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2021年9月27日月曜日

「道の駅許田」が拡張されてさらにおまけも

 


 那覇から美ら海水族館や本部方面に車で行く人が、ほぼ必ず通過する国道58号線の名護市許田(きょだ)。 
 
 そこにある「道の駅許田」が拡張工事中です。海側(名護方面に向かって道路左側)にも駐車場が整備され、右折信号もなくなり格段と便利になります。


 ただ、広くなって便利になったというだけでは、わざわざ取り上げる必要もないのですが、車を駐めてふと見ると、そこには何とも綺麗な沖縄の海が。



 いやいや、驚きました。こんな綺麗な海だったんですね。

 今までは、見たとしても通過中の車窓からチラッとだけ。

 何しろ、高速の出口に近い片側2車線の見通しのよい道路。みんなガンガン飛ばしますから、ちょっと路肩に車を駐めて・・・なんて絶対に無理でした。

 本当にいいところに駐車場を造ってくれました。





 ついでに紹介すると、トイレも見違えるほど広くなりました。



 道の駅許田は、沖縄自動車道の終点、一般道に合流したすぐのところにあって、実質パーキングエリアの役割を果たしており、美ら海水族館の割引入場券が買えることもあって、いつも混んでいました。

 また、下り方面は、右折信号で入るため、時として道の駅渋滞ができるほど。

 今回の工事で、下り車線左側に駐車場が整備され、橋を渡って行く方式になりました。エレベータも設置されます。

 ただし、道の駅本体は、今のところ昔のまんま。





 道の駅許田で食べたアーサーそば。生アーサにアーサの天ぷらまでドッチャリ。



 道の駅許田は、沖縄県で9つある道の駅のうち最初に出来たものです。名護市や農・漁協などが出資した第三セクターが運営に当たっています。

 全部本島にあって、離島にはまだ道の駅はありません。宮古島にある島の駅は、土産物店です。

 道の駅とは、国土交通省に登録されたものをいいますが、全国各地になんちゃって道の駅も増殖しています。





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2021年9月11日土曜日

悲しき那覇空港 本当にコロナのせい?




 何故か人のいない那覇空港出発ロビー。9月7日午前10時頃です。


 ベンチは改装され、充電用コンセントが整備されたのに、使う人がいない。



 こんなに減便されているのに・・・



 それでも機内は、ガラッガラ。



 預けた手荷物が瞬時に回ってくる。ファーストクラス並。




 向こうに見えるのは、那覇空港第2滑走路。間の悪いことに、昨年3月に供用開始しました。以来、宝の持ち腐れ状態が続いています。
 事業費を2千億円以上もかけたのに。




 こんな時代もありました。




 人口120万人余の沖縄本島の、ほぼ唯一の玄関口である那覇空港がこれでは、沖縄の活力がいかに削がれているかは一目瞭然でしょう。

 何故こんなことになってしまったのか。原因は、言うまでもなくコロナです。でも、本当にそうなのでしょうか。



 9月10日現在、沖縄県のホームページのトップにこう書いてあります。



 どう見ても「観光客来るな」メッセージですよね。ネットニュースを読んでいると、観光客が沖縄に行って感染を拡大させている、と信じている人も大勢いるようです。


 一方、そうとも思えないデータもあるのです。これは、同じく沖縄県がホームページ上で日々更新している、新型コロナ感染者数の居住地別の一覧表。令和3年9月9日現在のものです。
 




 沖縄県内の感染者の累計数 46,506人
 居住地別内訳は、那覇市  12,301人
         宮古島市  1,781人
         石垣市   1,301人  などとなっています。


 注目すべき点は、こちらです。上の表の一部を拡大して載せます。


 
 それに対して、他県居住者の感染者は、東京都が118人、大阪府が44人など全部足しても379人。全体の0.81%に過ぎないのです。
 観光客が沖縄に行って感染を拡大させている、とはとても思えない数字です。


 コロナの潜伏期間の平均値・中央値は5日程度と言われています。沖縄の場合、日帰りや1泊2日で観光に行く人はかなり少ないと思いますので、もし、内地で感染し、気が付かないまま沖縄に行って3~4日滞在したら、向こうで発症してしまう確率が高いはずです。

