2020年1月31日金曜日

沖縄の島ネコにゃんs  神ネコ?編




 格子から顔半分と肉球を覗かせる白いネコ。
 思わず近寄って、肉球をこちょこちょしたくなりますが、頭が高い!控えおろう!このおネコさまをどなたと心得る!


 この建物は、宮古島創成の神を祭る漲水御獄の拝所なのです。ごく限られた人しか立ち入ることができない神聖な場所。

 堂々と居座るのは神ネコ?




 見ていると、手水舎の水を飲んでいました。こうやって、毎日体を清めているんでしょうか。




 これは拝所の中です。堂々とお昼寝。人間にはとてもマネできません。本当に神様の使いかもしれないので、一応拝んでおこう。パンパン。




 神の島久高島で、難しそうな顔をしている思索中の哲学ネコ。「猫思う、故に猫あり。」
 




 こちらは、道路の真ん中で堂々と寝そべっている路上寝ネコ。都会ではあまり見かけませんが、島では普通の光景です。
 「車に気を付けて」と注意しても、「別に~」とか言われそう。
 同じく神の島久高島にて。




 沖縄の島ネコは、皆のんびりしています。人がのんびりしているからでしょうか。御獄の中でも、道の真ん中でも、安心して寛いでいます。

 沖縄は、ネコにとっては暑いのじゃないかと思っていましたが、それなりに涼しそうな場所を見つけてゴロゴロしています。そう、「涼しいところはネコに聞け」でしたね。



 場所もネコも、全然神ってないけれど、木陰で気持ちよくお昼寝中ネコ。本当に気持ちよさそうなお顔で。
 石垣島です。




 これは、どういうシチュエーションだと思いますか。実は、車の下でなのです。こうしてみると、何となくアートっぽい、アートネコ。
 こちらも石垣島です。

 



 最後に特別出演してもらうのは、部長ネコ。でも、心なしか寂しそうです。

 宮古島の民宿で、10年以上営業部長として宿泊客に可愛がられてきましたが、昨年、共に職場を守ってきた同僚、後輩が、相次いで鬼籍に入ってしまいました。

 老骨に鞭を打って、孤軍奮闘中。でも、無理をしないで、これからも元気で長生きをしてください。





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2020年1月26日日曜日

石垣島名蔵湾の海に生えるマングローブ




 海です。海なのに当たり前のような顔をして木が生えています。
 普通に考えると、ちょっと不思議じゃないですか?

 石垣島の西側、名倉湾です。


 まあ、沖縄では割と見かける風景ではありますが。



 石垣島の名倉湾は、名倉川という石垣島にしては大きな川の河口部分で、一帯は名倉アンパルと呼ばれる湿地帯です。

 その外周部分を埋め立てて道路を造ったので、車から見えるのは、海と、河口から海に飛び出してしまった木々なのです。




 元々は、この辺は、名倉川の広い河口だったのでしょう。



 一方、道路があるおかげで、簡単にアクセスができます。ドライブ中に車窓から、また、駐車場もあるので、休憩がてら写真を撮るのもいいと思います。

 ここいら辺は、西向きなので、海が綺麗に見えるのは午前中です。
 石垣島を1日で一周するドライブの場合、順光線で海が綺麗に見えるよう、時計回りコースをお勧めしていますが、名蔵湾は是非、朝~午前中に到着してください。

 
 天気雨だった午前中。バスの車窓からです。



 消波ブロックの隙間に生えてしまったミニマングローブ。このままここに根を張るのでしょうか。





 マングローブにまつわる、沖縄好きにとって恐怖の話。

 ガイドの付くツアーに参加すると、必ず聞かされる「マングローブと一般には言われますが、実は、マングローブという木はありません・・・」

 (うわぁぁぁ~ また始まったぁ~  それもう、30回くらい聞いてます。)



 喩えて言うならば、「山手線は環状線なので行く先ではなく、外回りと内回りと表示されます。」って東京に行くたびに言われるようなもんですな。
 




 そして、西側にあるが故のこの光景。マングローブに沈む夕日です。
 ただ、なかなかこんな感じに綺麗に焼けてくれません。今まで4~5回通ったものの、ただ一度きり。




 石西礁湖と呼ばれる、我が国最大の珊瑚礁群に囲まれ、遠浅で大きな波の立ちにくい海です。あとは、幸運を祈るのみ。




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2020年1月22日水曜日

実は高級フルーツ 沖縄の島バナナ



 
 たわわに実ったバナナ。沖縄の集落を歩いていると、普通に見かける光景です。これが島バナナです。

 普段食べている外国産のバナナと違い、実が小さく、食感はねっとりとして、微かな酸味と濃厚な甘さがウリ。

 ところが、この島バナナは、高級品。旬の時期でも、金さえ出せば買えるとは限らないのです。




 島バナナは、沖縄県や奄美地方、小笠原地方などで栽培されるバナナです。マレー半島が原産で、19世紀前半に小笠原諸島に持ち込まれたものが、各地に広がったとされています。

