2014年7月28日月曜日

「神の島大神島」は観光に生きるのか


 宮古島から船で渡る離島。大神島。ここは、聖地、神の島でもあります。


 その大神島が変わりつつあります。その象徴は、この建物「おぷゆう食堂」。ご覧のとおりまだ新しい建物です。


 大神島については、約1年半ほど前に記事を書きました。

 http://miyakoyaeyama.blogspot.jp/2012/12/blog-post_18.html

 その時は、観光客を受け入れる体制など全くなく、郵便局なし、駐在所なし、診療所なし、民宿なし、食堂なし、売店なし、のまさに離島の中の離島。

 ごく少数の物好きな離島ファンが日帰りでやって来るだけでした。

 

 

 島の西側の海岸沿いの道を行く電動カート。観光客を乗せて案内中です。
 観光案内など、以前は考えられませんでしたが、今では宮古島で配られているフリーペーパーに観光案内の広告が出ています。
 島には、ナンバーの付いた自動車は1台。他にこの電動カートを、使えなくなったものも含めて3台見ました。

 

 「カーキタコ丼」。おぷゆう食堂の看板メニューです。
 「カーキ」とは「乾き」を意味する方言。「島タコ」の燻製はこの島の名物。名産品と言うより、恐らくは、島の貴重な保存食だと思います。



 転機となったのは、小中学校の廃校でしょう。
 平成20年4月以降生徒が居なくなり休校、その2年後に正式に廃校が決まり、建物も既に撤去されました。


 学校として存続していれば、喩え生徒が一人でも複数の教員と事務員などが公費で配属されるので、人口30人程度の島の経済には、少なからず貢献したことでしょう。
 廃校は、単に象徴としての学校がなくなること以上に、影響が大きかったはずです。


 そういった流れの中で、「おぷゆう食堂」が出来ました。壁には、民宿・売店・観光ガイドとあります。ここが島外から人を受け入れる拠点として作られたたことは、想像に難くないところです。


 しかし、ここは聖地、神の島です。神事も多く、その内容は島民以外には知らされていないものがほとんどです。
 集落内は、島民以外立ち入り禁止の場所が多く、祭事の時は、入島そのものが制限されることもあります。

 観光出来る場所は、山頂の展望台である遠見台と海岸線のみ。海は綺麗ですが、歩いて回って1時間もすれば終了してしまいます。
 まだ、知られていない観光資源があるのでしょうか。

 今回船に乗って驚いたのは、今まであまり居なかった、シュノーケリング目的の日帰り客が結構いたことです。しかし、観光客が増えると、島の特色を理解しない自分勝手な客が増えてトラブルになることも予想され、心配になります。




 ところで、観光化の流れとは関係ないのでしょうが、船が新しくなっていました。新造船「ヌスマかりゆす」号。

 旧船にあった名物料金表(前の記事を見てください。)がなくなったのは残念ですが、乗船券は、活版印刷されたものに、ペタンとスタンプを押した昔ながらの味のあるものです。

 なお、大神島は、周りの海をはじめ美しい自然に恵まれています。その様子は、続けて次回にご覧いただく予定です。


2014年7月26日土曜日

小浜島の写真を追加しました【終了しました】



  website「宮古・八重山ってこんな所」を更新しました。

 小浜島のページを編集し、写真の追加・入れ替えをしました。



※ このサイトは、2016年12月をもって公開を停止しました。
 長期間にわたりご覧いただきありがとうございました。

 


2014年7月23日水曜日

宮古島のカメはオレの友達だぜ by ひで


 カメのマルガリータか。よく来たな。会いたかったぜ。



 シマハギ達、オレの客人のために大勢集まってくれてありがとよ。



 ニモか。随分深い所に居るな。綺麗なイソギンチャクと棲んでいるじゃねぇかよ。



 宮古の海のことなら何でも知ってるぜ。カメも熱帯魚もオレを慕ってやってくるが、鮫やクラゲはオレを見てシッポを巻いて逃げるのさ。オレこそ、本当の海の男だぜ。
 宮古島の「ひで」とはオレのことだ。











