2024年4月26日金曜日

少しでも安く沖縄に!安売り航空券との格闘20年

  


 諸物価高騰のため、とか何とかで、ホテル代も飲食代も高くなりました。レンタカーは、別の理由で一時期べらぼうに値段が上がったし。
 沖縄旅行も金がかかるようになりました。

 でもそんな中、航空券だけは安く買えるのです。


 沖縄離島に通い始めて20年余。今までは、リーズナブルに沖縄旅行をするには、いかに安く航空券を入手できるかが鍵とばかり、安売り航空券を求めて格闘して来たのです。




 かつて、「超割」というのがありました。期間限定で、航空運賃が一律1万円になるというものでした。

 発売期間は3日間くらい。みんな虎視眈々と狙いを定めます。ところが、発売開始の瞬間、既にネットが繋がらない。繋がった時には、沖縄路線は全滅。

 しかし、販売期間終了間近になると、取り敢えず予約した人のキャンセルが出るのです。沖縄好き同士で情報交換をしながら、パソコンに張り付いていました。


 当時、各地から宮古空港・石垣空港に直行する便は僅かしかありませんでしたから、狙うのは那覇行きです。

 それが1万円で買えれば、那覇で乗り継いで、トータル片道1万7千円位でした。


 自分はあの頃、宮古・石垣に行くための航空券は、往復5万円なら仕方がない、4万5千円を切ればラッキーくらいの感覚だったので、片道でも超割が取れればかなり楽になります。

 今から考えれば、そんなに安くはありませんでした。

 


 超割以外には、21日前までの早割とかネット割、後は、時間帯によって、例えば午後に沖縄に行く便の値段が安く設定されていたケースもあったのですが、そんなには安くはなりませんでした。


 その後28日前、55日前、75日前と早期割引きが拡大され、航空券は早く買えば安くなるというのが定着しました。
 
 同じサービスなのに、早く買うだけでこんなに値段が違うものはちょっとほかに思い浮かびません。

 よく考えたら不思議なことですが、これを利用しない手はないので、2月頃になると、早くも夏の予定を立てなきゃ、となるのです。


 早期割引き制度の名前は、J社とA社で異なり、前売・特割、特売・早特・先特・旅割と色々変わり、最近では、セイバーとかバリューというカタカナ名称になっています。

 思い白いことにA社が変えれば、J社も変える、あるいはその逆で、何でこんなところで競うんだか。

 
 また、Sマークが宮古・石垣に就航した時は、J社・A社も割引額を拡大し、仁義なき戦いが繰り広げられていたのも懐かしい思い出です。




 コロナ禍の2021年、夏休みを控えてA社がビックリの安値を発表します。羽田から宮古・石垣の直行便が1万円を切っていました。

 さすがに、この年は特別だろうと思いましたが、翌2022年も、夏以降これに近い割引き運賃が発表されました。


 2023年、コロナの5類移行で安売りもこれまでかと思いきや、逆に航空会社が仕掛けます。

 A社は、マイレージ会員向けに、どの区間も一律7千円(土休日は1万円)、J社は誰でも一律6,600円というイベントを発表します。

 J社に関しては、予約が殺到してサーバがダウンしたのはご存じかと思いますが、その後、短期間に少しづつ小出しにして、乗り切りました。




 2024年もこの流れが続いており、「タイムセール」の通知が次々とやって来ます。

 実は自分、今年6月後半、宮古・羽田間のA社便が11,370円(行きの分は買えなかったのでもっと高かったのですが。)で、7月中旬の羽田・石垣間が、行きJ便社15,770円、帰りのA社便13,170円で予約出来ているのです。


 超割を買うためにパソコンに張り付いていたあの頃よりも安い。他の物価が上がり、消費税も高くなっているのにです。

 しかも、安売りでも意外と空席があるのです。超割時代のように1席の空席を求めて、全集中の呼吸でディスプレーを見詰めている必要もありません。

 
 ただ、こうした格安販売は、あるのかないのか事前にはっきりせず、あっても何時あるのか分かりません。
 特に今年の場合、事前の予告期間が短く、突然に始まる安売り期間中に即断即決しなければならないという欠点もあります。


