2016年5月31日火曜日

南大東空港 ワンダーランドの入口は癒やし系だった


 海を背景にした広い敷地に、小型機がポツン。
 南大東島にある、南大東空港です。

 南大東島=南大東村の生命線ともいえる、那覇からの航空便の到着。でも、この空港が賑わうのは、1日2回だけです。

 
 空港に到着して、預けていた手荷物を待ちます。


 奥のシャッターが、ガラガラと大きな音を立てて開くと、


 おじさんが、手で運んで来た。


 なんか、いいっすねぇ~。空港特有の緊張感というか、殺伐とした雰囲気がありません。鉄道ローカル線の駅みたい。


 チェックインカウンター、というより、搭乗手続きの窓口。
 懐かしい体重計が。
 体重を量る訳じゃありませんよ。これは、持ち込み荷物の重量を量るためのもの。
 多少の誤差は目をつぶる、的な感じでよいですなあ。


 搭乗口です。

 もちろん、ボーディングブリッジなんていう、お金のかかる設備はありません。飛行機まで、歩いて行きます。


 チェックインも、手荷物検査も、機内への誘導も、貨物の搬入も、恒例の出発時のお見送りも、同じメンバー。全部で3人位かな、が入れ替わり立ち替わり。
 でもまあ、1日2回のことですから。



 貨物の積み込みも、普通のトラックで。


 南大東空港(旧空港)は、元々日本軍の飛行場として建設されました。

 復帰直前の1970年に、民間機の定期路線が開設され、国産機YS-11が就航しました。
 滑走路は、1200メートルとされていましたが、これは、アメリカの規格で、日本の航空法の基準にあてはめると、実は、800メートルしか有効長がないことが判明。

 より小型のDHC-6(愛称「ツインオッター」)という機材に変更されたのですが、この飛行機は、定員が19人で、しかも、那覇空港で往復分の燃料を積んで重くなっているため(南大東空港で給油できないので)、那覇発の便には14人程度しか乗ることができませんでした。
 
 しかも、DHC-6は有視界飛行のため、航路の天候が悪いと欠航します。当時、南大東島行きの航空券の入手は、もの凄く大変だったそうです。

 なお、オッターというのは、カワウソの意味です。


 1997年に現空港が開港し、39人乗りのDHC-8が就航しましたが、同じ理由で、那覇発の便の定員は33名です。


 こちらが、旧空港のターミナル。


 北大東島にも空港があります。
 那覇と南大東島を結ぶ空路は、1日2便ですが、午前の便は、那覇・南大東島の単純往復、午後の便は、北大東空港に立ち寄ってから南大東空港に到着(若しくは逆順)します。

 南大東空港と北大東空港の間は、約12㎞。
 日本一短い空路です。
 しかし、この間の普通運賃は、8500円。おそらく、キロ単価の航空運賃日本一でしょう。
 ちなみに、この区間の搭乗で、8マイル貯まります。



 4月下旬の某日、何かと衝撃的で、笑劇的だった南大東島を、まさに後ろ髪を引かれる思いで後にしました。
 飛行機の窓からは、在所という島一番の集落と、サトウキビ畑、そして背景には紺碧の海が見渡せます。 


 窓際をよく見ると、
 わっ!何故にこんな所にハエが?
 那覇まで行っちゃうんだけれど、大丈夫なの?




 どうせほかの飛行機は来ないんだし、そこら辺に適当に駐めとけばいいじゃん。
 とか思うのですが、そうはいかんのでしょうな。

 ワンダーランド、南大東島の入り口は、何とものどかで、のほほんとした、癒やし系空港でした。




2016年5月27日金曜日

もしも沖縄で台風に遭遇したら 


 一部情報が古くなったので書き換えました。
  改訂版は、こちらをご覧ください。 



 沖縄旅行中、あるいは、出発直前に台風が接近したという想定で、航空機・船・宿探しに関して、必要と思われる事項をまとめました。
 ハンドブック的な使い方をしていただけるよう、工夫したつもりです。



航空機について

  主に大手のJALグループ、ANAグループに関しての話です。スカイマークやLCC利用の人は、参考として読んでください。

航空機の欠航を予測する

チェックポイントは、次の点です。

① 航空機は、空港が、風速25メートル以上の暴風圏に入ったら、飛ぶことはまずありません。RACのプロペラ機は、さらに早く欠航が決まります。ただし、実際の暴風域は、台風情報のような完全な円ではありません。空港、航空会社共、独自のデータを解析しています。

② 台風は、反時計回りに渦を巻くので、中心の北西側より、南東側の方が風雨が強くなる傾向があります。

③ 運航に関しては、台風が近づいている時は慎重な、遠ざかっている時は大胆な判断が下されるようです。

④ 意外ですが、航空会社ごとに判断が異なります。大まかな傾向としては、欠航を決めるのも運航再開を決めるのも、JALの方がANAより早いみたいです。

⑤ 台風の影響が収まっても、機材のやりくりがつかなくて欠航となることもあります。また、沖縄の各空港では、運航再開直後は、搭乗手続きが混乱し、大幅に遅延することもあります。