 と言っているかどうかは分かりませんが、今回ご紹介するのは、「ひでちゃんTours宮古島」を主宰する、ひでちゃんこと松尾英樹さん。年齢非公表。

 (聞き忘れただけなんだけど。)

 シュノーケルツアーなどのガイド、いわゆる「ショップ」の経営者です。

 「ひでちゃんツアー」は、船で行くツアーとは違い、愛車「ひでちゃん号」で出掛けます。天候や潮の状況、さらにはお客さんのスキルを見極めながら、最適な場所からビーチエントリーします。



 主なメニューは、

 シュノーケリング
 海からしか行けない鍾乳洞、通称「パンプキン」探索
 陸上観光案内

 ウミガメウオッチングがあったりナイトシュノーケリングがあったり、組み合わせも可能で、ある程度のオーダーメードもOK。何でも相談して、みたいな感じ。

 なので、子供連れ、高齢者が同行、泳ぎは得意でない、前回と違う場所で泳ぎたい、穴場の観光スポットに行きたい、綺麗な写真を撮りたいなど具体的な注文をすれば、できる限り対応してくれます。

 基本的に、宮古島の何処でも向かえに来てくれます。シュノーケリングに必要な機材も用意してくれるので、水着だけあればOK。

 機材だけのレンタルもしています。各種サイズを揃えているので、家の中は機材だらけ、風呂場は毎日大変なことになっているとか。

 しかも、
 ”I can be a guide in English.”
 なのです。
 前職はなんと英語の先生。

 


 ガイド中であっても、陸上でも水中でも精力的に写真を撮り、ツアー終了後撮った写真を超高速でDVDにコピーし、早ければその日のうちにホテルにお届け、なんてサービスも。
 そこまでやらなくたって・・・とこっちが心配になるほど。

 おやつもあったりします。
 7月の中旬、宮古島はマンゴーの最盛期。 だからといって無造作にこんなに!出してくれたマンゴー。全部一人で食べちゃいました♪ いや~ごちそうさまです。



 ちなみに冒頭の写真のカメ。ひでちゃんの友達(本人談)で、名前は「マルガリータ」ちゃん。ひでちゃんに似て頭が丸刈りだからだそうです。(長髪のカメは見たことないんですけど。)

 プールの何十倍もありそうな広いエリアの中を泳ぎながらカメを探します。突然、「あっ、マルガリータちゃんです!」と声がかかります。急いでカメラを向け、一生懸命マルガリータちゃんに着いていきました。

 でも、とてもおっさん二人の会話とは思えませんな。カメが日本語を理解したら吹き出したことでしょう。




 「最近は、ガソリンが高くてやってらんないですよ~。」なんてぼやきながらも、今日もベストな場所を求めて、ひでちゃん号は宮古島を縦横無尽に快走しています。

 


2014年7月19日土曜日

何もない小浜島の何もない集落 細崎


 最近では、「何もない島」と言われることの多い小浜島。

 10年以上前、ちゅらさんブームだった頃は、「石垣島に行った人が行ってみたい離島ナンバーワン」だったこともあったのですが、さすがにちゅらさんだけで引きずるのは難しく、それ以外には、これといった観光名所がありません。

 リゾートホテルが2つもあるのですが、島自体は山坂が多く、自転車で回るにはちょっときつく、レンタカーだとあっという間に一週できてしまう。
 竹富島のコンドイ浜、黒島の仲本海岸のような代表的なビーチもなく、泳ぐためにこの島に日帰りで来る人はほとんどいません。

 でも、「何もないよ」という小浜島フリークは、とても嬉しそうに「何もない」と言うのです。
 そう、何もない、正確には一見何もなさそうなところが、実はこの島の魅力なんですね。


