2026年3月9日月曜日

アイランダーが沖縄離島を結んだ日々

 



 藤原紀香さんが釣りをしているのは、1999年のJALの時刻表の表紙です。


 この時刻表をペラペラとめくっていたら、今では考えられないビックリな航空ダイヤが載っていました。

 JALグループであるRAC(琉球エアコミューター)のページです。




 那覇・粟国間、那覇・慶良間間に飛行機が飛んでいます。それも1日4往復・3往復も。小さな島で、かつ、船で普通に行ける距離にも拘わらずです。


 すっかり忘れていましたが、そう言えば、確かに飛んでいました。
 いつか乗ってみたいと思っているうちに、休止・廃止され、そのことすらも忘れていましたが。


 
 小さな島の小さな飛行場にやって来る飛行機は、超小型機です。

 イギリスのブリテン・ノーマン社のBN-2アイランダーというプロペラ機です。

 10人乗りの小型機で最高速度は270㎞ほど。新幹線よりも遅い。

 さしずめ空飛ぶワゴン車といった様相ですが、短い滑走路でも離発着が可能で、パイロットの信頼性も高かったのだとか。




 このほかにも、宮古・多良間、石垣・多良間、石垣・波照間便にもアイランダーが使用されていた時期がありました。

 一度だけ宮古・多良間便のアイランダーに乗りましたが、貴重な経験となりました。


 10人乗りですが、パイロットも含めた定員です。
 そして、凄いことに、パイロットの隣の席、つまり「助手席」にも乗客が乗れたのです。

 ただ、この「1B」席は他の席が全部埋まってから最後に開放する席だったので、残念ながら自分は助手席に乗ることはできませんでした。




 アイランダーは、軍事用としては、今でも世界数十カ国で使用されていますが、日本では、民生用に1機残るのみとなってしまいました。



 今、粟国島へのメインのアクセスは船ですが、第一航空により、週4日、1日1往復の航空便が細々と運航されています。

 機材は、デ・ハビランド・カナダ社のDHC-6、通称ツインオッター(16人乗り)です。
 ちなみに運賃は8000円、島民は5000円です。



 一方、慶良間の航空路線は、今は存在しません。

 慶良間空港は、阿嘉島と橋で繋がる外地島(ふかじじま)にあります。空港から阿嘉島には車で行けますが、役場のある座間味島には行けません。

 そのため、飛行機の離発着に合わせて、「マリンバス」という連絡船が座間味島と空港を結んでいたのですが、そんなことも負担になったのでしょうか。


 定期便が2006年に、チャーター便も2013年に廃止されましたが、緊急輸送等に備えて、今でも空港に人が配置されています。




 ちょっと前までは、1日3~4往復の航空路線で結ばれていたのに、今では事実上船一択。でもそれは、観光客が溢れ、オーバーツーリズムが問題となっている沖縄で起きたことです。

 先日の記事で触れましたが、沖縄離島は徐々に人口が減少しています。慶良間諸島の各島も例外ではありません。

 夏になると、船の予約が大変なほど多くの観光客が訪れる慶良間諸島ですが、それでも人口は減り、航空路線は維持できなかったのです。




 ところで、冒頭で紹介したJALの時刻表(1999年)には、こんなページもありました。

 「リゾッチャ」

 久々に聞いた、懐かしい~と思われた人は、かなりムニャムニャですねぇ。(もちろん自分もですが。 笑 )





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2026年3月2日月曜日

沖縄の「ゆいレール」 現在・過去 未来は? Ⅲ

 