 大体この時期に行くと決めて、場合によっては宿を先に予約しておいて、勝負の時を待つみたいな。笑




 さすがにお盆やGW期間にこのような安売りはありませんが、それにしても何で航空券はこんなに安く買えるようになっちゃったのでしょうか。

 航空燃料も爆上がりしているはずなのに。


 どんなに安く買っても、普通席であればサービスは同じ。色々問題もある空港での扱いも、航空券の値段による差はありません。

 しかも、こんな値段でもマイルがしっかり貯まります。東海道新幹線では有料の車内販売すら廃止されたというのに、機内では、無料のドリンクサービスもあります。

 これで、航空会社が黒字なら大変結構なことです。


 ただ、航空運賃は、結局のところ不透明です。情報弱者に優しい制度ではありません。散々恩恵に与りながらも、本当にこれでいいのかと思うときもあります。


 もっとも、制度は何の前触れもなく変わります。来年になったら、「航空券がバカ高くなった」なんて記事を書く羽目になっているかも。



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2024年4月21日日曜日

今さら宮古島で水不足の危機と言われても

 


 「宮古島では、ホテル建設のため今後水不足が懸念される」って、そんなの始めから分かってたじゃん!

 と突っこみたくなる話ですが、4月16日、琉球銀行の調査部門であるりゅうぎん総合研究所が、「宮古島市の観光と水問題に関して」という調査リポートを発表し、話題になっています。


 内容は、宮古毎日新聞の要約によれば、

 「リゾート開発が進む宮古島市内で、ホテル建設に伴う水需要の増加が市の想定を超え、水不足に陥る懸念がある。」「ホテル建設を計画する事業者側の希望給水量に、市が応じられないケースがすでに出ており、今後の大規模開発に影響が出る可能性があると指摘している。」

ということだそうです。

  琉球朝日放送の配信記事では、もっと過激に、「宮古では今後リゾート開発は不可能と分析」という見出しを付けています。

 
 これ以上の開発が不可能ということになれば、宮古島の自然にとってはむしろ結構なことですが、本当にそれだけですむのでしょうか。


(沖縄タイムスプラスから)


 ご存じのとおり、近年宮古島や伊良部島では、ホテルの建設ラッシュで、それに伴って水道水の需要も急増しています。

 リポートによれば、2022年12月末時点の、宮古島市内のホテルの客室数は、約6000室で、10年前の2倍になっています。
 しかも、これには、2023年開業のヒルトン300余室は含まれていません。

 各部屋毎にプール付き、広いジャグジー付き、なんていうゴージャスなホテルも次々オープンしています。
 


 川のない宮古島では、水道水源を地下水に頼っています。

 宮古島の地質(多孔質の琉球石灰岩)は雨が浸透しやすく、それが豊富な地下水脈を形成します。

 それでも、降った雨は、蒸発したり、海に流れ込んだりするため、約40%ほどしか地下水になりません。

 その40%をいかに無駄なく活用するかが、宮古島市の水道事業のすべてです。


 それ以外の方法はありません。川にダムを造って湛水したり、上流に保水力のある森林を整備することもできません。

 宮古島には、貯水池はあるものの、湛水能力はダムとは比べものになりません。つまり、雨期に水を貯めて乾期にそれ使うことは難しいのです。


 市の「第4次宮古島市地下水利用基本計画」では、2028年度に観光客が200万人を超えても、水道水の供給が可能だとしています。

 これを信頼するとしても、特別な場合、例えば台風通過直後で、清掃や洗車のため大量の水を消費する、なんていう事態が発生したときどうなるかは分かりません。


 昨年は、上半期に少雨が続き、7月4日に節水が呼びかけられました。

 8月になって、例年の1.7倍ほどの雨がまとまって降ったため事なきを得ましたが、これが反対に、8月以降に少雨が続いたら、夏シーズンを乗り越えられたかどうか分かりません。


 宮古島では、25年~30年に一度、小雨による大渇水になるといわれていますが、前回が1993年だったので、確率的にはソロソロです。

  


 伊良部島では、旧伊良部町の時代から、宮古島とは独立して水道事業が行われて来ましたが、伊良部大橋の完成と共に給水管を敷設し、宮古島の水を伊良部島に送ることで、水道事業の効率化が図られています。

 今、この伊良部島の浄水場の再稼働が、水不足解消の切り札と主張する人もいます。

 しかし、施設が老朽化している上、伊良部の水は元々塩分含有量が大きく、浄水には金がかかります。
 だからこそ、この浄水場は廃止されたのです。


 もう一つ、宮古島には、地下ダムというものがあります。

 地下の水が貯まっている場所に止水板を打ち込み、水を囲い込んで海に流れ出すのを防ぎ、そこに井戸を掘って効率的に水を吸い上げるというものです。

 現在、農業用水にしか使われていない地下ダムの水には余裕がありそうなので、それを水道用水に回せばいいと誰でも真っ先に思い浮かぶと思いますが、それはできません。
 
 地下ダムが農林水産省の予算で造られたからです。


 これは、国の縦割り行政の弊害とみる向きもありますが、国には国の理屈があります。

 農業用水が足りないというから、国費(つまり国民の税金)を投入して地下ダムを造ったのに、ホテルが増えて水道用水が足りないから回してくださいと言われても、「だったら金を返せ」という話になるわけです。




