2021年11月26日金曜日

雨が迫る? 宮古・八重山あるあるの雲の写真

 


 青空と赤瓦の屋根の家、竹富島らしい眺めですが、ふと見上げると積乱雲が迫っています。このまま散策を続けてよいか、取り敢えず屋根のある所まで移動しようか、迷う場面です。
 

 今回のテーマは雲です。突然涌いてきて、近づくと風が吹き始め、そしてスコールを降らせて去ってゆく雲。
 夏の宮古・八重山であるあるの、美しく、でもちょっと不気味な、雲のある風景の写真を集めました。


 
 同じく竹富島です。遭遇しちゃうとヤバそうな雲ですが、遠くにあるので、まだしばらくは大丈夫そうです。



 
 この雲の下は、土砂降りです。ここまではっきりスコールと分かる積乱雲は、そうそうお目にかかれません。
 黒島港から西表島方向を臨んでいます。




 上の写真と比べれば、明るく爽やかなイメージですが、これも積乱雲です。雲の下は間違いなく雨でしょう。
 黒島の、真ん中辺りの放牧場にて。




 宮古でよく見かける、細長く低い雲。伊良部島の渡口の浜です。




 上の写真と同じ日の伊良部大橋。宮古島側から見ています。伊良部島から宮古島まで、細い雲が続いているのが分かります。




 これは不思議だった。雲の向こうに光線が神々しく輝いていましたが、あっという間に消えてしまいました。
 右の方には黒雲も出ています。この後晴れるんでしょうか、降るんでしょうか。早朝の竹富島です。




 晴れていますが、スコールを降らせる不気味な雲が迫っています。神秘的、というと大袈裟ですが、逆光線に輝く海がとても美しかった。
 宮古島の前浜の午後。




 海上を吹き抜ける風にとっては、標高の低い島であっても障害物であり、そこを通過するときに僅かな気流の乱れとなります。それが上空の風や、水蒸気の具合によって雲になることがある、ということなんだそうです。

 上空は晴れていても、天気予報が晴れだと言っても、勝手に出来て勝手に消える低い雲。周辺に大陸のない宮古・八重山周辺では、日常繰り返される光景です。



 日没直後。いやゆる夕焼け雲なのですが、「ゆうやけこやけ」的なイメージではありません。クラゲ雲? それともお化け雲か。
 西表島の月が浜です。




 スコールを降らせる小さな雲が夕日に輝く、独特の光景です。雨もオレンジ色じゃないの?なんて思ってしまいます。
 黒島の宮里海岸にて。




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2021年11月21日日曜日

宮古一の砂浜 伊良部島渡口の浜2021




 伊良部島の渡口の浜。今更言うまでもなく、伊良部島ナンバーワンビーチです。


 タイトルの「2021」は、過去に当ブログで紹介したことのある場所を、今年撮った写真と共に近況をお伝えする企画です。



 まるでゼリーのような波。
 このまま固めたら食べられそうな錯覚に陥ります。ただ、いつでもこのゼリー波が見られる訳ではありません。
 潮の満ち干や、微妙な天候状態によって出現します。



 ある程度潮が引いて、ある程度風があるときは、こんな風になることもあります、3段波・4段波。



 そして、干潮になるとこのとおり。
 波打ち際から、超超超浅い海が続きます。この波と砂と光のシンフォニーこそ、渡口の浜の真骨頂です。



 真夏の太陽に照らされて、きらきらと輝きます。見渡す限り人っ子一人いない贅沢空間でした。 



 更に、ウユニ塩湖風になっちゃうのも、ここの特徴です。
 砂が細かいため、押し寄せた波がなかなか砂に染みこまないので、このような鏡面状になるのです。




 この砂浜の眺めは、毎年行く度に少しずつ違います。

 原因は砂です。台風や季節風によって砂が移動します。
 来間島の長間浜の砂浜が年々痩せているのに対して、伊良部大橋南側のゆにの浜や、伊良部島の南海岸の砂浜は、どんどん砂の層が厚くなっているみたいです。

 伊良部大橋建設で、潮の流れが変わったからだと言われています。

 来間大橋や、下地島空港も同様ですが、宮古周辺の海は、大規模工事の間接的な影響で、5年・10年という比較的短いスパンで姿を変えています。




 
 東西約800㍍の砂浜が続く渡口の浜。その中間辺りに、椰子の木が自生しています。これがまた、絵になるんです。



 この雲も凄い。低く細い雲が連なります。この細長い雲は、宮古島周辺ではよく見るのですが、八重山ではあまり見かけません。

 手前側はハート型に見えなくもないでしょ。




 伊良部島の南岸沿いには、ホテルやらレストランやらが数多く建設されました。その影響もあるのか、コロナの2年間でも、渡口の浜の人出は減ったという感じは受けませんでした。
  