 しかも、新幹線やマイカーと違って、飛行機に乗る際は発熱チェックをされますから、発症したら、見つからずに帰って来ることは難しいでしょう。

 それでも、この数字です。



 何処まで増えるのか、と危惧された第5派の感染者数ですが、記載日現在、急激に減ってきています。もちろん、沖縄県も同じ傾向です。

 実効再生産数(一人の感染者が何人に感染させるか)のピークは7月末から8月の頭のようです。
 一体この時、何が起こったのか、明確に説明している人はいません。

『東洋経済オンライン「新型コロナウイルス 国内感染の状況」』


 結局のところ、感染者は何故増えて何故減るのか、よく分からないというのが正解ではないでしょうか。

 それにも拘わらず、「観光客が感染を広げる」という思い込みや、「何でもいいから取り敢えず何かやる」といった対策が原因で、那覇空港をガラガラにしてしまった可能性もありますよね。
 
 都道府県を跨ぐ移動を自粛しろ、と耳にタコができるほど聞かされていますが、その理由は、寡聞にして存じ上げません。
 都道府県境では何が起こるのでしょうか。精神論ではなく、科学的根拠があるならば、是非教えていただきたいと思います。



 嫌みったらしく言わせてもらえば、おかげさまで、運賃は安いし、予約はいつでも取れるし、機内も空港もガラガラでゆったりしているし、手荷物はすぐに受け取れるし、空港でビールを飲めないことを除けば、個人的には良いことづくめです。

 
 
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2019年12月21日土曜日

沖縄で初詣はいかがⅡ 沖宮や有難い名前の神社など




 沖縄で初詣はいかが。
 続いて、沖宮など、沖縄本島の神社をいくつかご照会します。



 というわけで沖宮(おきのぐう)。
 琉球八社の一つです。



 琉球八社とは、歴史的由来を共にする8つの神社のことで、必ずしも沖縄の神社TOP8というわけではありませんが、いずれも沖縄を代表する神社であることは間違いありません。

 奥武山公園内にあり、近くに沖縄県護国神社もあります。神道では、神社をはしごしてお参りしてはならないという教義はないそうなので、併せて両社にお参りしてはいかがでしょうか。

 御祭神は、熊野三神とされる、伊弉冊尊 (いざなみのみこと)ほか。


 沖宮には、住吉神社、八坂神社、弁財天宮などの末社があります。末社とは、本社に付属する小さい神社のことです。




 こちらは、やや訳ありの世持神社社殿
 同じく奥武山公園内にあります。



 沖縄神社と同様アメリカ軍の砲撃で破壊されましたが、ご神体は戦火を免れ、波上宮に預けられました。
 後に、社殿は現在地に再建されましたが、神様は出張から戻ってこないので、こちらは社殿のみ。


 世持とは、「豊かなる御世、平和なる御世を支え持つ」という意味の沖縄古語だそうです。
 ご祭神は、琉球国に繁栄をもたらしたとされる17世紀の政治家、蔡温(さいおん)ほか。



 なんか惹かれるお名前の神様を発見。
 金満宮



 商売繁盛の神様・・・なんて書いてあるwebページもありますが、「きんまん」ではなく「かにまん」です。
 金は現金ではなく、金属のことで、鍛冶の神様です。

 とはいえ、名前にあやかって、「金満家になれますように」とお祈りしてみても、神様は怒らないと思います。(願いが叶うかどうかは別ですが。)


 この神社はちょっと珍しい由来で、元々は金満御獄だったものを、道路拡幅のため移設し、その際、神社仕様に改めたのだとか。



 そんなわけで、御祭神は分かりません。
 ゆいレール牧志駅、安里駅から徒歩10分弱。でも、ちょっと見つけ難いかも。
 


 安里八幡宮
 高層マンションの真っ只中にあり、あのマンションがご神体なのかと誤解するような、すげー立地。



 とはいっても、神様の方が先に居て、あとから高層マンションができたのだから、見下ろす方が失礼なのか。



 御祭神は、応神天皇ほか。琉球八社の中で唯一の八幡様です。

 ゆいレールおもろまち駅・安里駅・牧志駅のどの駅からも歩いて行けますが、どの駅からも近いとは言いがたい微妙な位置にあります。
 金満宮もこの近くです。



 識名宮
 こちらも琉球八社の一つです。



 病気平癒に霊験があるとか。首里城に近いこの神社も、戦火で焼かれ、後に再建されたものです。
 


 ゆいレール首里駅から、直線距離でも2㎞近くあります。周辺の道は狭く、駐車場も分かり難いのですが、辺りには、名所旧跡が多いので、そういった場所も散策しながら歩いてみるのがいいかもしれません。