 宮古島市が使える水は、降った雨の40%がMAXです。

 そのうちある程度の水は、まとまって湧き出して来ますが、ちょろちょろと海に流れ出る水まで回収利用しようとすれば、金がかかります。
 そもそも、雨が降ってくれないことには話になりません。

 そうなると、あとは使う水の量を減らすしかない、誰でも分かる簡単な理屈です。


 りゅうぎんリポートには、最後に必要な取り組みへの提言が書かれています。

 ホテルが節水型のシャワーを採用するとか、プールから溢れる水を再利用するとかの涙ぐましい節水対策が呼びかけられているほか、企業版ふるさと納税を活用した新たな水源地の確保などにも触れています。

 しかし、一番のキモは水道料金の値上げです。リポートには、大口需要者の水道料金を見直せと書いてあります。


 ごもっともですが、最初からそれをやっておけばよかったのですが、後からやるのは関係者の反発も大きいと思います。

 そうなると、次は水道料金全体の値上げという話になるかも知れません。でも、そうすると市民を巻き込んでしまいます。



 ホテルが激増すれば水不足になることなんて、素人でも容易に想像がつきます。なにを今さらというのが率直な感想です。

 それを、第三者機関が調査して判明したという流れも、不自然です。将来の料金値上げや使用制限に向けてアドバルーンを上げてみた、というのは考え過ぎでしょうか。




 コロナ前の2019年、宮古島バブルといわれた時期、それを懸念する地元の声に対して当時の副市長が、「観光業はトータル産業。自分に直に関係あるないよりも、回り回って自分のところにくる」と語っています(RBCニュース)。

 これ、皮肉ですよねぇ。

 観光業に関係ない人に、回り回って水不足や、水道料金の値上げがくるのでしょうか。
 


 りゅうぎんリポートはこちら


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2024年4月16日火曜日

沖縄風景写真 とは無関係に写真に関する雑談

   

 1980年代のカメラ雑誌。
 捨てようと思ってパラパラめくっていたら、ついつい引き込まれる独特なワールドがそこにありました。

 今回は、沖縄とはまったく関係のない話になるので、沖縄の風景写真を並べてむりやり沖縄と関連させつつ、今とはまったく違った40年前の写真の世界について語らせてもらいます。




あのころの写真は何だか分からないものが多かった

 当時のカメラ雑誌に載っている写真は、大家の先生の作品も、コンテストに入選したアマチュアカメラマンの作品も、どこがどう素晴らしいのか、よく分からないものがてんこ盛りでした。

 街角の光景や物を何故そう撮る? 花や動物を何故ストレートに撮らない?

 自分にはとても撮れない、というか、その着眼点すら分からない謎写真が、雑誌の7割、8割を占めます。


 たまに、おっ、これ綺麗じゃん、とか、このモデル可愛いじゃん、と思う写真があるとそれはカメラメーカーの広告べージだったりするのです。
 



能書きも多い

 そのよく分からない写真には、長文の解説がつきます。

 大先生の作品には、別ページに細かい字で長々と本人の思いなり評論なりが、フォトコン入賞作品には、下位の入賞でも2~300字の講評が。

 作品自体よく分からないので、解説を読んでもますます分からなくなるだけ。

 素直な感想を言っちゃうと、ウケないギャグを聞かされたあと、「今のギャグは何処が面白かったかというと・・・」といわれたみたいな。


白黒写真が多い

 モノクロ写真が誌面の約半分を占めているのも特徴です。

 当時でも、一般の人が普通に写真を撮る限りモノクロではなく、ほぼすべてカラーだったと記憶していますが、趣味の世界ではまだまだモノクロ写真が幅をきかせていました。

 モノクロ(Monochrome)というより、文字通りの「白黒写真」という感じの、コントラストが強烈に強い作品が多かったようです。




無造作に人が沢山写っている

 人が写っている写真も多いです。それも、そこいらにいる人を勝手に撮って勝手に載せちゃった、みたいなのが。

 当時は、プライバシー権とか肖像権に無頓着だったからでしょうが、正直に言ってこれは羨ましい。


 目の前に素敵なシーンが広がっていても、そこに人がいると、撮るにはもの凄く気を遣います。顔が写らないように、本人が特定できないようにと。

 そうしないと、もし、いい写真が撮れてもブログには載せられません。

 人を撮りたい場合は、勇気を出して声を掛けるようにしています。
 思っているよりは、OKしてもらえることが多いですが、もちろん断られることもあるし、お願いする間もないほどの突然のシャッターチャンスもあります。


 男性の写真では、タバコを吸っているシーンが多いのも時代ですよねぇ。

 


今なら児童ポルノ?