欠航の注意報レベル

 航空会社のホームページで「運航状況」・「発着案内」と進み、該当路線、例えば「石垣→沖縄那覇」を開くと、「台風の影響を受ける恐れのある便」に指定された旨、注記がされていることがあります。
 この場合、該当便は、手数料無しでキャンセル・便の変更が可能になります。航空会社が「ちょっとヤバイぞ」と考え始めた段階です。
(変更手続きについては、後述。)

 また、予約画面で、全便で空席が一席もない場合も要注意です。繁忙期で、元々すべて満席の場合もありますが、普通運賃で空席が一席もないことは少ないので、航空会社が、台風による混乱を避けるため、新規の予約は受け付けない(既に航空券を持っている人を優先して乗せるため)という判断を下した可能性があります。
 怪しいと感じたら、上記の「運航状況」を確認してください。
 午前中の便は、かなり空席があるのに、ある時間帯から全部満席という場合も同じです。


欠航の警報レベル

 台風接近が確実な場合、臨時便が出ることがあります。わざわざ臨時便を飛ばすということは、航空会社が「台風により欠航がでるだろう」と読んだということです。
 ただ、臨時便は機材繰りの都合もあるので、臨時便が出ないから大丈夫、というわけではありません。むしろ、臨時便はとどめの一撃に近いかも知れないので、もし出たら、これに振り替えて帰ることを、有力な選択肢の一つとすることをお勧めします。
 なお、臨時便は、欠航後運航再開時にも飛ぶことがあります。

 臨時便は、急遽決定され発表されます。各航空会社のホームページを、小まめにチェックしてください。



予約便の変更手続

 「台風の影響を受ける恐れのある便」に指定された場合、webでの変更が可能になります。
 先得・旅割など、本来変更が出来ない航空券でも、台風時の特例として変更が認められます。

 webでの変更ができないのは、
・ 元々web上で取り扱えない種類の航空券
・ 空席がない場合(web上での空席がない場合で、実際の空席の有無とは違うことがあります。)
・ 臨時便で、予約方法が指定される場合(「○○時から空港カウンターで予約を受け付けます。」などと指定されることが、たまにあります。)

 webでは思うように変更できない場合は、電話をするか、空港窓口で手続きをすることになります。

 電話・窓口では、航空券の種類によっては、JAL・ANA間の変更が効くこともあります。
 また、例えば、石垣→羽田の直行便の予約を、空席のある那覇経由に変更してくれることもあります。緊急避難措置ということで、大々的に公表されることはないので、確認してみてください。

  欠航が発表され始めた段階では、空港の窓口での手続きが確実です。混乱時は電話は繋がらないばかりか情報も遅いので、可能であれば窓口に並ぶことをお勧めします。窓口の職員の方が非常時の対応に、広い裁量が与えられているように感じます。


※  行きの便が飛ばなかったので、沖縄旅行を中止した際、、行きと帰りで航空会社が異なるときは、帰りの便を手数料無しでキャンセルするには、行きの便の欠航証明、無搭乗証明を求められる場合があります。
 行きの便をキャンセルする段階で、帰りの便が違う航空会社であることを申し出て、手順を確認しておいた方がいいでしょう。



欠航したときの空席待ち 

  台風で欠航が生じた場合ですが、以下に述べることは、航空券を個人手配した場合や、ツアーの場合でも、あらかじめ便が指定され航空券を持っているケースでの、沖縄の各空港の対応です(団体ツアー等は旅行会社の指示に従ってください。)。

 台風で航空機が欠航になった場合、JAL・ANAに関しては、予約を振り替えるのではなく、空席待ちをしてもらって、運航再開後順番に送り出す、というのが基本です。
 したがって、予約便が欠航になったら、何はさておき、真っ先に空港の窓口で空席待券を入手してください。
 先着順で台風時の「特別空席待券」が、番号1番から順次発券されます。この順番が運航再開後重要になってきます。

 その際、欠航便の航空券は、その種類にかかわらず効力が継続している扱いになります。
 先得・旅割など変更のできない航空券でも、失効しませんから、一旦払い戻しをして新たに購入する必要はありません。特典航空券も使っていない状態として扱われます。この欠航便の航空券と空席待券で、運航再開後に順番に搭乗できるシステムです。


空席待ち搭乗

  運航が再開されると、既にその便の予約を持ってチェックインした人の残りの分が空席として解放され、空席待券の番号1番の人から順次呼ばれます。
 空席待ちの人が、30人乗れたとすると、31番の空席待券を持っていた人は、次の便の空席待ちをすることになります。
 一度もらった番号は呼ばれるまで有効で、何百番であっても空席待ちの人が掃けるまで有効です。