 バナナは、高さ数㍍に成長するので、立派な木のようですが、草なんです。だから、バナナの木ではなくバナナの草? 栽培には、マンゴーのようにハウスで育てる必要もなく、それほど手がかからないそうなのですが・・・



 何故、高級品かといえば、島バナナは、台風に弱いからなのです。しかも、苗を植えてから収穫するまでに4年といわれています。

 植えてから収穫できるまでに台風にやられてしまうリスクがあるため、農家としては、手を出しにくい作物なのです。
 



 夏の一時期、那覇空港の売店には、マンゴーやパイナップルがどどーんと並びますが、7月~9月が旬の島バナナは、この時期でもなかなか見かけません。

 公設市場ですらも、必ずあるとは限らないそうです。


 通販サイトで探してみても、とてもバナナとは思えないようなお値段だし、それでも、品切れだの入荷待ちだの、結構待たされることも多いとか。





 ところで、バナナは、植物学的にはバショウという種です。沖縄でバショウといえば、芭蕉布を思い浮かべると思いますが、芭蕉布は、バショウの葉で織った織物です。

 バショウの中には、実が食用には適さないものと、食用に適した美味しい実が成るものがありますが、後者は、実バショウと呼ばれます。これがバナナです。
 


 今は昔の首里天加那志 唐ヲつむぎ機を織り 納捧げた芭蕉布浅地紺地の我した島沖縄

 有名な「芭蕉布」の一節です。聞いたことある、三線弾いて唄った、とういう人も多いでしょう。


 バショウは、影だけ見ても分かる、独特の形の葉っぱをしています。



 島バナナは、本格的な栽培は難しくても、庭先に植えたり、無事収穫できればそこそこの小遣い稼ぎになるということで、ダメ元でちょっとした空き地に植えられているケースが多いようです。


 なので、島人の間では、案外出回っていて、高級品とか貴重品という扱いは受けません。民宿に泊まっていたりすると、思いがけずお裾分けがあったりすることも。

 無理に買おうとするとべらぼうな値段なのに、島に滞在していれば、お相伴に預かれるかも、なんてなかなか粋じゃないですか。

 

 竹富島の無人売店にて。一房400円。地元ならではの掘り出し物。こういうのを見つけると嬉しいですよね。





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2020年1月17日金曜日

神の島久高島 美しい海と秘められた歴史




 那覇から東南東におよそ15㎞、安座真港から船に乗って久高島へと向かいます。那覇からこんなに近いのに、離島の魅力満載の美しい海が出迎えてくれました。

 琉球創世の神、アマミキヨが、天から降りてきて国づくりを始めたという、琉球神話誕生の島、神の島です。



 
 久高島は、外周約8㎞。実は、竹富島より小さな島です。
 最大標高が17mとこれまた平坦な島。歩いて、若しくは自転車に乗って、十分見て回ることができます。

 四方を美しい海に囲まれています。那覇からそう遠くないにも拘わらず、静かで落ち着いているのは、神が守っているからでしょうか。
 でも、一部の立入禁止区域を除いて、観光客も普通に受け入れてくれます。宿泊施設もあります。





 この島には、沖縄電力所有地を除くと、私有地というものがありません。海岸、道路用地などの公有地以外は、島内の土地を一括して、自治会である字(あざ)で総有しています。総有とは、構成員が持ち分を持たずに共同で所有するもので、原始的な所有権の形態です。

 琉球王朝時代の「地割制度」が今なお残っている、沖縄で唯一の島なのです。

 島民は、字総会の許可を得て家を建て、土地を耕し、島を出る際は、その土地を字へ返します。




 1713年に編纂された「琉球国由来記」には、島の東にある伊敷(イシキ)浜に流れ着いた壷(瓢箪という説も)の中に五穀の種子が入っていたと記されています。
 五穀とは、米・麦・粟・黍(又は稗)・豆を指します。「五穀豊穣」などという言葉を耳にすることがあると思います。

 五穀の種子は、ニライカナイから神が使わしたものとされ、伊敷浜は、沖縄における五穀発祥の地とされています。


 これが、五穀の種子が流れ着いたとされる、伊敷浜です。




 かつて、久高島には、イザイホーという秘祭がありました。

 イザイホーとは、12年に一度、午(うま)年の旧暦11月、島の30歳以上の女性が、ナンチュになるための神事です。
 ナンチュになると、一人前の女性として、神として認められ、家族を加護する神的な力を得るとされます。

 この母性原理に基づくイザイホーは、民俗学的には大変貴重な儀式とされていますが、1978年を最後に、以後行われていません。

 一般には、「後継者の不足のため」、と当たり障りなく説明されていますが、ナンチュ、すなわち神になった女性は、70歳で引退するまで、島を出てはならないなど、生活上の様々な制約を受けることになるため、ナンチュになる前に皆島を出てしまうことが一番の原因だそうです。