 パット見の海の美しさでは、下地島の17ENDの海には敵いませんが、砂浜の美しさでは、宮古諸島の数あるビーチの中でここが最高です。
 しかも、発展途上かもしれない渡口の浜。

 是非、干潮の時間帯に行って、素足で歩いてみてください。





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2021年11月17日水曜日

宮古島のインギャーマリンガーデン2021

 


 宮古島の中南部にある、インギャーマリンガーデン。


 タイトルの「2021」は、過去に当ブログで紹介したことのある場所を、今年撮った写真と共に近況をお伝えする企画です。


 ここは、比較的安全に海遊びが出来るため、晴れた日はもちろん、台風明けの風の強い日などにも大勢の人がやって来ます。


 駐車場から見た眺め。ここをすっ飛ばして行く人も多いですが、ご覧のとおりの美しい海がお迎えします。



 大きく育ったタコノキの実。遊歩道の入り口です。



 遊歩道の入り口から数十㍍は、時折こんな感じで波が打ち上げられます。波の高いときは、気を付けないと、頭から水しぶきを浴びることになりかねません。



 インギャー橋。橋の周辺は海がくびれていて、その内側は、入江状になっています。波が立ちにくい、言わば天然のプールです。



 橋から眺める海はとても綺麗です。水面からの高さは4~5㍍くらいでしょうか。ここから飛び込むことは危険なので禁止されていますが、それでも飛び込む奴がいるんですよね~。
 まあ、気持ちは分からなくはありませんが、止めてください。




 インギャーマリンガーデンの周辺には、ここ数年、中規模の高級ホテルが次々に建ちました。
 東側にあるメインの駐車場も常時混んでいて、時間帯によっては、待たずに駐められればラッキーというほどです。

 業者も市街地方面からここまでやって来ます。この日は20人くらいの団体で来て、SUPとカヌーをしていました。



 橋の外側の海。いかにも珊瑚礁があって、熱帯魚がいそうな感じですが、インリーフでも流れがあるので、波風が強い時は危険です。



 この砂地と岩場が織りなすまだら模様の海。このコントラストがインギャーから眺める海の象徴的光景です。



 あまり知られていませんが、インギャーには、西側(シギラ側)にも駐車場があります。



 こちら側からも遊歩道が繋がっていて、本来は、インギャー橋方面まで行けるのですが、あまり歩く人がいないためか、草ボウボウだったり、足場が悪かったりして、通行は困難。
 東西は、事実上分断されています。

 ですが、この辺りでは、時々シュノーケリングをしている人達を見かけます。




 眺めて綺麗、泳いでも安心とあって、去年、今年と、コロナ禍にもかかわらず、結構な数の人がインギャーに遊びに来ていました。

 思い返すと、この2年間、特にかき入れ時のはずの夏は、飛行機ガラガラ、空港ガラガラだったので、宮古に来た人は絶対に少ないはずなのですが、ここを含め、主立ったビーチは決してガラガラではありませんでした。


 インギャーマリンガーデンの記事を書いたのは、5年前。さらに、その前にも記事にしたことがあります。
 その頃と比べると、相変わらず海は綺麗だけど人は増えた、という感想です。

 来年、コロナが終息したらもっと人が増えるでしょうね。何だか、ちょっと恐ろしくなります。





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2021年11月12日金曜日

那覇の久米至聖廟【附:久米至聖廟事件最高裁判例解説】

 

 那覇市の松山公園に、久米至聖廟という建物があります。

 今回は、この久米至聖廟の紹介と、おまけとして、この久米至聖廟にまつわる重要な裁判例を解説します。

 実は、分量的には圧倒的におまけの方が多いのですが、まあ、とにかく読んでみてください。




 久米至聖廟は、孔子廟の一つです。孔子廟は、中国の思想家、孔子を祀る霊廟です。あの論語の孔子です。

 「子曰く、学びて時に之を習う。亦説(よろこ)ばしからずや。」なんて、昔何処かで習ったと思います。


 中国はもちろん、日本にも各地に孔子廟があります。東京にある湯島聖堂は有名です。久米至聖廟は、日本では最南端の孔子廟になります。


 ここを管理しているのは、一般社団法人久米崇聖会です。この団体の構成員は、久米三十六姓と呼ばれる人達の子孫です。
 久米三十六姓とは、約600年前から約300年前頃に中国から渡来し、現在の那覇市久米地区に居住し、航海、通訳、公益等を担い琉球王国の繁栄を支えた職能集団です。