空席待ちの時の注意点

  空席待ちは、空港で、自分の番号が呼ばれたときにその場に居ないとその番号は飛ばされます(再発行はしてくれますが、後回しになります。)。そのため、いつ呼ばれてもいいようにずっと空港で待っていれば確実です。
 ただ、混雑する空港カウンター付近に居続けることができない場合もあると思います。次の点に注意し、待ち時間を少しでも有効に使ってください。

① 現時点で何番の番号まで呼ばれたか、空港のカウンターに表示されますので、いつ頃呼ばれるかは、自分の番号と運航便を見れば大雑把には分かります。
② 電話で問い合わせにも応じてくれることもありますが、電話自体が繋がらないこともあります。
③ 呼ばれる時間は決まっていて、便出発の15分前とか30分前などと指定されます。ただし、実際には、混乱のため表示時刻より大幅に遅れて呼ばれることもあります。
④ 臨時便が飛ぶことがあり、この場合一気に順番が進みます。

  なお、空席待ちの時は、大抵空港に大勢の人が集まり大混乱になっています。列に並ばなければならないのか(発券、搭乗手続きなど)、声が聞こえる場所に居ればいいのか(空席待ちの呼び出しなど)、落ち着いて状況判断してください。

  


空席の発生

  空席待ちをしても、元々予約を持っている人が優先なので、ほんの僅かの人しか乗れないのではないかと不安になるかもしれません。
 しかし、こうしたケースの多くは、混乱を避けるため、運航再開直後の便では新規の予約を受け付けておらず、その一方、台風によるキャンセルも相当数発生しているはずなので、実際の空席はかなりあるのです。

 加えて、先ほど述べたように、臨時便を出すこともあるので、遅い番号の空席待券であったとしても、帰れるまで何日も待つということはありません。
 那覇空港では、千人以上の羽田行き空席待ちを、臨時便の運行も含め1日で捌くことはよくあります。石垣空港では那覇行きの空席待ちをしていた2千4百人以上を、運行開始後1日半で送り出したこともあるそうです。


予約を受けてくれるケース

  空港窓口で、少し後の便、例えば、翌日の最終便まで待てば、予約を取ってくれることがあります。これは、その頃には、台風の影響も収まり混乱も解消するだろうとの見込みで、予約を受け付けるのです。
 もし、その便でもよければ、予約だけし(購入はせず)、欠航便の航空券で搭乗できます。
 そこまでは待ちたくないが、さりとて、いつ乗れるのか分からないのも困るという場合は、空席待券ももらっておいて、空席待ちをし、運良く乗れたら、乗ってしまえばよいのです。

  なお、欠航便の航空券が有効なのは、原因となった台風による混乱が収束するまでなので、これ幸いとばかり、ずっと後の便を予約すると無効になります。老婆心ながら。


その他

  空席待ちは、通常は保安検査を済ませ、搭乗ロビー内で受け付けますが、台風時の沖縄の各空港では、チェックインカウンター付近に特設会場が設置されます。
 空席待ちは、空港に多くの人が押し寄せ、しかも、長期戦になる可能性があります。
 床に座り込み、食事やトイレを気にしつつ、ケータイ充電も不安、といった状況が長く続きます。
 旅慣れた人、空席待ち自体も旅の一部・ネタと考えられる人はともかく、一般の人、特に小さな子供連れの人は、そもそも空席待ちをしなくて済むように、早めに帰るか、旅行自体を中止するという決断も必要と思います。




離島船舶について

八重山の離島の場合

  台風が接近しつつあるとき、八重山の各離島に居る場合は、取り敢えず石垣島まで戻ることを強くお勧めします。泊まっている宿でも勧められると思います。
 強い台風が八重山を直撃した場合、竹富島や小浜島で2日程度、波照間島では4日程度、島に閉じ込められる可能性が高いからです。

 石垣島でも宿に閉じ込められる点では同じですが、それでも、次の点で有利です。
① 船より先に、飛行機が運航再開されることが少なくない。
② コンビニなどもあり、食料品・日用品等を確保しやすい。
③ 風が小康状態になれば、買い物や食事程度はできる。
④ 停電した場合でも、離島より早く回復することが多い。


離島航路の欠航

  八重山離島航路では、波の高さが2.5メートルを超えたころからデンジャラスゾーンに突入します。
 大概、まず、波照間航路が、次に、上原航路(鳩間島を含む)が欠航になります。西表島に関しては、大原航路が運航されている限り上原~大原間のバス輸送が行われます。

 各航路共、当日朝に、船会社のホームページで、通常運航・欠航・未定の表示がされます。
 明日が危ないかも知れない、という場合は、石垣島なら離島ターミナルの窓口で状況を聞く、離島滞在中なら宿の人に聞いてもらうなどして、情報収集に努めてください。
 
  台風が接近してきた場合に、各船会社は、何とかギリギリまで運航してくれることがあります。離島に取り残された観光客を石垣まで輸送するための特別措置ですが、荒天の中なので、いつもより揺れたり時間がかかったりします。