 子供の写真も多いのですが、男の子も女の子も、下半身丸出し、パンツ丸見えな写真が少なからずありました。

 今なら、児童ポルノで捕まるんじゃ?って思うくらいですが、「子供だから、子供はこういうものだから」という決めつけというか、大人目線で子供を撮っていた感じです。


ヌード写真全開

 そして、この当時のカメラ雑誌に特徴的なのは、ヌード写真が氾濫していたことです。

 それも、ただ女の人が裸になるというだけではないのです。

 砂浜に寝転がったり、草むらに埋まっていたり、木の幹にもたれかかったり、水の中にいたり、
 体に花が盛られていたり、ど派手メイクだったり、とんでもないポーズをさせられていたり、とんでもない衣装を身につけていたり、おしりや胸のどアップだったり。


 タイトルには「おんな」「女」「○○の女」というのが並びます。

 それに対する解説がまた、「エロス」が「官能的」で「淫靡」な「曲線美」と続きます。


 だけど、ハッキリ言わせてもらうと、女の人の裸なのに、全然ドキドキしないし、何も感じないのですよ。
 お年頃?だった当時の自分でもですよ。

 それどころか、エロじゃなくてグロじゃん、なんて突っこみたくなるものもあります。ヌードの分野であっても、よく分からない写真が並ぶのです。

 

 せっかく目の前に裸の女がいるんだから、もっとシンプルに撮れば、○○で××なのに、なんて思うのは、俗人の浅はかさなんでしょうな。

 芸術であるヌードは、その女性美をレンズを通して極限まで追究するのでしょう。(まぁ知らんけど)


 どうやって、撮るのかといえば、アマチュアの場合は、有料のヌードモデル撮影会に参加するか、同好会のメンバーで金を出し合って、プロのモデルを頼んでいたようです。

 とても金のかかる趣味です。
 

 大勢のおっさん達が、屋外で裸になった女の人を取り囲んで写真を撮る、というのも想像するとちょっと不気味ですが、近時のように高性能カメラで盗撮するよりは、ある意味潔いとも言えます。




 ♪ 今の君はピカピカに光って~

 宮崎美子さんがブレイクしたカメラのCMをご存じでしょうか。自分もその頃カメラデビューしました。

 カメラを買って写真に夢中になり、カメラ雑誌を買い漁りました。

 その当時のものをなかなか捨てられず、引っ張り出してパラパラとめくり出したら、面白くて止まらなくなってしまったのです。

 懐かしくもあり、却って新鮮な感じもします。

 本としては状態が悪く、結局捨てざるを得ないようなので、せめて捨てる前に感じたことをブログに書かせてもらいました。


 フイルムで撮り、それを現像してプリントしなければ見ることができなかった写真は、金がかかると同時に、カメラマンには一発必写の高いテクニックが求められました。

 撮ったものをすぐ見ることができ、いくら撮っても金のかからないデジタル写真の時代とは違い、いい意味でも悪い意味でも、写真趣味が特別な人達に支えられていた時代でした。




 今回並べた沖縄の風景写真ですが、当時これだけ撮れたら、多分プロカメラマンとして通用したと思います。

 昔は、目に見えるものを目に見えるのと同じ明るさ、同じ色で撮るのこと自体が難しく、カメラマンは、アーティストである前にエンジニア(技術者)でなければなりませんでした。

 綺麗な景色をそのとおり綺麗に撮れれば、出版社が買ってくれた時代です。


 カメラ雑誌には、それとは別に、自分のイメージを写真で表現するという、一種独特のワールドがあったのではないかと思いまです。
 
 ただ、自分がそのワールドに入って行けなければ、なんだかよく分からない写真が載っているというだけで終わってしまうのかも知れません。


 今のように、誰もがお手軽に、しかも、見た目以上にいくらでも盛れる写真を撮れる時代が来るとは、当時誰が想像したでしょうか。

 あれから、まだ40年しか経っていないのです。





 最後に〆の雑談です。
 今回の記事は、そもそも雑談なので、雑談of 雑談なのですが。

 「エロス」とは、ギリシャ神話の愛を司る神の名前です。
 愛と美を司る女神アフロディーテの息子で、背に翼を持ち、恋をもたらす金色の弓矢を携えるそうです。

 あれっ?と思いませんか。

 そう、ギリシャ語の「エロス」が、ローマ時代に入り名前が変わり、ローマ神話の中で、アモール(Amor)、クピードー(Cupido)と呼ばれるようになります。

 Amorは、後にフランス語のAmour(アモーレ)になり、Cupidoは英語読みでキューピッドなんだそうですよ。

 




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2024年4月11日木曜日

下地島空港はもう5周年 でもこの先は? 