 当事の琉球が、中国と親密な交流関係に有ったことがよく分かります。


 一般の人の参拝も可能です。ゆいレール県庁前駅から歩いて15分くらいです。

 ちなみに、久米至聖廟がある松山公園は、那覇市の管理する公園で、周辺には福州園など、中国風の庭園や建築物があります。





 久米至聖廟の紹介は、以上で終わりです。


 この久米至聖廟に関して、今年2月、最高裁判所大法廷は重要な判決を言い渡したので、引き続きそれを解説します。

 ただ、これより先は、憲法のお話なので。興味のない人は、一番最後に一気に進んでください。


 できるだけ分かりやすく解説したつもりなので、法律には関心のない人にもお読みいただけるとは思います。





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久米至聖廟事件とは

久米至聖廟事件(令和3年2月24日最高裁大法廷判決)とは、那覇市が、管理する都市公園内に、儒教の祖である孔子を祀った久米至聖廟を設置することを許可し、使用料を免除したことは、憲法の政教分離原則に違反するとして、住民訴訟が提起されたものです。

住民訴訟とは、地方公共団体に不正・違法な行為があったにもかかわらず、必要な措置をとらなかった場合などに、住民が裁判所に訴訟を提起することができる制度です。



 事実認定は次のとおりです。

久米至聖廟は、孔子やその門弟である四配らを祀る廟であり、施設の所有者である管理団体(一般社団法人)は、久米三十六姓と呼ばれる人達の末裔です。

 久米三十六姓とは、約600年前から約300年前頃に中国から渡来し、現在の那覇市久米地区に居住し、航海、通訳、公益等を担い琉球王国の繁栄を支えた職能集団です。

 久米至聖廟では、毎年孔子生誕の日に、祭礼(釋奠(せきてん)祭禮)が行われていますが、観光ショー化、世俗化の恐れがあるとして、久米三十六姓の末裔以外の者が祭礼を行うことは禁止されていました。

当初の廟は、戦争で焼失し、昭和50年頃に一部の施設が、近隣にある管理団体の所有地に再建され、その後、市から施設設置許可を受け、現在の地に移転し、使用料は全額免除されました。



 このような施設のために、市有地を無償で使わせることは、憲法の政教分離原則に違反することになるでしょうか。
 管理団体は、孔子の教えである儒教は、哲学であり宗教ではないと主張していました。

 

政教分離とは

憲法第20条第1項は、信教の自由を保障し、いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない、と規定しています。

これが、いわゆる政教分離原則です。

それを踏まえて憲法第89条は、公金その他公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため(中略)これを支出し、又は利用に供してはならない、と規定しています。


 ところで、世の中には、元々は宗教的な意義を持つものだったけれども、長い間に世俗化した行事などがあります。

 よく引き合いに出されるのが、門松やクリスマスツリーです。門松は、年初にやって来る年神様を家に迎え入れるといった意味合いがありますが、今では、年の初めの縁起物という感覚で捉えている人がほとんどでしょう。

 公立の施設や保育園が、門松やクリスマスツリーを飾ることは、憲法違反になるでしょうか。何もそこまで堅苦しく考えなくても、と考える人の方が多いと思います。

では、どこまでが憲法上許される世俗的行事で、どこからが許されない宗教的行事なのでしょうか。


この点、最高裁はずっと以前に、ひとつの判断基準を示しました。目的効果基準と呼ばれるものです。

 それは、津地鎮祭事件(最高裁昭和52年7月13日大法廷判決)でした。
 三重県の津市が、市立体育館の起工式の祭、公費により地鎮祭を行ったことに関し、住民訴訟が提起されたものです。

 この事件の第一審・第二審は、地鎮祭が、門松やクリスマスツリーのような世俗的行事に該当するか、という点から判断をしました(その結果、第一審は世俗的行事だ、第二審は宗教行事だ、と判断が分かれました。)。


 最高裁は、このような考え方は採らず、

 宗教は、個人の内心に止まらず、多方面において外部的な社会的事象を伴うものであるから、国家が社会生活に規制を加え、あるいは、助成、援助等諸施策を実施するに当たって、宗教との関わり合いを生ずることは免れないとしたうえ、