宮古島や本島周辺の場合

  宮古島に関しても、強風で伊良部大橋、池間大橋、来間大橋が通行止めになる場合があることに注意してください。台風の時に、車で行けるからと軽い気持ちで橋を渡って遊びに行かないよう気をつけてください。
 来間島や伊良部島など、宮古島以外の宿に泊まっている場合で、航空機の空席待ちをしたい、空席待ち券をもらいに宮古空港に行きたい場合なども要注意です。泊まっている宿の人に相談してください。
 なお、橋の通行止めは、「○時から」と事前に予告され、地元のラジオ放送などで告知されているようです。

  慶良間諸島など、本島周辺の離島も事情は同じです。慶良間に関しては、高速船・フェリーの順で欠航になりますので、高速船が止まったら、何とかフェリーに乗って戻ることを考えてください。



宿探しについて

混乱しやすい石垣島

 八重山の離島から、予定を変更して石垣島に戻る場合に問題となるのが、宿の確保です。
 石垣島では、これから台風が来そうだという場合、飛行機で石垣島に到着し各離島に宿泊を予定していた人が、急遽予定を変更して石垣島で宿を探す一方、各離島から予定を切り上げて石垣島に戻った人も宿を探すので、一時的に混乱します。片っ端から電話してもどこの宿も満室と言われて焦ることがあります。

 しかし、宿側が電話を受けた時に満室であっても、台風のためキャンセルの連絡を入れる人も少なからず居るはずなので、再度電話すると予約できることもあります。
 ただ、宿に「空きが出たら連絡してほしい」と頼んでもおそらく対応してもらえません。客が混乱しているのと同じで、宿側も混乱しているからです。

 石垣島では毎年こういう事態を経験していて、ノウハウがあります。観光協会も宿探しをフォローしてくれます。宿が見つかない観光客で騒動が起きた、などというニュースは聞いたことがないので、あわてず落ち着いて行動してください。


宿の探し方

  とっさのことで宿情報も少ないと思いますが、石垣空港・石垣島離島ターミナル・宮古空港・那覇空港1階のコンベンションビューローには、宿のパンフレットや、宿情報も載っている観光ガイド(フリーペーパー)が置いてあります。旅行ガイド本やweb検索情報も参考にして、まずは目当ての宿に直接電話をかけましょう。

 船や航空機が欠航して先に進めなくなった場合は、前日もその島に泊まっていた場合は、その宿に連絡する手があります。自分が先に進めない以上、新しい人も来られない可能性が高いからです。

  上手く予約が出来ない場合、観光協会などを通じて宿をあっせんしてもらうこともできますので、まずは地元の関係者に声をかけ、台風で急に宿を探しているがどうしたらよいか、訪ねてください。親身になって解決方法を探してくれると思います。

 なお、台風時の宿泊の問い合わせ先について、石垣島では「石垣市観光交流協会」「石垣市役所観光課」を、宮古島では「宮古空港観光案内所」を指定しています。


 石垣市観光交流協会 0980-82-2809  
 宮古空港観光案内所 0980-72-0899
 (いずれもH29.6現在)


宿探しの注意点

  宿を探す場合は、場所に注意です。心理的に追い詰められることもあり、泊まれれば何処でもいいやと思いがちですが、今居る場所からどうやって行くか(徒歩かタクシーか那覇ならモノレールか)、翌日の行動(空港に行く、港に行く)にどうやって移るか、冷静になって考えておく必要があります。

  空室が有ったら、値段を聞くのもお忘れなく。後で気まずい思いをしないために、あらかじめ確認しておく方がベターです。台風だからといって吹っ掛けられたりすることは有りません。むしろ、ホテルなどでは、台風時に、安い特別価格で部屋を提供してくれることもあります。

  宿で食事を取るかどうかも重要です。食事が付くか否か、外に食べに行けるかどうかも考え、場所によっては、事前にコンビニなどで食料を確保しておくことも必要となります。
 もっとも、相当荒れた天候でも、居酒屋が開いていて客が居るのが沖縄という所ではありますが。


総括


  確かに7月から9月の沖縄は、台風と遭遇する確率が内地と比べて高いのですが、航空機が欠航するような台風は、沖縄といえども、そんなに来るものではありません。
 基本的な心構えとしては、早めの対応と冷静な行動です。休みの関係で絶対にその日までに帰らなければならない場合は、日程を繰り上げて帰るか、そもそも行くのを止めるという思い切った決断も必要です。

 台風で航空機や船が欠航しても、焦らないことです。
 沖縄の観光業界関係者は、台風時の対応ノウハウを持っています。落ち着いて相談し、指示に従ってください。あとは、幸運を祈りましょう。


おわりに


 台風に関しては、実体験も含め、これまで様々な記事を書きましたが、今回は、現地で台風に遭遇したときに、見ていただければ役に立つ情報、としてまとめました。

 過去記事については、キーワード検索で「台風」と入力していただければ、リアル体験談など、様々な台風関係の記事が出てきますので、よかったらご覧ください。
 
  
 元になった記事は、平成21年8月、沖縄で台風につかまった自分を含む4人の経験をwebsiteに公開したものです。
 平成23年・25年夏の経験を加味したほか、その後も都度、微修正を加えたものを、さらに書き直して当ブログに持ってきました。