  


 オールジャパンでもトップクラスの美しい海を背に、目の前をジェット機が轟音を轟かせて離発着する。

 こんな空港は日本中探してもほかにないだろう、そんな下地島”絶景”空港ですが、開港して早5年が経ちました。


 当ブログを始めた頃、下地島空港は、まだ訓練飛行場でした。紆余曲折の末今の姿になったのですが、当ブログではその状況を追いかけ続けてきました。

 下地島空港に関する記事は皆さんも関心が高かったようで、PV数も伸びました。


 ターミナルが新たに整備され、定期便が飛ぶようになってからもう5年ですか。本当にあっという間でした。


 これは、ブログを始める直前の2012年7月に撮った写真です。


 その下地島空港ですが、開港当初は、ジェットスターが1日1往復するだけだったのですが、その後コロナ禍に見舞われたものの、昨年度は遂に年間利用者数が42万人に達し、昨年の8月には累計の利用者数が100万人を突破しています。

 このまま行けば、当初目標だった2025年度に利用者57万人という数字も、あながち、夢ではなさそうです。


 コロナで途絶えていた国際線も、来月末には大韓航空系LCCのジンエアーが就航し、仁川から週5往復運航されることが決まっています。




 その一方、不安材料もあります。

 開港7年目に、国際線を含め1日6往復程度、利用者は57万人程度というのが開港当初の構想でした。

 昨年7月から、定期便がジェットスター1往復、スカイマーク5往復体制となっており、国際線はないものの、1日6往復という目標は既に達成しています。

 それにもかかわらず、利用者数は目標は、4分の3以下です。つまり、1便当たりの乗客が想定より少ないということです。


 また、スカイマーク依存も相変わらずです。

 この会社はかつて経営破綻し、その際、石垣空港・宮古空港を含む多くの空港から撤退・運休しました。

 あのとき、スカイマーク依存度の高かった茨城空港は、空港そのものの存続が危ぶまれたほどです。

 JALでもANAでもない、中堅以下の航空会社1社に支えられている体制は、安定性の面で一抹の不安が残ります。
 

 また、下地島空港のおかげで宮古島の観光客が増えたかというと、そういうわけでもなさそうなのです。

 宮古島市の統計によると、オンシーズンである7月~9月の入域観光客数は、昨年は272,151人でした。
 これは、コロナ前2019年の同期間の332,439人の81.9%に過ぎません。

 中国の団体観光が禁止されていた影響はあるでしょうが、国内向けには、7月・9月に県が全国旅行支援で大盤振る舞いをしたにもかかわらずこの数字です。


 しかも、下地島空港開港前の2018年の同期間では、さらに多い366,442人であったため、結局は宮古空港の利用者を喰っただけ、という見方もできそうです。


 この間、宮古島ではホテルの開業が続き、客室数は、コロナ前に比べ確実に増えています。
 宮古空港と併せて、空港とホテルというハード面では、観光客を受け入れるポテンシャルは相当高いといえるのですが、それを生かし切れていないのか、それとも、後先考えずハードだけが先走ったのでしょうか。




 人口約5万5千人の宮古島市に大型空港が二つもあるというのは、他に類を見ない贅沢な環境です。

 高級ホテルも次々開業し、受け入れ体制はバッチリなのですが、その一方足元では、宮古島周辺の海でクマノミが捕獲され持ち去られるなど、情けない状況が続いています。 


 宿泊税も結構ですが、その前に市は、観光地宮古島をどうしたいのか、そのビジョンを具体的に打ち出してもらいたいものです。

 宮古島市総合計画の基本理念は、「心かよう夢と希望に満ちた島宮古〜みんなで創る結いの島」だそうですが、美しい言葉を並べるだけではなく、行政として具体的に何を目指すのか、そのために島民と観光客に何を我慢してもらうのか、本気で考えてもらわなければ、日本一美しいかも、といわれる宮古の海も、先行きは暗いのではないでしょうか。


 オンリーワンの絶景空港である下地島空港。

 10周年・20周年を向かえる頃には、秩序ある成熟した観光地の入り口として、憧れの的となっているでしょうか。
 それとも、「国破れて山河あり、宮古島破れて空港あり」と揶揄されているのでしょうか。



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2024年4月6日土曜日

沖縄の花 ハイビスカス12連発

 