 そして、何もない小浜島を代表する何もない集落「細崎」。
 「くばさき」と読みます。
 島の南西に突き出した細い岬の末端。目の前数百㍍はもう西表島です。

 漁港のある漁師町です。元々は、沖縄本島の漁師町、糸満からの移住者だとか。

 宿1軒、食堂が今のところ1軒、売店今のところなし、飲料水の自販機今のところ1台、郵便ポストが1つ、犬・ネコ・山羊が少々。



 「海人公園」というのがあって、マンタの形をした展望台がありますが、だから何なの?って程度。

 もっとも、夜は真っ暗で、星を眺めるには都合がよいのですが。


 小浜島を観光で回っている人は、一応ここまで来る人も結構いますが、何もないことを確認して帰っていきます。


 細崎の海では、干潮時にこんなものが現れます。「魚垣」と呼ばれるものです。

 海にこういった石を積んで置きます。満潮になると水面は石積みの遙か上になるので、魚は自由に行き来できますが、干潮になると石積みに阻まれて元に戻れなくなるので、そこを根こそぎ獲ってしまおうというものだそうです。
 今は使われていませんが、昔は、この魚垣にも所有者がいたんだとか。



 しかし、魚は昔ほどは獲れなくなったといいます。きちんとした冷蔵施設もなく、夏場は獲った魚が傷みやすく商売にならないそうです。海人(漁師)も高齢化が進んでいます。

 こんな、現状を打破するべき、細崎の20代の海人が頑張っています。「細崎まーる新鮮隊」と称し、体験漁業などの体験型観光に活路を見いだそうとしています。
 上の魚垣も、彼らのガイドによるものでした。

 

 現在町の小さな建物が建設中で、完成後地元に引き渡されるそうです。来年には、新鮮隊による集落初の売店がオープンしているかも知れないとのことです。



 実は、当ブログでは、以前に細崎のことは何度か取り上げていますので、よかったら併せてご覧ください。

 細崎から見た日の出はこちら
 http://miyakoyaeyama.blogspot.jp/2014/01/blog-post.html

 細崎にある素敵な宿はこちら
 http://miyakoyaeyama.blogspot.jp/2013/03/blog-post.html
 ※現在、食事は朝食のみとなっています。

2014年7月13日日曜日

沖縄台風情報に関する基礎知識


 先日も大きな台風がやって来ましたが、夏の沖縄と台風とは、切っても切れない関係にあります。
 沖縄旅行中に台風が接近しそうだとなると、飛行機は予定どおり飛ぶのか、沖縄に行くかの止めるのか、早めに切り上げて帰るのか、台風情報とにらめっこしながら胃の痛くなる日々が続きます。

 しかし、無闇に心配だけしてもしようがないので、的確な判断に必要な、沖縄台風情報の基礎知識について確認しておきましょう。


 沖縄は広い!

 沖縄本島と宮古・八重山は、東京と中部・関西ほどの距離があります。
 内地にいると、台風情報も「沖縄地方」と十把一絡げに表現されますが、利用する空港が、那覇空港なのか宮古空港なのか石垣空港なのかによって影響の度合いが全く違います。
 羽田空港と中部空港を一緒にできないのと同じです。
 ニュースのヘッドラインなどにに惑わされず、正確な情報を収集してください。

 
 台風情報は気象庁と米軍で
 
 台風情報は、日本では気象庁が独占し、民間の気象会社は発表出来ませんが、手軽に見ることのできる外国の情報としては、米軍=Joint Typhoon Warning Center  (JTWC)の情報があります。



※ 米軍サイトは、引っ越しが多いので、開けない場合は、「JTWC」web検索をしてください。
  グリニッジ標準時で表示されるため9時間の時差があります。

 台風の進路予想は、時として気象庁と米軍で大きく違いますが、そういうときは経験上、足して二で割るとちょうどいいみたいです。



 進路予想は難しいのです

 台風の進路予想は円で描かれ、その中心線が示されます。なので、ついその中心線に沿って進むと思いがちですが、気象庁の場合(米軍は分からず)予報円の中に台風の中心がある確率は70%です。
 つまり、予報円の中心どころか、予報円から外れている可能性が30%あるわけで、それだけ進路予想は難しいということです。
 進路だけでなく、速度や強さ(どれ位発達するか)の予測も難しいわけで、まだ先の予報に一喜一憂しない方がいいと思います。

 ニュースや気象情報でよく、「必ず最新の情報を確認してください。」と言っているのを聞きますが、通訳すると「予報のとおりになるかどうかは分かりません。」ということなのかな?