 航空券の扱いなどは、制度が変わることも有り得ますので、不明な点は、航空会社等に確認してください。情報をいただければ、それも反映できますので、ご協力ください。


(H29.4一部修正)
(H29.6一部修正)



2016年5月23日月曜日

宮古島で雨に降られたら・・・の補足


 「宮古島で雨に降られたら何をすればいい?」という記事を、2年半ほど前に書いたのですが、今回その補足というか、実際に雨の日に酒蔵見学をしましたので、それをレポートしておきます。


 今回行ったのは、多良川酒造(株式会社多良川)。宮古島の南部です。
 予約なしでいきなり行きましたが、OKでした(詳細は、同社のサイトで確認してください。)。


 まず、多良川の製造工程のビデオを見ます。15分くらい。
 その後、工場見学ができる時もあるらしいのですが、この日は、泡盛の洞窟貯蔵庫に案内されました。
 

 暗いジメジメした洞窟内に、委託されて大量に寝ている瓶の泡盛。

 
 電球の傘についた、黒い埃のような物体は、黒麹菌です。洞窟にには、多良川の麹が棲んでいます。
 この、ぷーんと鼻につく麹の香りが刺激的。
 先ほど見たビデオで、米が麹により発酵する様子が思い出されます。多良川を造るのは、この黒麹なんですね。


 ゆっくり話も聞け、正直、思ったより楽しい時間でした。
 沖縄好きというより、酒好きの人にはちょっといいかな、という感想です。
 今宵、泡盛をじっくり嗜みたくなりました。

 酒に詳しい人、日本酒の造り酒屋などを見たことがある人は、泡盛って、大量生産するんだな、という感想を持たれるかも知れません。




 ついでに、もう一件、行ったのは晴れている時でしたが、併せてご紹介。
 仲原(なかぱり)鍾乳洞です。


 宮古島で鍾乳洞は、ここと保良泉鍾乳洞(パンプキンホール)しかありませんが、パンプキンは、海からしかアクセスできないので、雨の日でも行けるのはここだけ。

 
 洞内の写真撮影は禁止だったので、ここまで。

 入場料500円。
 入ってみた感想はというと、う~~~~~~~ん。

 縁結びのパワースポットなんだそうです。それを信じて行ってみるかどうかですな。

 場所は、旧城辺村の仲原地区。宮古島の一番南側を走る県道235号線と、国道390号線の間。県道に小さな案内表示があるので、それを頼りに行きますが、かなり分かりにくい。

 ガイドブック宮古島にも出ていない、GoogleMapでも検索できない謎の鍾乳洞。
 ここに行ったことのある人は、宮古島フリーク・カテゴリー5クラス。でも、そう言われると行ってみたくなりません?笑

 


 「雨の沖縄」というキーワードで検索をかけると、沢山のサイトがヒットしますが、「雨だって大丈夫、楽しいことがいっぱいあるよ。」的な、前向き?な案内が多いようです。

 でも、綺麗な宮古の海で泳ぐつもりだった、ドライブを楽しみにしていた、という人にとっては、ハッキリ言って、替わり得る遊び方はありません。
 
 晴れていれば海遊び優先だけれど、この際だから、気になっている○○へ行ってみようかな、そんな感じの場所があれば、それこそこの際ですので、行ってみてください。
 でも、自分自身が、あまり乗り気でないことを、無理してする必要はありません。
 何もしないで、天気の回復を待つか、捲土重来を期す、というのもまた雨の日の過ごし方です。



 さらに言えば、島の天気予報は当たらない、とは誰でもが言うことなので、諦めるのはまだ早いかもです。
 気象台が晴れを出しても、ウエザーニュースは雨の確率60%、NHKと民放じゃ予報が違うぞ、なんてこともザラです。
 しかも、島の天気は変わりやすい。
 台風が近づいているのに、天気図では前線が島の真上にあるのに、イレギュラーに晴れた、などということも、たまにあります。

 そこで、天気予報そのものではなく、気象庁が発表している、「気象衛星画像」や「レーダー・降水ナウキャスト」の、リアルタイム情報を見て天気を読んで、行動の参考にしてください。
 島の、おじぃ・おばぁ、海人や農家の人は、風や雲の動きで天気を判断しています。
 
 せっかく晴れてきたのに、飲んだくれて寝ていた、なんてことにならないように・・・ま、それはそれで楽しいかも知れませんが。

  