 沖縄の花ハイビスカス。

 沖縄県花というわけではなく、沖縄三大花にも含まれませんが、沖縄で花といえばハイビスカスとブーゲンビリアが真っ先に思い浮かぶのではないでしょうか。

 今回はシンプルに、ハイビスカスの花の写真をど~んと12点並べました。




 島言葉で「アカバナー」というくらいなので、ハイビスカスといえば赤なのですが、ハイビスカスの中には、ピンクもあり黄色もあり白もありでカラフルです。




 ハイビスカスの野生種は、250種類くらいあるそうですが、それを園芸用に掛け合わせたため、今ではもの凄い種類のハイビスカスが咲き乱れています。




 ハイビスカスは、日当たりのよい場所を好みます。一方、霜が降りるような寒さは苦手なので、沖縄にはピッタリです。




 しかも、水捌けの良い土を好むので、隆起珊瑚の島が多い沖縄にはさらにピッタリ。




 ハイビスカスは、次から次へと花を咲かせます。温暖な沖縄では、冬でもハイビスカスが咲いています。




 さらにさらに、沖縄向きなのは、台風にも強いのです。花も葉も吹き飛ばされてしまっても、逞しく再生します。大体45日で復活するそうです。




 そう考えると、やはりハイビスカスは、ザ・沖縄の花です。




 ハイビスカスは、絵になるので、いい感じで咲いているのを見つけるとすかさず写真に撮りたくなります。

 そんなことをもうかれこれ20年繰り返しているのですが、飽きることはありません。




 色々ブログに書きたいテーマや出来事もあるのですが、今回は花の写真を並べるだけにしました。

 当ブログは、「沖縄」ということ以外には縛りを設けず、何でも書いていいことにしているため、一貫性のないものになっていますが、その緩さが10年以上続いた秘訣なのです。笑




 ハイビスカスの写真も、当ブログで過去何度もご紹介していますが、久々にここ1~2年の間に撮った新作を並べてみました。

 暖冬暖冬と言われながら、さくらの開花が遅かった今年も、いよいよ春の到来、そして、沖縄には夏がやって来ます。





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2024年4月1日月曜日

沖縄だけじゃないけれど 航空機のサービスとは

   

 歌手の吉幾三さんが、飛行機内で「非常に横柄な国会議員と遭遇した」とYouTubeで語った話。

 続報では、匿名のCAからもらったとする手紙を紹介し、それによれば、当該議員は有名なクレーマーで要注意人物であるということで、実名も暴露されました。

 
 その後、この人物に関しては、文春砲も参戦してますます盛り上がっていますが、今回は、そこにツッコミを入れる話ではなく、沖縄に何度も通う中、航空機のサービスについて感じていることを書いてみたいと思います。


 飛行機という乗り物は、いい意味でも悪い意味でもとにかく不透明なのです。

 


 まず何といっても、航空機の運賃は本当に不思議ちゃんです。

 これについては、20年間様々なことを経験し、思い出も多数あるので、いずれ別に記事にしたいと思っていますが、最近は、タイムセールという突然割があり、早く買えば安いともいい切れないのです。

 以前は、航空券を確保してからでないと予約を受けない宿も少なくなかったのですが、今ではそんなことも言っていられないようです。



 運賃以外に航空機利用に関するエピソードや不満は、当ブログで過去何回も記事にしてきました。

 不満は大きく分けると、情報を正しく伝えないこと、そして、早く搭乗手続をしないと乗れないと煽ることです。


 情報を正しく伝えないというのは、出発の遅れを直前まで伝えないとか、遅れの理由を曖昧にすることなどです。

 突発的な事故ならともかく、遅延の原因が使用機到着遅れなのに、30分前まで公表しないなんてアンフェアですよね。

 遅れる旨アナウンスすると、客が保安検査を受けないで遊びに行っちゃうから、ギリギリまで黙っておこうという魂胆がミエミエ。

 しかし、一旦出発ロビーに入ってしまうとすることが無い。石垣空港や宮古空港では座る場所もないなんてことも。

 客に対するホスピタリティ・おもてなしとは正反対の発想ですよね。



 これも以前に記事にしたのですが、宮古空港から那覇乗り継ぎで羽田に帰る便を予約していました。

 宮古発の便は11時頃の出発予定でしたが、その時は明らかにされなかった何らかの理由で遅延し、しかも出発予定時刻も何度も先送りされます。

 そうなると、予約していた那覇・羽田便には乗り継げないのですが、手荷物預けの際、突然そのことを告げられ、「那覇で空席待ちをしてくれ」と言われたのです。

 ビックリして詳しい状況を聞こうとしたら、「今、19時台の便に空席がでました」と仰る。あまりにわざとらしいタイミングなので、「とにかく那覇まで行くから」といって、搭乗手続を済ませました。


