2017年2月27日月曜日

もう二度と昇れない!? 竹富島なごみの塔は立入禁止中



 行けば必ず昇り、写真を撮っていた、竹富島にある「なごみの塔」。
 
 当ブログでも、過去2回ほど記事にしましたが、これが最期になるかも知れません。


 「老朽化」という理由で、昨年9月から登り口が封鎖されています。
 最近行って来た人の話によれば、相変わらず立入禁止で、「もう修復はできないと」という話もあったとか。


 なごみの塔から眺めた、伝統的建造物群保存地区に指定された竹富島の集落。


 夜景+星空。

 なごみの塔は、昭和28年に建築され、既に「築60年」。大規模な補修もされておらず、老朽化と言われれば、そのとおりとしか言いようがありません。

 元々観光用に造られたわけではなく、60度もある急階段と狭いスペースにもかかわらず、節度を守り譲り合って利用されてきました。
 ところが最近は、無理矢理何人も上がったり、手すりに思いっきりもたれて自撮棒で写真を撮るなど、はたから見ていて危なっかしいこともしばしばあったとか。 


 こんな写真も、もはやアーカイブ?


 なごみの塔自体も、国の有形登録文化財として登録されています。緩やかな規制の下、使いながら保存していくことがコンセプトの制度ですが、補強しても危なっかしい施設には変わりありません。
 「事故が起きてからでは遅い」ということであれば、閉鎖もやむを得ないところではあります。


 自分だけずるいぞ!

 
 しかし、竹富島のシンボルがこのまま消えるのも残念です。何かいいアイデアはないものでしょうか。



2017年2月22日水曜日

2.22ネコの日特集 宮古・八重山のにゃんs



 2月22日はネコの日。
 なんだそうで、急に思い立って、にゃんs特集です。

 宮古・八重山で撮ったネコ達。
 

 竹富島にて。冒頭の写真も竹富島です。

 にゃんこの写真をかき集めました。多分半分以上は、過去に当ブログに登場した写真です。
 再放送的な、ブログ内まとめサイト的な。

 て、手抜きなんかじゃな・・・いぞ・・・


 黒島にて。


 波照間島。分かる人にはすぐ分かってしまう場所ですよね。


 こちらも波照間島。


 沖縄のネコ。暑くないのかな?
 でも、のんびりした島のネコは、やはりのんびりしています。


 宮古島にて。


 来間島(前回記事のラストから二番目の写真の後、実はこうなります。笑)。


 再び竹富島です。


 これは、与那国島。


 2月22日が何故ネコの日?
 2(にゃん)2(にゃん)2(にゃん)だからだって。
 オヤジギャグの日ではないようです。



 

 ところで、まったくどうでもいいことなのですが、2月22日は、行政書士の日でもあります。


2017年2月19日日曜日

絶景ではないけれど 来間島の捨てがたい風景10選



 伊良部大橋が出来てから、何となく影が薄い来間大橋&来間島。
 その来間島の中でも、長間浜でもなく、来間漁港でもなく、来間大橋でもない、さらに地味な観光地や無名の場所で撮った、絶景とは言えないプチ絶景、いや、地味絶景ですか。


 長崎浜に続く道。
 少し離れた所から、望遠レンズで撮ります。ここで、車ではなく、マラソンランナーでも走って来てくれればと思っているのですが。


 その長崎浜。長間浜に比べ、砂浜は狭いのですが、こぢんまりとして美しいビーチ。冒頭の写真も同じです。


 長崎浜と長間浜の間辺りにある、ムスヌン浜。ここも狭いので、訪れる人はわずかです。

 
 一方こちらは、来間島としては、メジャーな観光スポットの竜宮展望台。
 ですが、どうも最近影が薄い。人に話しても、「知らない」「行ったことがない」という人が多くなってきています。
 しかし、目の前は、東洋一と言われる宮古島前浜。美しくないはずがありません。