 なお、大元の「宮古島で雨に降られたら何をすればいい?」の記事は、こちらから。

 http://miyakoyaeyama.blogspot.jp/2013/11/blog-post.html




2016年5月18日水曜日

不思議の島にあった普通の観光地 南大東島星野洞



 秋芳洞も龍泉洞も龍河洞も、沖縄の玉泉洞も行ったけど・・・
 あまり記憶がない。
 なので、ここが、鍾乳洞としてどのくらい凄いのか凄くないのか分からないのですが、単純に良かったです。見る価値はあると思います。

 ただし、絶海の孤島、南大東島ですが。


 星野洞。不思議の島・ワンダーランドな南大東島にあって、ほとんど唯一、と言ってもいい一般的な観光名所です。
 入場料は、800円。南北大東島を通して、唯一の有料施設だと思います。



 入場券を買うと、懐中電灯の外に、首から提げるモバイル端末とワイヤレスのヘッドホンを渡されます。
 番号が記された場所で、モバイルの該当番号をタップすると解説が聞ける仕組み。
 う~ん。凄い。
 ちょっと前までは、ラジカセだったそうで、そっちは別の意味でも凄い。

 でも、解説聞いているより、ただ、眺めてる方が落ち着いて鑑賞できる。途中で解説聞くのは止めました。


 ま、どんなものか、ちょっと見てください。
 


 しかし、最近のデジカメって凄いですね~
 「手持ち夜景モード」とかいうのがあって、三脚なくても、フラッシュ炊かなくても、それなりに撮れちゃう。
 ちなみに、撮影禁止なんて無粋なことは言われませんでした。
 

 シルエットが観音様みたい。「いいことありますように。南無南無。」


 「星野洞」という名前は、元々は星野さんという人の所有地にあったからだとか。
 星野さんといっても、あのリゾート開発の星野さんではありません。

  
 洞の中は、入った時はヒンヤリと感じましたが、歩いているうちに、やがて汗がほとばしります。よほど湿度が高いのでしょうね。


 ここが、入り口。なだらかな坂をずっと下って行きます。
 右側通路は、帰り(登り)専用の動く歩道。こんなところに金をかけなくたっていいのにねえ。笑


 隆起珊瑚礁の島が多い沖縄は、鍾乳石が発達しやすい環境にあり、中小規模の鍾乳洞があちらこちらにあります。
 南大東島にも、小振りのものは多数あるそうですが、ここは、スペシャルな空間です。

 とは言え、冒頭に書いたように、日本全国の数ある鍾乳洞の中で、どのくらい凄いのか凄くないのか分からないし、まして、絶海の孤島まで行かなければ見られないので、お勧めしていいのかどうか迷います。
 ただ、特筆すべきことは、この神秘な空間には自分一人しか居ない!という可能性がとても高いということです。




 あまりに訪れる人が少ないので、係員がどこかに行っちゃってるためか、あらかじめ役場に電話予約するよう、勧められています。
 自分の時は、予約なしで行ったのですが、近くの東屋のベンチで、寝転がって本を読んでいた人が、すっ飛んできました。(おっと、これは極秘事項か。)


 那覇から約400㎞。沖縄に行く人が普通期待する、コーラルブルーのビーチなど全くない絶海の孤島で、びっくりぽんで、ワンダーランドな南大東島。
 星野洞にしろ、シュガートレイン跡にしろ、そっちの世界のマニアにとっては、そのためにわざわざ行かなければならない、「ありえへん」島でもあるのでしょうか。
 

 


2016年5月13日金曜日

沖縄都市モノレール・ゆいレールの正しい使い方



 鉄道ネタが続きますが、今回は、現役の方のお話です。
 沖縄唯一の鉄軌道系の公共交通として、ゆいレールが開通して10年ちょい。那覇市民や観光客の足として、完全に定着しています。

 移動手段がバスとタクシーだけだった頃に比べれば、格段と便利になったことは間違いないのですが、10年以上続いて、この状態に慣れてしまうと、それなりに不満も出てくるもの。


 たまにしかゆいレールを使わない観光客の人向けに、色々細かい情報をお伝えしようと思いますが、そもそも、始めから期待しすぎず、それなりのものだと思って乗れば、不満も起こらないのではないでしょうか。笑



 まず、ゆいレールは、思いのほか混雑します。

 ホームに並ぶ客の数は、大都市の鉄道駅と比べて、ホンのわずかですが、何しろ小型車両の2両編成。本数も、平日朝夕を除いては、10分~12分間隔。

 そして、那覇空港駅から乗ってくるのは、もちろん、大半が飛行機で飛んできた人。荷物が大きいのです。特に最近は、外国人観光客が多く、荷物も益々巨大化しています。

 あれだけの大人数でも、バッサバッサと捌く羽田モノレールと比べれば、アスリートと中学生くらいの違いがあります。
 


 下り、那覇空港駅発。
 那覇空港駅を出発すると、赤嶺・小禄・奥武山公園・壺川・旭橋・県庁前・美栄橋・牧志・・・の各駅に停まります(各駅停車しかありません)。

 一方、小禄駅辺りから、地元の利用者が乗ってきます。荷物の多い観光客は、まずホテルに向かうのでしょうが、ホテルが多いのは、旭橋駅~牧志駅の間。したがって、この区間が最も乗り降りに苦労する区間です。