 それだけの騒ぎでありながら、一方では保安検査場入り口付近の職員が「早く早く」と急かすのです。

 出発が遅延するのではと聞くと「聞いてません」という回答。さすがにここまでされると腹が立ちます。

 何故、わざわざ客に喧嘩を売るような対応をするのでしょうか。


 顛末は、

 機材に何らかの不具合があり、欠航を決めるほどではないものの、整備完了時間が見通せなかった、
 整備完了次第速やかに出発したかったので、客には、搭乗口にいてほしかった、
 その時点では那覇乗り継ぎ客への案内ができなかった、

ということだったようです。


 だったら、素直にそうアナウンスすればいいと思いませんか。変に隠すから、却って疑心暗鬼になるのです。




 一方、突発的な事情に対し柔軟に対応してくれるのも、航空機ならではです。

 出発間際になって搭乗しない人を、職員が走り回って探すというのは、空港では毎度お馴染みの光景ですが、新幹線なら黙って発車するだけです。


 もう10年近く前ですが、羽田をJ社で出発し、那覇でA社に乗り継いで宮古に行くスケジュールだったのが、J社の遅れで乗り継ぎがピンチ。

 J社の機内でCAにその旨申し出たところ、機長が航空無線で問い合わせて、乗り継ぎの段取りを整えてくれました。
 有り難かったのは、担当のCAがそばを通る度に、「今確認中です」と声を掛けてくれたこと。

 結局、那覇空港のターミナルを走る羽目にはなったのですが、このことを書いた記事は、何故かPV数が6千を超えるヒットに。笑


 かつては、J社とA社の間で航空券の裏書き制度というのがありました。J社の航空券でも、J社の承認があればA社の便に乗れるという制度です。

 J社の乗り継ぎ便が遅延した際、緊急事態でどうしても急ぐ人に、J社がA社便の空席を確保してくれたということもあったそうです。


 こんなこともありました。

 石垣空港から那覇乗り継ぎで羽田までA社便を予約していたのですが、台風接近のため、繰り上げて帰宅することに。

 石垣・那覇と那覇・羽田便の振り替えが完了し、手荷物を預け、石垣空港から那覇行きに乗り込んだのですが、あちらさんの手違いで、この便の組み合わせでは、那覇で手荷物の引き継ぎができない。
 そこで、那覇・羽田間は1本後の便になりました。

 ところが当該便は既に満席。しかし、A社は席を譲ってくれる人を募り、自分の席を確保してくれたのです。

 もともと、台風のための振り替えで、那覇まで戻れば取り敢えず一安心という状況だったのに、ここまでしてもらってなんか恐縮した思い出があります。
 
 


 こうして振り返ってみると、航空会社というところは、相手方が不特定多数だと子供扱いするくせに、個人的な特定のケースでは親身になって対応してくれるという、不思議な業界みたいですね。


 冒頭の国会議員のクレームは、当人のブログによれば、「管制からの指示で出発が遅れていると説明しながら、実際は、荷物の積み込みが終わっていなかった」、「搭乗後に降機する乗客がいて、10程度の遅れと説明されたが大幅に遅れた」ということがあったとか。

 それに対する航空会社の説明は、「複数の遅れ要因があった場合すべてを説明しないこともある」「乗客が降機した後は、テロ対策のため機内を徹底調査する必要があるが、他の乗客が不安にならないよう事実を伝えないこともある」ということだそうです。


 CAに横暴な態度を取るのは論外ですが、航空会社も、もう少し何とかできた部分はあったと思います。

 他の乗客が不安にならないようにという配慮であれば、無事出発できた後に事情を説明すべきでしょう。


 乗れなくなるから早く早く!と煽ってみても、その時間にはまだ空港に到着すらしていない客もいるわけで、航空会社の指示に従った人は長い待ち時間が生じるのに、上手く立ち回った人は楽ができるというのは理不尽です。

 「締め切り時刻までに保安検査を完了できなければ搭乗は保障しないので、保安検査場の混雑具合を見ながら各自で判断してください。」と自己責任を促せばいいのではないでしょうか。


 個別の対応してくれることは有り難いですが、反面、ごね得にも繋がりかねません。やはり情報は適宜適切に伝えていただきたいと思います。

 


