鉄道の廃線跡巡りがブームだそうで、書店に行けば、廃線巡りのガイド本や廃線跡写真集なんかも並んでいます。
旧国鉄の赤字線など、今は無き鉄道の線路跡が、そのまま残っている場所を探して歩く旅です。
それにしても、まさかこんな所に鉄道があったとは!?
大東糖業南大東事業所砂糖運搬専用軌道、通称南大東島のシュガートレインです。
驚くべきことに、那覇から約400㎞も離れた、周辺には、北大東島を除いては島もない絶海の孤島に、線路が敷かれ、機関車がサトウキビを運んでいたのです。
それも、大昔ではありません。ホンの30年ほど前までは、こんな光景が見られたのです。
(竹内昭著「南大東島シュガートレイン」岩崎電子出版からの引用)
何故、わざわざ鉄道?と思われるかも知れませんが、動力車にパワーがなかった昔は、鉄の線路の上を鉄の車輪を滑らせて走る鉄道は、人や物資の大量輸送に適していたのです。
八丈島の開拓団が、南大東島で製糖事業を始めた当初から、すでに線路が敷かれ、手押しのトロッコによるサトウキビ輸送が行われていたそうですが、1916年に事業を引き継いだ、東洋製糖(後に大日本製糖が継承)が、事業拡大のため手押し軌道を廃止し、軌間762mmの蒸気機関車による軌道に置き換え、1927年頃には約29Kmに及ぶ線路が敷設されました。
戦争で、製糖工場もろとも破壊されましたが、1950年に大東糖業という会社が設立され、廃墟となった大日本製糖の工場施設を再整備し、1951年3月に南大東事業所として操業を開始、併せて、シュガートレインを復旧させ、ディーゼル機関車を導入して、鉄路によるサトウキビ輸送が再開されました。
廃止されたのは、1983年。国鉄がJRになるちょっと前の時代です。
那覇市にあった沖縄県営鉄道が、戦争で破壊され二度と復活しなかったことを考えれば、絶海の孤島、それも外周20㎞あまりの小さな島に、再び鉄路が甦ったのは奇跡的だと思います。
今も、南大東島内に静態保存されているディーゼル機関車。
こちらは、2004年に撮ったもの。同じものですが、劣化が進んでいることがよく分かります。
保存されているのは、ディーゼル機関車8号機です。こちらは、現役当時の勇姿です。
(同引用)
客車です。メインはサトウキビの輸送ですが、わずかながら旅客輸送もしていたようです。機関車に比べると状態がいいのは、復元車だから。
廃線跡を巡ってみました。
島で配布されている観光マップに、線路跡が何箇所か表示されていたので、それを頼りに自転車で辿ってみました。
いずれも、道路脇の行きやすい場所ですが、サトウキビ畑の中にも、まだまだ遺構が残っていそうな感じがしました。
もし今、ここをガタガタ音をたてながら、貨物列車が通過していたら、こんな絶海の孤島でも鉄道マニアが大勢カメラを構えたことでしょうね。
西港に続く西線。左方向が海ですが、防風林に守られて線路が敷かれていました。
(同引用)
今は、遊歩道になっています。
国の一括交付金を利用して、観光鉄道として復活させる計画がありましたが、さすがに採算度外視というわけにはいかず、頓挫したようです。
廃車され、放置されたままのディーゼル機関車。2004年に撮ったものですが、今は撤去されています。
日本は広い。と言う前に、沖縄は広い!
行き慣れた宮古・八重山と同じ沖縄の離島。暑いし、ハイビスカスも咲いているし、オリオンビールも普通に売っている。
でも、南大東島は、自分にとってワンダーランドでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