 参考までに、宮古島側から眺めるとこんな感じ。


 望遠レンズで切り取るとこんな眺め。手前の海は前浜、奥に見えるのは与那覇湾、建物はマリンロッジマレアです。


 島の北東側の農村公園から、海伝いの高台に遊歩道が延びています。草ぼうぼうで歩きづらく、眺めも今イチですが、時折、こんな感じで海を見下ろすことができます。


 この写真は、来間島である必然性はないのですが、たまたま来間島の長間浜の外れ辺りで出くわしたシーンです。
 背景の岩は珊瑚礁の化石。モノトーンの岩に、目立つ色のヤドカリが。どうしてこんな所まで登っちゃったのでしょうか。


 態度のデカイにゃんこ。車が接近しても、面倒くさそうにゆっくり移動するだけです。
 ノラですが、餌をくれる人が車に乗ってやってくるので、それを待っているらしいのです。


 この場所に至っては、ただの道路としか説明のしようがありません。東側に海を臨む道です。
 海だけ撮ってもあまり面白くありませんが、集落周辺ですら人通りがほとんどない小さな島の外れで、カメラを構えていると、なんと自転車に乗ったおばあが。有り難くシャッターを押させていただきました。2012年夏のことでした。


 一つの場所、一つのテーマではなかなかまとめにくかった、「その他来間島」の写真。絶景ではないのですが、かといって捨てがたい、ちょっと気に入っている風景をご覧いただきました。


2017年2月15日水曜日

昔のデジカメで撮った10年以上前の八重山10選


 小浜島にて。2004年(平成16年)4月。

 今世紀初頭・・・

 といっても、10年ちょっと前のことです。
 この間、変わらないものがある一方、飛躍的に進化を遂げたものもあります。

 デジタルカメラは、まさに、その進化系の代表。

 2003年(平成15年)頃までは、サラリーマンが気軽に買える値段のデジタル一眼レフは、あまりありませんでした。

 その頃の、300万画素とか、500万画素とか、それでも当時としてはハイスペックだったコンパクトデジカメで撮った、八重山諸島の風景10選です。


 西表島の祖内の海岸(2003年8月)


 西表島の月が浜にて(2003年8月)


 デジカメは変わりましたが、八重山の景観はわずか15年ではほとんど変わりません。
 古いデータのバックアップをしているときに、ふと思い立ってご覧いただくことにしました。
 10年以上前に当時のコンパクトデジカメで撮って、自分の中で今でも色あせない、石垣島その他八重山諸島の写真です。

 波照間島のニシ浜(2005年6月)


 初めて買ったデジカメ、オリンパスCAMEDIA C-3030で撮った写真。
 場所は、上の写真と同じニシ浜です。(2001年7月)


 こちらもマイデジカメ最初期の頃写真。
 竹富島のコンドイ浜(2001年7月) 


 竹富島の集落にて(2004年5月)


 石垣島の御神崎(2005年6月)


 変わらないといいつつも、変わってしまった場所もあります。
 写真家の三好和義氏の写真集には「とっておきの誰も来ないビーチ」と書いてあった所ですが、開発され、「サンセットビーチ」とかいう場所になってしまいました。
 石垣島の久宇良浜(2003年8月)


 これは思い出の1枚。
 石垣島のペンションぱいらんどのお客さんなど、宿の知り合いや関係者約60人で行った、鳩間島合宿?キャンプ?
 定期船がなかった時代に、幹事が交渉して、団体特別で寄港してもらいました。宿は民宿相部屋、若しくは、公民館に雑魚寝でした。
 鳩間島(2003年7月)

 スマホのカメラが高性能化する中で、立ち位置が微妙なコンパクトデジカメ。
 カメラがいくら高性能になっても、肝心なのは被写体。写す対象が美しければ、カメラ自体は大した問題ではありません。



2017年2月11日土曜日

牙を抜かれた虎?大人になった石垣島の安栄観光


 海が荒れてほかの船が二の足を踏んでも、「アンエイなら行ってくれる」との伝説は健在 海人精神みなぎる「硬派のアンエイ」

 これは、「まっぷる石垣・宮古・西表島 2005版」に載っていたコラム記事です。
 「アンエイ」とは、石垣島に本社を置く海運会社、(有)安栄観光のことです。



 安栄観光は、沖縄が本土に復帰する直前の昭和45年(1970年)に設立され、石垣港を基幹港として、与那国島を除く八重山各島に向けて運航しています。

 設立当時、船員として、島の海人(うみんちゅ=漁師)を集めたと言われています。

 何処でも同じですが、高速船は普通、時速換算で5~60㎞のスピードでかっ飛ばします。その上、海人精神がみなぎっちゃう安栄観光は、気合いが違います。
 もう、15年以上前ですが、安栄観光船に乗り西表島に行ったとき、船が上下にジャンプしながら進むということを初めて体験しました。
 まるで、離島に向かうアトラクションのようでした。