 さて、最近当ブログでは余談が多いですが、今回も余談です。

 吉幾三さんといえば、大ヒット曲「雪國」が有名です。

 ♪ 逢いたくて 恋しくて 泣きたくなる夜~

 ♪ 追いかけて~ 追いかけて~ 追いかけてぇ~雪國~

 若い人でも、実は口ずさめるという人も多いと思います。


 それ以前は、「俺はぜったいプレスリー」「俺ら東京さ行ぐだ」といった、コミックソングシンガーソングライターでした。

 そんなこともあってか、当時は名曲雪國も替え歌で唄われていたことがありました。



 それでは、雪國の気分で熱唱してみてください

 ♪ おゆかけて~
 ♪ おゆかけて~
 ♪ おゆかけて~カップラーメン



 那覇空港を激走した話は、こちら


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2024年3月28日木曜日

ここは何処でしょう?(宮古島のお隣の島でした)

 


 抜けるような青空。水面に映る岩と草木。透き通った水面にはまったく波が立たず、鏡となっています。

 まるで高原のような雰囲気ですが、ここは宮古島市内です。

 一体何処にこんな場所があるのでしょうか。




 宮古島から伊良部大橋を渡り、突き当たりを右折して北方向に向かいます。道なりに進むと集落の十字路に出るのでそこを右折し、坂を下って突き当たりでもう1回右折します。

 その先を道なりに最後まで進みます。




 行ける所まで行くと、そこにはこんな海が広がっています。

 


 そこから、ちょっと振り返って西側、進行方向の右側をみると、何故か突如としてこんな絶景が現れるのです。
 



 正解は、伊良部島の佐良浜港です。




 佐良浜港の一番外れ、南端に当たる所にこんな感じで池のような場所があります。これが、とても宮古島とは思えない絶景の正体でした。




 佐良浜港は、かつて宮古島からやって来るフェリーの発着場で、伊良部島の最重要拠点でした。

 港は、次々に拡張され、海が埋め立てられましたが、その際、工法上の理由かなにかで埋め立てられずに残された部分がありました。

 そこは、僅かに外海とつながっているものの、波が押し寄せることはなく、崖や構造物に挟まれて風の影響も受けにくいため、このような穏やかな池状の海が誕生したと考えられます。





 自然の海に人工物を建造すると、自然は破壊されます。

 しかし、自然の力は脅威的で、ときに人工物を取り込んでしまうかのようです。


 下地島の北西、通称17ENDの海は、オールジャパンの中でもトップクラスの美しい海ですが、始めからあのような光景が広がっていた訳ではないようです。

 空港建設のため島の北端を埋め立てたところ、流れが変わり西側に大量の砂が貯まって、結果、あのような美しい海が誕生したと考えられています。

 17ENDの南側の埋立が行われなかった部分は、岩がゴロゴロした、宮古では普通の海です。

 

 今回ご紹介したここも、埋立工事後、残ってしまった僅かな場所が、よく見たら絶景ポイントになっていたということでしょう。






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2024年3月23日土曜日

ここは何処でしょう?(宮古島市内ですよ)

  


 抜けるような青空。水面に映る岩と草木。透き通った水面にはまったく波が立たず、鏡となっています。




 爽やかなイメージで、何処ぞの高原のような佇まいですが、ここは宮古島市です。この水溜まりは、池ではなくて海なのでしょうか。

 よく見れば、生えている木が、南国っぽいですね。




 荒涼とした中にも静寂を感じさせる、秘境のような雰囲気ですが、アクセスは意外と簡単です。

 すぐそばまで車で乗り付けることができます。

 この場所自体を目指してくる人はまず居ないと思われますが、すぐ近くを車が通ります。このエリアで働く人もいます。

 ここいら一帯には、観光客が来ることもありますが、ここまでは来ません。


(It's somewhere in here)


 宮古空港から車で30分くらいでしょうか。もちろん、下地島空港からでも車があればOKです。

 場所も分かりやすく、「○○のずーっとあっちの方」と言えば、島を知っている人は分かってもらえるでしょう。

 宮古島は初めての人でも、「○○の突き当たりを××して道なりに進むと△△に出るのでそこを××し突き当たりでもう1回××してあとは行ける所まで道なりに進んで」と説明すれば、通じると思います。


 

 昨年、たまたま見つけました。

 ここいら一帯を表す地名でGoogleの画像検索をしてみましたが、今回ご紹介したような写真は見つかりませんでした。

 何度も行っていますが、まだまだ知らない場所がありました。

 でも、本当に分かりやすく行きやすいのです。

 もしかしたら、灯台下暗し的な穴場かも知れません。


 岩に映る影は、葉っぱの尖ったタコノキ。やはり南国の風景です。青空に映えて本当に綺麗でした。




 で、結局ここは何処でしょう?


 次回を待て!



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