その関わり合いが、信教の自由との関係でいかなる場合に、いかなる限度で許されるかが問題となると指摘し、
当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉となるような行為であるか否かで判断するべきという基準を示し

それにあてはめると、市が地鎮祭に公費を支出したことは、政教分離違反にはならないとしました。

 つまり、地鎮祭には、世俗的行事と宗教行事という両方の側面があるが、それを主催する側の主観面(目的)と、結果生じる客観面(効果)がいかなるものかによって、政教分離原則に違反するかどうかを判断するべきだとしたのです。


以後、最高裁は、この目的効果基準によって政教分離の問題を判断してきました。

殉職自衛官が護国神社に合祀されたことに関して、クリスチャンである自衛官の妻が提訴した、自衛官合祀事件(最高裁昭和63年6月1日大法廷判決)

 忠魂碑の土地を無償で貸与し、市長が玉串料を納め焼香等をしたことに関する、箕面忠魂碑事件(最高裁平成5年2月16日判決)

 知事が、靖国神社の例大祭に玉串料を公費で支出したことに関する、愛媛県玉串料事件(最高裁平成9年4月2日大法廷判決)

知事が、皇室行事である大嘗祭に公費で参列したことに関する住民訴訟(最高裁平成14年7月11日判決)

 これらは、いずれも、目的効果基準を用いて判断されたものです。愛媛県玉串料事件は、目的効果基準により判断し、政教分離原違反だとした初めての判決でした。


その後、空知太(そらちぶと)神社事件(平成22年1月20日最高裁大法廷判決)では、目的効果基準に触れずに政教分離違反だとする判決が言い渡され、初めはちょっとビックリしました。
この事件は、神社敷地として市有地を無償貸与したことに関し、住民訴訟が提起されたものです。


 この判決には、藤田宙靖(ときやす)最高裁判事の補足意見があり、大変参考になりました。

 藤田補足意見は、

 目的効果基準が機能するのは、問題となる行為等において、「宗教性」と「世俗性」とが同居しており、その優劣が微妙であったときに、そのどちらかを重視するかの決定に際してであって、
 明確に宗教性のみを持つ行為については、更に、それが如何なる目的をもって行われたことが問われることはない、
としたのです。

空知太神社事件は、神社敷地を無償で貸与した案件なので、そもそも世俗性はなく、目的効果基準を用いるまでもなく、明確に政教分離違反だということでしょう。

 

このように、政教分離に関しては、最高裁は、目的効果基準によって判断するという理解で、これまでほぼ固まっていました。
最高裁判所が目的効果基準を採る以上、実務でも目的効果基準で判断しないと、裁判では負けてしまいます。

 そのようなな中で今年、最高裁は、久米至聖廟事件の判決を言い渡しました。判決文を読んで、多くの法律家が驚いたのです。


久米至聖廟事件判決は

判決はまず、

憲法の政教分離規定は、国家が宗教との一切の関係を持つことを許さないとするものではなく、
その関わり合いが我が国の社会的、文化的諸条件に照らして、信教の自由の保障という制度の根本目的との関係で、相当とされる程度を超える場合には、これを許さないとし、

その上で、

久米至聖廟は、公園の他の部分から仕切られた区域内に設置され、大成殿の内部正面には孔子像等が配置され、多くの人の参拝を受けており、神体又は本尊に対する参拝を受け入れる寺社との類似性があり
釋奠祭禮は、供物を並べて孔子の霊を迎え、上香、祝文奉読等をした後これを送り返すもので、その霊の存在を前提として崇め奉るという宗教的意義を有する儀式というほかなく
管理団体は、釋奠祭禮の観光ショー化を許容しない姿勢を示しており、観光振興の世俗的な目的で行われたなどの事情もうかがえない、

などと指摘しました。

また、管理団体は久米三十六姓の歴史研究等をもその目的としているものの、宗教性を有する久米至聖廟の公開や、宗教的意義を有する釋奠祭禮の挙行を定款上の目的又は事業として掲げて、実際に多くの参拝者を受け入れ、釋奠祭禮を挙行しているとしました。

最後に、

以上のような諸事情を考慮し、社会通念に照らして総合的に判断すれば、市と宗教の関わり合いが、我が国の社会的、文化的諸条件に照らして、信教の自由の保障という制度の根本目的との関係で相当とされる程度を超えたとしたのです。