 赤嶺駅から奥武山公園駅までは、進行方向右側のドアが開き、壺川駅・旭橋駅では左側、県庁前駅からまた右側ドアとなります。

 もし、壺川駅で降りる人は、始めから進行方向左側のドアに張り付いていればいいのですが、それ以外の人は、降りる駅で、大きな声を出して降ろしてもらうしかなさそうです。地元利用者も、慣れているので協力的です。
 むしろ、何も言わずに一人でガサゴソする方が、周りに迷惑をかけることにもなります。
 


 上り、那覇空港行き。
 観光気分で浮かれていると、当然のことをつい忘れてしまいます。平日の朝、ゆいレールにも通勤ラッシュがあります。

 大きな荷物を持ってホームで待っていると、ほぼ満員のモノレールが入線して来て、ガビーン!なことに。
 これまた、大声で「乗りまあ~す。」と叫んで隙間を作ってもらうしかありません。
 
 首里駅方面から乗って来る地元利用者は、県庁前駅でかなり降ります。なので、もし、平日の朝に、大きな荷物を抱えて那覇空港から飛行機に乗らなければならない場合、県庁前駅から空港寄りの駅近くのホテルを選ぶ方がいいと思います。

 エレベータの争奪戦も結構熾烈です。特に、上りの那覇空港駅到着時は、大きな荷物の観光客が集中しますので、スムーズにエレベータで荷物を下ろすために、最前列のドア付近に乗ってください。
 那覇空港駅のエレベータは、進行方向に向かって前の方に1基だけです。



 ゆいレールの駅施設は、質素です。
 基本的に、改札階が2階、ホーム階が3階となっていますが、エスカレータがあるのは、各駅2階から3階への上りが1基のみ。それも、幅が狭く、人が一人乗れる幅です。
 ホーム階からの下り、地上からホーム階への上り下りは、階段とエレベータのみ。運が悪いとエレベータ待ちをしなければなりません。
 ホーム自体も狭いです。待合室的なスペースもありません。
 改札階の駅構内が広い駅もあるのですが、せいぜい飲料の自販機があるかないか。

 でも、これはやむを得ないことではあるのです。過大な需要予測に基づく、過剰な設備投資をして赤字に苦しむ、首都圏近郊の新交通システムに比べれば、謙虚な姿勢であると、前向きに評価できるのではないでしょうか。

 と、まあ、理屈はともかく、新しくできた交通機関の施設としては最小限の規模で、駅は切符を買って、電車が来るのを待つ以外の機能はないと思ってください。


 那覇空港駅の切符売り場。飛行機到着時は、混むんですよね~これがまた。せめて、1列並びに誘導してくれればいいのに。


 ゆいレールでは、Suica・ICOCAといった鉄道系ICカードが使えません。

 代わりにOKICAという、専用のICカードが作られました。しかし、これは、導入後約1年半が経過した今でも、ゆいレールと一部の地元バス路線のみしか使えないという、極めて使い勝手の悪い代物。

 しかも、以前使えた磁気カードは、OKICA導入とともにあっさり使用停止となり、今では窓口による払い戻しのみ。
 首都圏でかつてあった、イオカードやパスネットは、販売停止後しばらくは、そのまま自動改札で使え、その後も数年間は自動券売機で切符が買えたのですが、そんなサービスはなし。
 直前まで売ったくせに。

 こんなことをされると、OKICAを購入しても、翌年行ったときには、「別のカードに変わったので使えません。」なんてことになっているかも知れず、利用する気にはなれません。


 OKICA導入後、乗車券もQRコード風になりました。下車しても回収されません。


 その一方、「一日乗車券」、これは、使えます。
 普通、一日乗車券といえば、暦日券なのですが、ゆいレールは気前よく24時間券なのです。これで700円。
 特に市内観光まではしなくでも、一旦ホテルでチェックインした後、飲食や買い物に国際通り周辺をぶらついて、翌日また空港へ、などという場合にはお得です。1200円の48時間券もあります。



 ところで、前回のシュガートレインの記事もそうですが、鉄道と軌道がゴチャゴチャになってしまいましたので、整理すると、鉄道と軌道は、基の法律の違いです。
 鉄道事業法の適用を受けるのが鉄道、軌道法の適用を受けるのが軌道です。

 実質的な違いは、主に専用路線を走るのが鉄道、道路施設と併用するのが軌道です。

 路面電車が軌道の典型例で、道路の地下を走っている地下鉄も、多くは軌道です。ゆいレールは、用地買収をしなくてすむよう、主に公道の敷地の上などに造られているので、軌道です。
 南大東島シュガートレインは、正式には軌道となっていましたので、おそらくは、線路と道路は共用だったのでしょう。

 鉄道と軌道をまとめて言うときは、「鉄軌道」となります。

 

