1980年代のカメラ雑誌。
捨てようと思ってパラパラめくっていたら、ついつい引き込まれる独特なワールドがそこにありました。
今回は、沖縄とはまったく関係のない話になるので、沖縄の風景写真を並べてむりやり沖縄と関連させつつ、今とはまったく違った40年前の写真の世界について語らせてもらいます。
あのころの写真は何だか分からないものが多かった
当時のカメラ雑誌に載っている写真は、大家の先生の作品も、コンテストに入選したアマチュアカメラマンの作品も、どこがどう素晴らしいのか、よく分からないものがてんこ盛りでした。
街角の光景や物を何故そう撮る? 花や動物を何故ストレートに撮らない?
自分にはとても撮れない、というか、その着眼点すら分からない謎写真が、雑誌の7割、8割を占めます。
たまに、おっ、これ綺麗じゃん、とか、このモデル可愛いじゃん、と思う写真があるとそれはカメラメーカーの広告べージだったりするのです。
能書きも多い
そのよく分からない写真には、長文の解説がつきます。
大先生の作品には、別ページに細かい字で長々と本人の思いなり評論なりが、フォトコン入賞作品には、下位の入賞でも2~300字の講評が。
作品自体よく分からないので、解説を読んでもますます分からなくなるだけ。
素直な感想を言っちゃうと、ウケないギャグを聞かされたあと、「今のギャグは何処が面白かったかというと・・・」といわれたみたいな。
白黒写真が多い
モノクロ写真が誌面の約半分を占めているのも特徴です。
当時でも、一般の人が普通に写真を撮る限りモノクロではなく、ほぼすべてカラーだったと記憶していますが、趣味の世界ではまだまだモノクロ写真が幅をきかせていました。
モノクロ(Monochrome)というより、文字通りの「白黒写真」という感じの、コントラストが強烈に強い作品が多かったようです。
無造作に人が沢山写っている
人が写っている写真も多いです。それも、そこいらにいる人を勝手に撮って勝手に載せちゃった、みたいなのが。
当時は、プライバシー権とか肖像権に無頓着だったからでしょうが、正直に言ってこれは羨ましい。
目の前に素敵なシーンが広がっていても、そこに人がいると、撮るにはもの凄く気を遣います。顔が写らないように、本人が特定できないようにと。
そうしないと、もし、いい写真が撮れてもブログには載せられません。
人を撮りたい場合は、勇気を出して声を掛けるようにしています。
思っているよりは、OKしてもらえることが多いですが、もちろん断られることもあるし、お願いする間もないほどの突然のシャッターチャンスもあります。
男性の写真では、タバコを吸っているシーンが多いのも時代ですよねぇ。
今なら児童ポルノ?
子供の写真も多いのですが、男の子も女の子も、下半身丸出し、パンツ丸見えな写真が少なからずありました。
今なら、児童ポルノで捕まるんじゃ?って思うくらいですが、「子供だから、子供はこういうものだから」という決めつけというか、大人目線で子供を撮っていた感じです。
ヌード写真全開
そして、この当時のカメラ雑誌に特徴的なのは、ヌード写真が氾濫していたことです。
それも、ただ女の人が裸になるというだけではないのです。
砂浜に寝転がったり、草むらに埋まっていたり、木の幹にもたれかかったり、水の中にいたり、
体に花が盛られていたり、ど派手メイクだったり、とんでもないポーズをさせられていたり、とんでもない衣装を身につけていたり、おしりや胸のどアップだったり。
タイトルには「おんな」「女」「○○の女」というのが並びます。
それに対する解説がまた、「エロス」が「官能的」で「淫靡」な「曲線美」と続きます。
だけど、ハッキリ言わせてもらうと、女の人の裸なのに、全然ドキドキしないし、何も感じないのですよ。
お年頃?だった当時の自分でもですよ。
それどころか、エロじゃなくてグロじゃん、なんて突っこみたくなるものもあります。ヌードの分野であっても、よく分からない写真が並ぶのです。
せっかく目の前に裸の女がいるんだから、もっとシンプルに撮れば、○○で××なのに、なんて思うのは、俗人の浅はかさなんでしょうな。
芸術であるヌードは、その女性美をレンズを通して極限まで追究するのでしょう。(まぁ知らんけど)
どうやって、撮るのかといえば、アマチュアの場合は、有料のヌードモデル撮影会に参加するか、同好会のメンバーで金を出し合って、プロのモデルを頼んでいたようです。
とても金のかかる趣味です。
大勢のおっさん達が、屋外で裸になった女の人を取り囲んで写真を撮る、というのも想像するとちょっと不気味ですが、近時のように高性能カメラで盗撮するよりは、ある意味潔いとも言えます。
♪ 今の君はピカピカに光って~
宮崎美子さんがブレイクしたカメラのCMをご存じでしょうか。自分もその頃カメラデビューしました。
カメラを買って写真に夢中になり、カメラ雑誌を買い漁りました。
その当時のものをなかなか捨てられず、引っ張り出してパラパラとめくり出したら、面白くて止まらなくなってしまったのです。
懐かしくもあり、却って新鮮な感じもします。
本としては状態が悪く、結局捨てざるを得ないようなので、せめて捨てる前に感じたことをブログに書かせてもらいました。
フイルムで撮り、それを現像してプリントしなければ見ることができなかった写真は、金がかかると同時に、カメラマンには一発必写の高いテクニックが求められました。
撮ったものをすぐ見ることができ、いくら撮っても金のかからないデジタル写真の時代とは違い、いい意味でも悪い意味でも、写真趣味が特別な人達に支えられていた時代でした。
今回並べた沖縄の風景写真ですが、当時これだけ撮れたら、多分プロカメラマンとして通用したと思います。
昔は、目に見えるものを目に見えるのと同じ明るさ、同じ色で撮るのこと自体が難しく、カメラマンは、アーティストである前にエンジニア(技術者)でなければなりませんでした。
綺麗な景色をそのとおり綺麗に撮れれば、出版社が買ってくれた時代です。
カメラ雑誌には、それとは別に、自分のイメージを写真で表現するという、一種独特のワールドがあったのではないかと思いまです。
ただ、自分がそのワールドに入って行けなければ、なんだかよく分からない写真が載っているというだけで終わってしまうのかも知れません。
今のように、誰もがお手軽に、しかも、見た目以上にいくらでも盛れる写真を撮れる時代が来るとは、当時誰が想像したでしょうか。
あれから、まだ40年しか経っていないのです。
最後に〆の雑談です。
今回の記事は、そもそも雑談なので、雑談of 雑談なのですが。
「エロス」とは、ギリシャ神話の愛を司る神の名前です。
愛と美を司る女神アフロディーテの息子で、背に翼を持ち、恋をもたらす金色の弓矢を携えるそうです。
あれっ?と思いませんか。
そう、ギリシャ語の「エロス」が、ローマ時代に入り名前が変わり、ローマ神話の中で、アモール(Amor)、クピードー(Cupido)と呼ばれるようになります。
Amorは、後にフランス語のAmour(アモーレ)になり、Cupidoは英語読みでキューピッドなんだそうですよ。
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