 首里城公園から、金武の石畳を降り、さらに10分程度歩きます。庭園で有名な識名園も、10分位の距離でしょうか。


 御祭神は、沖宮と同様、熊野三神とされる伊弉冊尊 (いざなみのみこと)ほか。



 普天間宮
 同じく琉球八社の一つです。毎年、旧暦9月に、中山王らが普天間参詣をしたという、由緒あるお宮さんです。



 この神社には、洞窟(ガマ)があって、中に奥の宮があります。申し込めば、洞内の参詣も可能です。



 御祭神は、こちらも、熊野三神とされる伊弉冊尊 (いざなみのみこと)ほか。

 宜野湾市にあって、有名な普天間飛行場の敷地の端から、1㎞も離れていません。ここは、さすがに車かバスで行くしかありません。






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2019年12月16日月曜日

沖縄で初詣はいかがⅠ 波上宮や出雲大社も



 
 沖縄の神社といえば御獄のことだと思われがちですが、沖縄にも、内地と同様の神社が、那覇市内を中心に点在しています。

 ♪ も~いくつ寝ると~ 令和初の正月。
 沖縄にある主な神社を、3回に分けてご紹介します。正月を沖縄で向かえる人、年明け早々に沖縄に行かれる人は、来年の初詣は沖縄の神社でいかがでしょうか。 



 まずは、波上宮。琉球八社の首座にして琉球国の一之宮です。


 顔出しパネルを、拝殿のこんな近くに置いちゃったら格式が・・・なんて思いますが、沖縄では神様も緩いのか。



 シーサーのような狛犬が鎮座しています。何とも沖縄らしい光景です。

 狛犬もシーサーも起源は同じで、古代インドの守護像のライオン=獅子が中国経由で伝わったのだとされています。
 


 波上宮は、あまりアクセスがよくありません。ゆいレールの最寄り駅は、旭橋駅か県庁前駅ですが、沖縄県民ならば絶対に歩かないだろうという、徒歩20分程度の距離です。
 駐車場は狭く、その一方、観光バスでやって来る団体さんが多くて、個人客は結構難儀します。

 波上宮の真下は、波の上ビーチ。もっとも、神社からはビーチは見えません。神様なら見えるのかもしれませんけど。 



 御祭神は、伊弉冊尊 (いざなみのみこと)ほか。神話で、日本の国を産んだと伝えられる女神です。



 沖縄で、初詣のときに最も人出があるのが沖縄県護国神社



 奥武山(おおのやま)公園の中にあり、ゆいレールの駅から県民でも歩く圏内です。

 護国神社の御祭神は、戦没者の英霊、沖縄方面作戦で殉じた本土出身者の英霊のほか、戦争の犠牲となった一般住民・遭難学童等の英霊です。


 ここの手水舎は、センサー付き。人が近づくと水が流れます。




 出雲大社沖縄分社
 沖縄にも出雲大社がありました。ここは、日本最南端の出雲様です。



 御祭神は、もちろんあの縁結びの神様、大国主命です。

 ゆいレール古島駅から徒歩1分30秒の駅近物件。


 入口付近には、何故か巨大な寿老人が。





 こちらは、歴史に翻弄された神社です。沖縄神社仮宮。何故仮宮なのか。それには深い訳があります。



 先日焼失してしまった首里城正殿は、歴代の王家の居城でしたが、1879年の琉球処分後は、そこに神社が創建され、正殿が神社の拝殿とされました。これが、沖縄神社です。

 アメリカ軍の砲撃で、大破し、戦後はそこに琉球大学が設立され(後に首里城が復元)、神社は消滅しました。関係者は元の場所での再建を望んだものの叶わず、現在地に再建され、1973年にこの地で宗教法人格を取得したのです。