 文句ばっかり言っていますが、ゆいレールができて便利になったことには、間違いありません。

 以前は、那覇空港に着いてから、市内のホテルに行くには、バスかタクシーを利用するしかありませんでした。
 
 バスは、渋滞や混雑で時間が読めないし、タクシーは高いし。
 しかも、那覇空港のタクシー乗り場には、一時に乗客が殺到するので、乗るまでが大変でした。タクシー自体は何百台と待っていたのですが。

 それに、ゆいレールは、高いところを走るので、見晴らしが抜群です。この点は、地元でも高く評価されており、地下鉄でなくて本当によかったと思います。
 上り那覇空港行きが、赤嶺駅を出発し、右に大きくカーブを切ると、左手に海が見えてきて、歓声があがることすらあります。

 それを考えれば、多少混雑しても、多少もたついても、荷物を抱えて階段の上り下りをしても、決して文句を言える筋合いではないのです。
 人間、だんだん贅沢になるもので。おっと、それは自分だけ?



 現在のゆいレールは、首里駅が終点。
 こんな形で、大胆にぶち切れていますが、浦添方面にあと4㎞ほど延伸計画があります。



2016年5月9日月曜日

最果ての廃線跡を歩く 南大東島のシュガートレイン



 鉄道の廃線跡巡りがブームだそうで、書店に行けば、廃線巡りのガイド本や廃線跡写真集なんかも並んでいます。
 旧国鉄の赤字線など、今は無き鉄道の線路跡が、そのまま残っている場所を探して歩く旅です。

 それにしても、まさかこんな所に鉄道があったとは!?


 大東糖業南大東事業所砂糖運搬専用軌道、通称南大東島のシュガートレインです。



 驚くべきことに、那覇から約400㎞も離れた、周辺には、北大東島を除いては島もない絶海の孤島に、線路が敷かれ、機関車がサトウキビを運んでいたのです。

 それも、大昔ではありません。ホンの30年ほど前までは、こんな光景が見られたのです。
(竹内昭著「南大東島シュガートレイン」岩崎電子出版からの引用)


 何故、わざわざ鉄道?と思われるかも知れませんが、動力車にパワーがなかった昔は、鉄の線路の上を鉄の車輪を滑らせて走る鉄道は、人や物資の大量輸送に適していたのです。

 八丈島の開拓団が、南大東島で製糖事業を始めた当初から、すでに線路が敷かれ、手押しのトロッコによるサトウキビ輸送が行われていたそうですが、1916年に事業を引き継いだ、東洋製糖(後に大日本製糖が継承)が、事業拡大のため手押し軌道を廃止し、軌間762mmの蒸気機関車による軌道に置き換え、1927年頃には約29Kmに及ぶ線路が敷設されました。

 戦争で、製糖工場もろとも破壊されましたが、1950年に大東糖業という会社が設立され、廃墟となった大日本製糖の工場施設を再整備し、1951年3月に南大東事業所として操業を開始、併せて、シュガートレインを復旧させ、ディーゼル機関車を導入して、鉄路によるサトウキビ輸送が再開されました。


 
 廃止されたのは、1983年。国鉄がJRになるちょっと前の時代です。
 那覇市にあった沖縄県営鉄道が、戦争で破壊され二度と復活しなかったことを考えれば、絶海の孤島、それも外周20㎞あまりの小さな島に、再び鉄路が甦ったのは奇跡的だと思います。


 今も、南大東島内に静態保存されているディーゼル機関車。


 こちらは、2004年に撮ったもの。同じものですが、劣化が進んでいることがよく分かります。


 保存されているのは、ディーゼル機関車8号機です。こちらは、現役当時の勇姿です。
(同引用)


 客車です。メインはサトウキビの輸送ですが、わずかながら旅客輸送もしていたようです。機関車に比べると状態がいいのは、復元車だから。



 廃線跡を巡ってみました。
 島で配布されている観光マップに、線路跡が何箇所か表示されていたので、それを頼りに自転車で辿ってみました。

 いずれも、道路脇の行きやすい場所ですが、サトウキビ畑の中にも、まだまだ遺構が残っていそうな感じがしました。


 もし今、ここをガタガタ音をたてながら、貨物列車が通過していたら、こんな絶海の孤島でも鉄道マニアが大勢カメラを構えたことでしょうね。


 西港に続く西線。左方向が海ですが、防風林に守られて線路が敷かれていました。
(同引用)

 今は、遊歩道になっています。


 国の一括交付金を利用して、観光鉄道として復活させる計画がありましたが、さすがに採算度外視というわけにはいかず、頓挫したようです。



 廃車され、放置されたままのディーゼル機関車。2004年に撮ったものですが、今は撤去されています。 


 日本は広い。と言う前に、沖縄は広い!

 行き慣れた宮古・八重山と同じ沖縄の離島。暑いし、ハイビスカスも咲いているし、オリオンビールも普通に売っている。
 でも、南大東島は、自分にとってワンダーランドでした。