すなわち、市が土地の使用料を免除したことが、憲法の定める政教分離に違反すると判断されたのです。


なお、林景一最高裁判事は、反対意見として、市は、久米至聖廟に観光振興、教育学習促進という非宗教的目的に価値を見いだして使用料を免除しており、管理団体の目的、事業は、論語等の東洋文化の普及で、宗教としての儒教の信仰の普及ではないことなどから、宗教性はないか希薄であり、外観のみで宗教性を肯定し、これを前提に政教分離違反としたことは、「牛刀をもって鶏を割く」の類であると述べています。



何が問題なのか

久米至聖廟事件では、市が廟に貸した土地の使用料を免除したことが、政教分離に違反するとされましたが、その判断に当たって、これまで同様の問題に必ず用いてきた目的効果基準には触れていないのです。

ではどうやって判断したのかというと、

市と廟との関わり合いが、我が国の社会的、文化的諸条件に照らして、信教の自由の保障という制度の根本目的との関係で、相当とされる程度を超える場合には、これを許さないという一般論を述べ、

建物の状況、儀式の内容、管理団体の事業目的などから、久米至誠廟は宗教施設だと認め、市の行為は政教分離違反だとしたのです。

言い換えると、憲法の精神に即して一つ一つの事柄を検討して、総合的に判断したということです。


今までなら、目的効果基準という、言わば物差しを使って、政教分離違反かどうかの判断がされてきました。しかし、久米至聖廟事件ではこの物差しは使われませんでした。

このことをどう考えればいいでしょうか。
空知太神社事件のときのように、藤田判事が補足意見で解説してくれるとよかったのですが、藤田先生はこの時すでに最高裁判事を退官していました。



どう考えればいいのか

一つ目の考え方は最高裁は、目的効果基準を放棄(変更)したとするものです。

最高裁自身が、目的効果基準は、政教分離違反の物差しとしては相応しくないと考えを改め、個別の事案毎に、憲法の精神に即して判断していくべきだとしたのかも知れません。

確かに、今までの事案では、まず、目的効果基準によって判断すべきと明記され、その上で具体的な検討が行われてきました。

久米至聖廟事件とはあきらかに書きっぷりが違います。


ただ、単純にそう言い切れるか、疑問も残ります。
判決の中に、「目的効果基準を変更した」とは書いてありませんし、判決文を細かく読んでいくと、市が使用料を免除した目的や、宗教活動に対する効果について、まったく触れていない訳でもないのです。



もう一つ考えられるのは久米至聖廟事件の特殊性です。

これまでの事件では、地鎮祭にしろ靖国神社の玉串料の支出にしろ、宗教性が強いか世俗性が強いかの問題であり、対象が宗教であることには争いがありませんでした。

ところが、久米至聖廟は、そもそも、宗教施設であるかどうかが争点でした。
そして、宗教施設であると認められた以上、使用料の免除は、明確に宗教性を持つ行為と認められるため目的効果基準を用いる前提がなかっただけで、目的効果基準自体は生きているとみるのです。

こう考えれば据わりがいいようです。同様に目的効果基準に触れていない、空知太神社事件と同じだということになります。


一方、こちらの考え方を採るにもちょっと不安が残ります。

久米至聖廟は、宗教施設であるかどうかが裁判で争われるくらいですから、一般の人にとっては宗教性の判断が難しい事案だと考えられます。

もし市が、廟を宗教施設として認識していなかったとしたら、使用料の免除は、明確に宗教性を持つ行為であったとは言い難いはずなので、目的効果基準が生きているならば、その点をきちんと判断するべきだったと思うのですが、判決はそういう組み立てになっていません。

反対意見を述べた林判事は、市が、久米至聖廟に、観光振興、教育学習促進という非宗教的目的に価値を見いだして使用料を免除したと言っています。



繰り返しになりますが、これまで、政教分離違反は、目的効果基準によって判断されると理解されてきました。もし、そうでないとしたら、今後は、どうやって判断していくのか大きな問題となります。

 したがって、何とも微妙な判断を下したこの久米至聖廟事件最高裁判決は、法律研究者、実務家だけでなく、公務員採用試験や資格試験のために憲法を学ぶ人達にとっても、とても重要なのです。


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 当ブログは、「歩いて撮って飲んで感じた宮古・八重山の魅力を、写真と共にお伝えするブログです。」とアピールしているのですが、沖縄の話題という範囲内で、時々脱線します。