 
 八重山航路の運航は、他の会社も行っていますが、ほぼ同規模のライバルが八重山観光フェリーです。
 
 八重山観光フェリーは、船員が制服をピチッと着こなし、接客もスマートな印象なのに対し、安栄観光の船員は、かりゆしウエアなど服装もバラバラな蛮カラ風。

 八重山観光フェリーの船名は、「サザンコーラル」「サザンクロス」「にぬふぁぶし」など、おしゃれなのに対し、安栄観光は、つい最近までは「あんえい18号」「あんえい98号」などすべて番号。古い船には「第八あんえい丸」なんて書いてある箇所も。

 



 かつては、八重山観光フェリーとのダブルトラックで、特に竹富航路は、毎時00分と30分に両社の船が同時に石垣港を出発し、安栄観光船が八重山観光フェリー船をぶっちぎって竹富港に到着する、という光景が毎日繰り広げられていました。

 その頃は、仲間内で「飛行機がアンエイ状態」だとか、「あのバスがアンエイで」などというギャグが飛び交っていました。「アンエイ」とは揺れる、飛ばすの代名詞でした。

 クチコミなどで「海のハイウェイスター」とか「海の暴走族」とか、無茶苦茶言われながらも、島人や観光客に親しまれる存在だったように思います。





 数ある航路のうち、波照間航路に関してだけは、別会社の波照間海運が既に運航を行っていたことから、路線開設の認可が下りず、旅客定員12人以下の船舶で行う、不定期航路事業として運航を行っていました。

 安栄観光が、波照間航路用に用意した船は、「あんえい78号」。聞いた話では、全長が短く横幅が広いこの船は、時化た海には強いのだとか。
 この78号には、46名分の座席が備え付けられていましたが、会社は、これを改造することなく、旅客定員12人以下の波照間航路に投入します。


 波照間海運は、悪天候で運航を中止する際の条件を、波高2.5㍍以上としていたのに対し、安栄観光は、3㍍以上とし、そして、おそらくは、条件を律儀に守ったであろう波照間海運に対し、海人集団の安栄観光は、独自の判断で「大丈夫、行ける」という場面も多かったのだと思います。

 波照間航路は、ご存じのとおり荒れることが多いのですが、安全運航のためとはいえ、いつも早々と欠航を決める波照間海運に島人の不満は強く、「やはり安栄は頼りになる」などという風評が広がっていきます。
 一方、頼りにされた安栄観光は、不定期航路事業で旅客定員12人の路線にもかかわらず、ほぼ毎日旅客運航し、波照間海運が欠航したときなどは、船の物理的定員まで乗せるなど島人の期待に応えてきました。
 

 冒頭で紹介した、まっぷるマガジンのコラム記事は、まさに当時の島人の声そのもの。観光ガイド本なのに、よくぞ載せたと感心します。


 ところが、そんな安栄観光にも転機が訪れます。

 平成20年1月16日、いつものように海が荒れ、いつものように波照間海運が欠航する中、いつものようにあんえい78号は波照間港を出港し、いつものようにガンガン飛ばしていたら・・・
 折り悪く高波に遭遇し、いつもより激しくジャンプしてしまった結果、船内で怪我人が出てしまいました。

 海難審判庁は、事故原因を、強風にもかかわらず発航し、大幅減速を怠ったためなどと裁定し、あんえい78号の船長を戒告処分としました。


 こうしたことがあって、海上保安庁や、監督官庁である沖縄総合事務局運輸部から行政指導を受け、従来よりも慎重な運航、加速減速を強いられることとなり、また、設立当初の海人世代から、第2世代第3世代へと交替して行くという会社側の事情も重なり、かつての海のハイウェイスターは、牙を抜かれた虎となってしまいました。