 首里城からは、直線距離で1㎞ほどでしょうか。しかし、住宅地に囲まれた小さな公園の一角にあり、往事の面影は全く感じることができません。


 
 御祭神は、舜天王、尚円王など歴代の琉球国王と源為朝です。

 何故、為朝がここに?
 沖縄には、為朝伝説というものがあります。義経の伯父に当たる為朝は、伊豆に流される前に琉球に立ち寄り、そこで妻を娶り子供を授かりますが、妻子を残して伊豆に旅立ちます。その残された子供が琉球王統の始祖舜天王だというものです。


 歴代の国王は、時の政府によって神に祭り上げられ、戦争によって住み慣れた地を追われました。 

 小さな社殿だけの、特に見所もない神社ですが、沖縄好きであれば、重い歴史の詰まったこの神社を、初詣でなくとも、一度お参りしてみてはいかがでしょうか。





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2019年11月1日金曜日

首里城焼失の衝撃


 これほどまでにもろく儚いものなのか。
 10月31日未明、首里城があっという間に消えてなくなりました。




 散々報道されましたので、ご存知と思いますが、31日未明に首里城正殿内部から出火し、約11時間燃え続けて、正殿のほか北殿、南殿、書院・鎖之間(さすのま)、黄金御殿、二階殿、奉神門(半焼)など計4836平方㍍の建物を焼き尽くしました。

 記載日現在、詳細には報じられていませんが、城内の文化財、宝物等もかなりのものが焼失してしまったと思われます。




 これも再三報じられているところですが、焼失した建物は、再建されたものです。

 首里城の焼失はこれで5回目。1429年の建造後、1453年、1660年、1709年に焼失し、そのたびに再建されてきました。

 1945年の沖縄戦でまたしても全焼しましたが、1957年から、まず守礼門の復元に着手、1992年に正殿が完成、その後も復元する区画を拡大し、今年1月、やっとすべての工事を終え公開を始めた矢先でした。

 しかも、例年この時期に行われている、首里城祭りの真っ只中での惨事となってしまいました。


 正殿の復元の模様は、NHKの「プロジェクトX 挑戦者たち 炎を見ろ 赤き城の伝説~首里城・執念の親子瓦~」でも、放映されました。

 番組では、首里城のあの「赤」をどう再現するか、その苦難が描かれています。

 出火原因は、記載日現在分かっていませんが、その赤色を再現するために用いられた、沖縄独特の桐油(とうゆ・きりあぶら)が、火の勢いを早めた可能性があると報じられています。

 事実だとすれば、何とも皮肉なことです。





 建物は再建ですが、首里城城趾は、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されています。

 那覇市の、そして沖縄そのもののシンボルであり、郵便切手の図案としても度々採用されてきました。

 また、美ら海水族館と並ぶ沖縄県の代表的な観光地であり、そちらの面でのダメージも甚大だと思われます。

 沖縄は、今でこそ訪日外国人観光客で溢れかえっていますが、かつて、円高が進み、日本人観光客がドンドン海外旅行に流れていたとき、首里城一帯は、沖縄観光の目玉として県経済を支えてきました。

 



 火災発生後、ショックだ、悲しいといった地元住民の声が紹介され続けています。

 沖縄県民の精神文化の象徴などと言われていますが、よそ者の単なる沖縄好きである自分にとっても、首里城焼失は衝撃です。

 首里城のある丘一帯は、カメラを持って歩けば、撮りたいものがいくらでもあります。それは、風水思想を始め、御獄や祈りや演舞や建造物から草木に至るまで、沖縄らしいものがすべてそこにあるからです。


 首里城は、1872年の琉球処分(日本との併合)までの450年間、琉球王府でした。それ以降、正殿が沖縄神社の社殿として扱われるなどしたものの、あまり改修も行われず徐々に荒廃し、沖縄戦で完全に破壊され、跡地にはアメリカの手によって琉球大学が設置されました。

 そんな中で、往事の姿で甦った首里城は、日本やアメリカに翻弄された、琉球の伝統文化の総本山的な場所であって、自分なりに解釈すれば、家の間口は南側にするとか、石敢当を置くとか、庭にハイビスカスを植えるとか、三線を弾いて唄うとか、そういった沖縄らしい文化や風俗の象徴であり、シンボルだったのではないかと思います。


 早くも再建の話が出ていますが、どうせ復元なんだし、国が予算を出してまた造ればいい、とは簡単に切り替えられないのではないでしょうか。





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