 今回の記事は、かなり激しく脱線しましたが、お許しあれ。

 沖縄のことに関して、最高裁から重要な判決が言い渡されたので、是非その舞台となった場所を見に行きたくなり、見たらブログに書きたくなってしまったのです。笑


 次回から、いつもの写真紹介の記事に戻ります。





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2021年11月10日水曜日

変わりありません 黒島西の浜2021

 


 黒島の西の浜。

 タイトルの「2021」は、過去に当ブログで紹介したことのある場所を、今年撮った写真と共に近況をお伝えする記事ですが、ここ西の浜に関しては、変わりありませんというのが近況です。




 この海、変わりません。

 当ブログでは、既に何回か取り上げている場所ですが、今も変わることなく、美しく静かなビーチのままです。




 そもそも、人がほとんどやって来ません。黒島自体行く人が少ないのです。

 コロナ以前、沖縄各島は観光客が激増しました。宮古島はバブルと言われ、石垣島や他の八重山の島々も程度の差こそあれ、似たような状況でした。

 そんな中、黒島だけは、コロナ以前から既に観光客が減り続けていました。ピークは平成20年頃。それ以降、徐々に訪島する人が減っています。 




 そしてコロナ。ただでさえ少ない観光客の数が、益々減りました。

 今年の7月には、黒島では早々と2回のワクチン接種がほぼ終了しており、民宿のオーナーからは、「気にせずおいで」と言ってもらったのですが。




 黒島にやって来る数少ない観光客は、仲本海岸、伊古桟橋などに行ってしまい、ここにはホンの僅かな人しかやって来ません。それも、ずっと前から変わっていません。




 そういう訳で、今年も特に変わりありませんでした。




 このビーチ、宮古島や石垣島にあったら、絶対にこのままでは済まされないでしょう。黒島にあったからこそ、人のいない絶景ビーチが残されたのだと思います。

 宮古島の記事の場合は、以前と比べてこんなに変わってしまいました、と書くことが多いのですが、ここは安心して記事にすることが出来ます。

 来年、「西の浜2022」を書くとしたら、「やはり変わりませんでした」と書きたいものです。





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2021年11月6日土曜日

ここも変わっちゃうのかな 来間島猫の舌2021




 一昨年までは泳ぎに来る人も少なく、去年はコロナのおかげで人の少なかった、来間島来間漁港ヨコ、通称猫の舌ビーチです。


 タイトルの「2021」は、過去に当ブログで紹介したことのある場所を、今年撮った写真と共に近況をお伝えする企画です。




 当ブログ推奨の宮古セブンビーチのひとつで、なおかつ、プチ・プライベートビーチなんて紹介していた猫の舌ビーチですが、今年は、目に見えて人が増えました。ここもいよいよかな・・・ 
 敢えて、人がいないシーンを狙って撮ってみました。




 昔の宮古を知っている人によれば、以前は綺麗なビーチじゃなかったのだそうです。
 来間大橋の建設により、流れが変わって、ここいら辺りにどんどん砂が貯まって今のようになったのだとか。

 下地島空港が出来たおかげで、砂付きがよくなって今のような姿になった、下地島の17ENDと同じです。





 過去記事で報告済みですが、沖縄県にだけ緊急事態宣言が出されていた6月、このときは学校も休校でしたが、ここに子供達が大勢泳ぎに来ていました。

 市長の世界最悪宣言で、前浜など主要なビーチの駐車場が封鎖されていたときも、ここは関係なく人が押し寄せていました。

 2年前に出来た海の家的な建物(正式オープンは今年らしい)は、緊急事態宣言中もほぼ営業していたとのこと。





 ライフジャケットを身につけて、犬掻きをするわんこ。
 飼い主さんに写真撮影の許可はもらったのですが、本人、いや本犬は不服そうな顔をしていました。ゴメン。




 久松小学校とテントには書いてあります。泳ぎに来たわけではなさそう。遠足かな? 




 石積みの防波堤に果敢にも生えた、モンパノキ。凄いですよね。




 ビーチ名の「猫の舌」は通称ですが、最近は「パチャビーチ」と言う人も多くなりました。例の建物がそう名乗っているからです。
 ここの海の後背地の、島での呼び名が「ぱちゃ」だったことによるそうです。

 市長の世界最悪発言などで観光客が少なかった時期も含めて、今年6月以降は人出が目立ちました。
 来年以降、観光客数が元に戻ったら、ここもブレイクしちゃうのでしょうか。


 猫の舌の一番端っこ。干潮時限定ですが、こんな光景も見られます。




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