 安栄観光の保有船も、新しいものは「ぱいじま」、「うみかじ」などというネーミングがなされ、蛮カラなイメージすらも変わりつつあります。



 現在、波照間航路以外は、ライバルの八重山観光フェリーとの共同運航になり、乗船券も両社共通で使えます。

 因縁の波照間航路は、波照間海運が解散し、八重山観光フェリーが就航していないため、今は安栄観光が単独運航するという、皮肉な結果となっています。

 色々あって、大人になった安栄観光。
 ハイウェイスターだった頃より、各航路とも2~5分くらい時間がかかるようになった気がします。

 でも、島人が安栄観光に寄せる期待は、今も昔も変わっていません。

 船が欠航すれば、即生活に影響が出る八重山の離島。これからも、島人のため観光客のため、頑張っていただきたいものです。



 その後の経緯については、こちらをご覧ください。(2021年10月追記)


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2017年2月6日月曜日

もしかして日本一綺麗な海かも 下地島17END西側




 海が綺麗な宮古島周辺にあっても、もしかしてここが一番綺麗かも、ひょっとして日本一かも、と思わせる、下地島北端西側の海。

 一般には、17ENDと呼ばれる場所です。



 この写真の、宮古島前浜は、東洋一といわれています。「東洋一なら当然日本一だろ」と言われれば、「ごもっとも」、としか言いようがないのですが・・・


 確かに、前浜は、言うまでもなく綺麗だし、砂山ビーチもいい勝負が出来るし、渡口の浜も負けてはいないし、そんなこと言い出すと、波照間島ニシ浜、黒島西の浜、竹富島コンドイ浜はどうなんだ、ということになっちゃいますが、でも、17END西側も、本当にホントッ~に綺麗です。

 これぞまさにコーラルブルー!な海の色。干潮でも満潮でも、常に安定してこの色の海が見られます。


 美しさの秘密は、砂です。17END西側には、珊瑚礁由来の白砂が堆積し、遠浅の海を形成しています。
 底が白砂の浅い海こそが、内地では見ることの出来ない、コーラルブルーの海であり、これこそが沖縄の海の色なのです。


  下地島空港が建設されたのは、沖縄復帰の翌年の昭和48年(1973年)のこと。

 島の北側部分は、埋め立てられ、波の影響を受けないよう、消波ブロックでガッチリ固められました。そのせいで、潮の流れが変わり砂付きが変わった結果、空港北端(つまり17END)西側に砂が堆積したと思われます。
 ちなみに、東側(佐和田の浜側)の海は、これほど綺麗ではありません。

(参照:沖縄県HP)


 つまり、空港建設の結果、今の海が出来たのです。もちろん、そんなこと計算して空港が設計されたはずはありません。

 そう考えると、自然とは、何と懐が深いのか。

 もっとも、空港建設前は、珊瑚礁の海だった可能性もあり、そこに砂が貯まったとしたら、単純に良かったとも言い難いのですが。


 海まで降りることが出来ますが、そのためには、消波ブロックを伝って行くしかありません。
 足下が悪いので、慎重にお願いします。怪我人が出たため、立入禁止のフェンスが出来た、なんてことにならないように、くれぐれも注意してくださいね。


 最期にうんちくをチョコッと。
 この一帯は、「17END」と呼ばれることが多いのですが、「17END」とは、地名ではなく、滑走路の名前です。

 滑走路は、飛行機の進入方向の方位を、真北から時計回りに測った角度の下一桁を切り捨てた01から36までの数字で表されます。

 下地島空港の滑走路は、北側から飛んで来る飛行機から見ると、ほぼ南の、北から約170度の角度の方向に向かって伸びているので、この滑走路の番号は、下一桁を切り捨てた「17」。
 その終端だからENDapproach end)というわけです。



 ちなみに滑走路は、反対方向からも進入出来るので、普通、一本の滑走路には、2つの番号が振られます。下地島空港の滑走路は、正式には「Ran Way17/35」となります。

 ここで、タッチ&ゴーがガンガン行われていた時分には、北側からのアプローチ(飛行機から見れば南方向へのアプローチ)が絵になるため、「17」が定着したのだと思います。

 Googlemapでは、「下地島空港RW17エンド」と記載されています。(RWは、Ran Wayの略)



 初めて連れて行った人にこんな話をしてみると、間違って尊敬されるかも知れませんぞ。笑