 台風は反時計回りに渦を巻きます

 そのため、一般には台風の中心より東側・南側の方が風雨が強くなる傾向にあります。これは、結構重要な考慮要素なので、覚えておいてください。
 例えば、台風が宮古島と那覇のちょうど中間を通過した場合、西側の宮古島より東側の那覇の方が風雨が強くなります。
 南大東島辺りに中規模台風が接近していても、遙か西の八重山では「何処の話?」みたいなこともあります。


 欠航するのは風速25㍍以上の暴風圏内です
 
 飛行機が欠航するかどうかは、大体その空港が風速25㍍以上の暴風圏内に入るか否かで予測できます。
 もちろん機械的に決められているわけではありませんが、風速25㍍以上で飛行機が飛ぶことはまずありません。小型のプロペラ機(那覇・与論便、宮古・多良間便等々)はジェット機よりも早く欠航が決まります。

 暴風圏内とは、気象庁の予報では、赤で表示される円です。小型の台風では発生しないこともあります。風速は、空港や航空会社が独自のデータを解析しているようで、運航・欠航のギリギリの判断が行われます。
 

 台風前に臨時便が飛ぶときはヤバイです

 早い話、台風後の混乱を少しでも軽減するため、先に帰れる人は先に帰してしまおうということです。つまり、航空会社も本気を出し始めたということなのです。
 その時沖縄に居て、帰りの予約便がもしかしたら台風で欠航するかも知れないときに、その便より早い時間の臨時便の運航が発表されたら、それに振り替えて早めの帰宅することを真剣に検討された方がいいと思います。

 臨時便は突然発表されますので、サイトなどをこまめにチェックしておく必要があります。発表されても、「○日の○時から空港カウンタで予約を受け付けます。」みたいに予約方法を指定されることもあります。
 臨時便に関しては、平常時では変更のきかない割引航空券でも、変更可能なことが多いので、要確認です。

 臨時便を出せるのは、機材に余裕のある大手だけですが、スカイマークやLCCの人も、ANA・JALの運航情報は参考になるはずです。



 空港は翌日になっても混乱と遅れが生じます

 台風で欠航になった翌日、平常運航が発表され、今日は問題ないだろうと思って空港に行ったら大変なことになっていた、ということがしばしば発生します。

 一つは機材繰り。要するに使用する飛行機が予定の時間に飛んでこなかったということ。もう一つは、搭乗手続の混乱。便を変更したり空席待ちで乗る人の搭乗手続を人海戦術で行うため時間がかかります。
 そして、元々過密状態の那覇空港では、ある便の出発が遅れると、その便が駐機場を占領してしまい、後続機は予定どおり着陸しても、駐機場がふさがっているため手前で待機ということになり、遅れが増幅します。

 運航再会直後は、まだトラブルやアクシデントの可能性があることを見越して、余裕をもった行動を心掛けることが賢明です。


 台風一過とはいかず・・・

 内地の感覚だと台風が通り過ぎると、すぐに台風一過の青空がやってくるようなイメージですが、沖縄の場合、台風が通過しても風が強い間、あと二日ぐらいは曇りが続きます。
 ただ、経験上、八重山の方が宮古より台風通過後の天候の回復が早いような気がしますが、これは偶然なのかも知れません。



 なお、沖縄での台風時の対応については、こちらも、参考にしてください。

  https://miyakoyaeyama.blogspot.com/2019/08/blog-post_12.html

 
 
 


2014年7月9日水曜日

石垣島ペンションぱいらんど202号室の思い出

 ディープでハートフル、ペンションなのにド民宿な島宿。それが、石垣島の中心市街地にデンと構える「ペンションぱいらんど」です。
 自分がここに初めて泊まったのは、平成13年(2001年)10月。2階の202号室でした。

 今回、久々に202号室に泊まりました。
 何故、部屋まで覚えているかというと、洋室主体のこの宿の中でこの部屋だけが和室。しかも当時は、畳の上にベッドが置かれていて、忘れようにも忘れられない部屋でした。

 そして、当時あった「思い出ノート」が今も。
 既に3冊目に入ったこのノートは、なんと1997年から続くもの。まさに宝ですな。自分もあの時何か書いておけばよかった。