 沖縄都市モノレール・ゆいレールは、開業からまもなく23年を迎えようとしています。この間、利用客は増加し、一部編成の3両編成化や首里から先の延伸も果たしました。

 運行本数も以前に比べて増えました。

 開業以来の累積赤字の解消も、3年後を見据えています。


 今や、那覇市民にとっても観光客にとってもなくてはならない存在となったゆいレールですが、この先明るい未来はあるのでしょうか。




 ゆいレールは、こんなに曲がりくねっています。

 用地の取得費を抑えるため、可能な限り道路や河川などの公共用地の上に建設されたからです。

 起点の那覇空港駅から終点のてだこ浦西駅まで、全長約17㎞。
 途中に追い越し施設がないので快速の運転はありません。全列車各駅停車です。

 駅数が19と多いこともあって全線の所要時間は38分です。

 一方、同じ区間を車で走ると12.6㎞、Google先生によれば、通常時の所要時間は約30分だそうです。


 また、列車の定員は2両編成で約160人です。定員数の多い3両編成も一部導入されていますが、25編成中4編成に止まっています。

 鉄道のメリットである、速達性、大量輸送性という点で、ゆいレールは今ひとつ中途半端だと言わざるを得ません。




 ゆいレールがこの先目指すのは、パーク&ライドです。

 ゆいレールの終点のてだこ浦西駅は、沖縄自動車道に隣接しています。

 名護や本部など、北の方から車で来た人が、てだこ浦西駅に車を駐めてゆいレールを使ってくれると、那覇市内の渋滞緩和に寄与します。

 また、美ら海水族館や恩納村方面に行く観光客にも、ゆいレールでてだこ浦西駅まで行って、そこでレンタカーを借りてほしいところです。


 もともと、ゆいレールは、那覇市内の交通渋滞緩和のために構想されたものですから。




 ですが、ここでもゆいレールの遅さがネックです。

 渋滞さえなければ車の方が早いとなれば、面倒なパーク&ライドなんかしないで、そのまま目的地まで車で行ってしまおうと思う人は多いはず。

 まして、50m先でもタクシーに乗ろうかどうか真剣に考えるなどと言われる県民性を考えればなおのことです。

 観光客にしろ、大半は大きな荷物を抱えているので、空港に着いたらすぐにレンタカーに乗りたいと思う人の方が多いのではないでしょうか。



 これはゆいレールに限った話ではありませんが、将来車の自動運転が普及すると、鉄道の役割は、都市部の大量輸送か新幹線のような長距離輸送に特化するとされています。

 ただでさえ車社会の沖縄にあって、そのどちらでもないゆいレールの立ち位置は微妙です。



 結局のところ、あまり大風呂敷を広げることなく、那覇・浦添市民と那覇に滞在する観光客のための短距離輸送にこぢんまりと貢献する、それが、ゆいレールにとっての生き残る道のような気がするのですが、いかがでしょうか。

 



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2026年2月23日月曜日

沖縄の「ゆいレール」 現在・過去 未来は? Ⅱ

 


 ゆいレールは、2003年に開業した沖縄で唯一の鉄軌道路線です。

 ですが、昔は沖縄にも鉄道が走っていました。

 大正時代に、首里周辺に路面電車が開業し、その後、糸満や与那原にも馬車鉄道が開業しています。

 一方、沖縄県営鉄道もこの時期に開業しています。


(沖縄総合事務所HPより)


 しかし、戦争で鉄道施設は大破し、終戦後、アメリカの占領統治下で鉄道が復活することはありませんでした。


 もし、終戦後も沖縄がアメリカの統治下におかれなかったならば、鉄道の復旧は当然あり得たでしょう。

 延伸や複々線化が行われたかも知れません。

 もしかしたら、那覇駅から特急「美らうみ号」に乗って海洋博記念公園駅まで1時間、なんてことになっていたかも。

 車内販売では、コーヒー、さんぴん茶、オリオンビール、ブルーシールアイスクリームが売られ、駅構内には、立ち食い沖縄そば屋が・・・


 残念ながら、それは適いませんでした。残っていた線路も撤去され、鉄材として朝鮮戦争の軍事物資として活用されてしまいました。


(沖縄県教育委員会HP)


 完全な車社会となった沖縄でしたが、経済が回復するにつれて道路の渋滞も激しくなり、再び鉄道を、という声が大きくなっていきます。

 本土復帰の1972年には、新しい交通システムの導入を検討することとされました。

 ところが、そこから長い道のりを辿ります。一番の障害となったのは、バス会社との調整です。
 モノレールが出来れば確実に客を奪われるバス会社は、なかなかウンと言ってくれません。

 1994年になってようやくバス会社と調印、その後1996年に軌道特許取得、用地所得を進め、1999年着工、2002年試運転の開始、そして2003年8月悲願の開業を遂げるわけです。


 そんな戦後の沖縄でも、実はひっそりと鉄道は走っていたのです。それは、那覇から遥か離れた、ちょっとあり得ないような場所でした(その鉄道とはこちら)。








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