問われるのではないでしょうか。


 宮古島に次々と建った高級リゾートホテル。各部屋にプール付きというのも珍しくありませんが、あんな綺麗な海があるのに、小さなプライベートプールは要らないと気付いた人は、多分リピーターにはなりません。


 国際通りには、例えばオリオンビール直営のビアレストランなんかどうでしょうか。

 それも、オシャレな高級店ではなく、「毎日行けるオリオンビアフェスト」みたいな、お祭り騒ぎ感が国際通りに似合うと思うのですが。



  起爆剤とは、元々僅かな熱や衝撃で爆発を起こすものです。

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2026年10月13日火曜日

それでもやっぱり宮古の海は綺麗だった

 


 宮古島南岸の名もない海。しかし、晴れた日の宮古の海は、本当に美しい。


 今年は、諸事情で沖縄旅行の計画もあまり立てられず、その上台風もあって八重山には行けず、宮古島にだけ3回行けたのみでした。

 今年最後の沖縄旅行になるであろう宮古行き。最終日の10月10日の午後の便で帰るところ、その日は朝から雲一つ無い晴天で、有終の美を飾ることができました。





 来間島に渡って、農村公園からのお馴染みの眺めです。


 余談ですが、上の花の名前は「へクソカズラ(屁糞葛)」という、とんでもない名前が付けられているのですが、別名は「サオトメバナ(早乙女花)」だそうで、わけが分からん。

 ちなみに、花言葉は「人嫌い」だそうです。


 下りていって、ネコの舌ビーチ。来間港のヨコです。




 10月ともなると、日中でも太陽が低くなり始めます。やや逆光気味ですが、こういうシーンも美しい。




 SUPとは、Stand UP Paddleboatの略ですが、漕いでいる人は椅子に座っているし、後ろの人は何もせず牽引ロープで引っ張ってもらっているし。

 これでは、WSP(While Seated Paddleboat)ではないかと。笑 



 リゾートホテルが乱立し、観光客が増え、パリピな人間やら半グレまで増えていると言われている宮古島とその周辺離島。

 物価も高くなったし、あまり良いニュースは聞きません。


 それでも、海が綺麗なままでいれば、宮古島はまだ大丈夫です。そんなことを改めて実感した、今シーズンのラスト宮古でした。





 干潮の与那覇湾。干潟であり、海の美しさとは無縁の場所ですが、それでも、晴れると気持ちが良い場所です。



 天気予報は曇りでしたが、見事に外してくれたのも、沖縄エピソードの締めとしてはなかなか。


 その前日の夕刻の前浜港。
 
 夕日は見られませんでしたが、秋らしい雲が僅かに染まり、暑いながらもほんの少し季節の移ろいが感じられました。



 
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