 ぱいらんどに泊まると、毎晩漏れなく宴会が付いてきます。
 食堂の大きなテーブルにお客さんが相席し、出来たての料理が次々に運ばれます。
 この日の料理は、グルクンの唐揚げに、おばぁが海で採ったモズクの天ぷら、ソーキ汁。その他マグロの刺身、イリチー、あと何だっけ。

  
 泡盛はご自由にどうぞ。というか、「飲んでるかぁ~」とおじぃのチェックが。
 後半戦になるとおじぃ・おばぁが三線弾いて、お客さんが唄って踊って?の沖縄風。それが終わっておじぃ達が引っ込んでも、お客さん同士、初対面の人が当然多いのですが、引き続き夜遅くまで飲んでおしゃべりをしています。


 こんなスタイルが受けて、雑誌やテレビで取り上げられることもしばしば。


 
 ところで、民宿とは本来、民家の一部を旅行者の宿泊に提供した、自宅開放型の宿泊施設のこと。ぱいらんどでは、ここに住むおじぃおばぁの孫達が、お客さんの宴会中食堂で一緒に食事をしたり、パソコンゲームに熱中していたり。
 時には、お客さんの前で中学生の孫が三線弾いて2~3曲なんてことも。それも、ハンパなく上手いのです。

 洋室主体の個室で、各部屋に冷蔵庫とクーラーがあり、タオルやパジャマ、歯ブラシなんかも備え付けられていて、名称もペンションですが、この超家族経営なところはどう考えても民宿。それも、そこいらの民宿がお辞儀をして前を通る程の?「ド民宿」ではないでしょうか。

 当時小学校低学年だった孫の生意気なガキ活発な女の子が、いつの間にやら高校生になっていて、チェックインの手続をしてくれたりで、時の流れに驚愕します。



 以前は、おじぃ・おばぁが二人でやっていました。
 二人といっても、おじぃはお客さんと飲むだけで・・・というおばぁの愚痴を、常連のお客さんが聞かされている、何てこともしばしば。

 今は、娘さん夫婦がメインでやっていますが、先日行った時も、おじぃ・おばぁが元気だったので安心しました。


 初めて泊まってから、今年でなんと14年連続。
 建物自体はもうかなり古く、掃除がキチンとされていてもお世辞にも綺麗とは言えない。駐車場もないし、周りには安くて快適なホテルが次々に建っている。
 それでも、八重山に行くとになれば、予約の電話をしたくなります。ぱいらんどは、そういう宿です。


2014年7月5日土曜日

東洋一のビーチの裏側 宮古島サニツ浜


 宮古島の南西にある、旧下地町与那覇。
 与那覇地区の南側には、宮古島を代表する美しいビーチ「前浜」がありますが、その北側の与那覇湾に面したところは、何とも地味なビーチである「サニツ浜」があります。

 与那覇湾は、ラムサール条約の登録湿地なのですが、つまり干潟。
 干潮時は、海が遙か彼方に行ってしまいます。

 上の写真で泥の塊みたいに見えるのは、カニが巣穴を掘った跡です。

 下の写真は、潮の流れのせいか貝殻だけが寄せ集められた場所です。といっても、せいぜい数メートル。
 海岸一面が貝殻だったら、「シェルビーチ」として世界的に有名になったでしょうが。


 「サニツ」とは「3日」のこと。
 旧暦の3月3日は、大潮で、しかもこの時期は潮の干満の差が最も大きいとされています。元々ここは干潟ですから、大潮の干潮時ともなれば相当干上がります。
 かつては、旧暦3月3日に、ここの干上がった浜を利用して、農耕馬(宮古馬)による競馬が行われていたことから、ここいら周辺の海はサニツ浜と呼ばれます。


 「サニツ浜ふれあい広場」という公園があり、巨大な宮古馬の置物があります。しかし、少なくとも観光客レベルでは、一体何のことやら?という代物でしょう。



 ここいら辺一帯は、島の西側に位置するものの、北東に与那覇湾を望むため、海方面から日が昇ります。


 そして、干潮時から少しだけ潮が満ちてくる時間帯は、極めて浅い波の立たない状態の海になり、そのタイミングで日が昇ってくれると、こんな風に海が鏡になります。