 また、秘祭であって 儀式の祝詞や段取りは文書化されず、ノロウメーギを中心に伝承されていたので、ノロウメーギが亡くなると、それを引き継ぐ人がいないという事情も重なったとか。
 ノロウメーギとは、神職の名であり、最高位のノロの補佐役とされた人です。


(母たちの神 比嘉康雄展より引用)


 ただ、イザイホーは消滅したわけではなく、午年が訪れる度に、「わびの拝み」を行って、神に中止の許しを請うているのです。



 久高島には、古くから「男は海人、女は神人」の諺があります。

 海人であった男達は、カツオを追って遠く奄美諸島まで遠征し、向こうで現地妻を設ける者も多かったとされています。

 命がけで海を渡る代わりに、貧しかった奄美の地で島妻を囲う男と、久高島に閉じ籠もって、神力で家族を加護する女。

 こうした歴史を背景に持つ神事は、それがいくら神聖であっても、いくら文化的に貴重であっても、現代社会において手付かずのまま継承していくことは、もはや、不可能なのだろうと素人ながらに思います。


 

 20年ほど前に、沖縄コミュニティ・アイランド事業という名称の、日本の何処にでもありそうな補助事業で造られた、これまた何処にでもありそうな遊歩道と四阿。

 神の島にも、ありふれた公共事業の波が押し寄せています。



 宮古島の隣の大神島も、八重山の新城島も、神の島と呼ばれる島です。
 しかし、久高島が特別なのは、やはり琉球王府に近い存在だったからでしょう。


 かつて秘祭が行われ、今なお竹富島を凌ぐ数の神事が行われている島。島民が一人として自分の土地を持たない沖縄唯一の島。神の島久高島。
 
 それでも、普段は、ノンビリした沖縄離島であることに変わりはありません。
 島の歴史に興味がある人も、人のいない美しい海をボーッと眺めたい人も、一度足を運んでみてはいかがでしょう。




 今回の記事は、琉球新報、Wikipedia等のネット記事のほか、沖縄県立博物館・美術館刊「母たちの神 比嘉康雄展」を参考にしました。



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2020年1月13日月曜日

沖縄の超現実世界(マジメに読まないでください)


 おにぎりください



 「ハンドルをおにぎり下さい」という日本語が正しいかという以前に、この看板が気になって、却って安全運転がおろそかになるのではないかと心配になります。



 ドアを開けるな!


 開けたら最後、オープンカーになってします。でも、開けさえしなければ、火災現場に駆けつけても大丈夫なのでしょうか。凄く心配。



 
 働いてくれてありがとう



 昔はフラフラしていたお父さんが、最近では心を入れ替えて働く姿を、娘として目を細めて見ている。いやいや、それは考えすぎで、素直に感謝の気持ちを込めたのでしょう。



 
 おつかれ様



 産んだ娘から、おつかれ様と言われる母親の心境はいかばかりか。いやいや、それは考えすぎで、素直に労いの気持ちを表現したのでしょう。



 
 不倫は文化だ



 文春砲炸裂か!?



 左右確認!
 

 この場合、左側はどうやって確認するのでしょうか。



 注意!
 

 何に注意すればいいのでしょうか。 



 
 土に還る



 万物は死んで朽ち果てる。でも、このまま土に還ったら色々拙いことになるのでは、と心配になります。


 
 幸せを運ぶ看板



 幸運機(失礼しました。)



 
 
 数量の単位



 ときどき思うのですが、沖縄の100㍍って何㍍なんでしょうか。
 ちなみに、自転車を真剣に漕いで2分くらいかかりました。しかも、タコヤキ屋はお休みでした。ちゃんちゃん。



 
 デブは人生の・・・



 あの~ こ、ここまで言い切ってコンプライアンス的に大丈夫なんでしょうか。



 シュールレアリスム(surréalisme)とは、夢や幻想など非合理な潜在意識の世界を表現することによって、人間の全的解放をめざす20世紀の芸術運動であり、超現実主義と訳されています。
 転じて、シュールとは、日常で見かけない奇抜な状態とされています。

 沖縄の現実世界の中には、ナイチャーから見ると、時としてシュールな光景が展開されています。


 まあ、そんなことはどうでもよろしくってよ。オーホッホッホ。



 食え食え攻撃は沖縄風おもてなし
 




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2020年1月7日火曜日

シンプルに綺麗な海が見たい ならば下地島17END




 綺麗な海を、何もせずボーッと眺める。これって、憧れのワンシーンですよね。

 
 海が綺麗な宮古島。その看板ビーチは東洋一美しいとか言われた前浜のはず。でも、最近の前浜は、人が多過ぎて食傷気味。

 
 そうなると、それに代わるのは下地島17END西側の海。こちらは、車両通行禁止のおかげで人が減っています。




 綺麗な海。いや、もの凄く綺麗な海。いやいや、超絶綺麗な海です。




 泳いでいる人が少しだけいます。SUPをしている人達も。

 遠浅なので、前浜のようにジェットスキーがかっ飛ぶなんてこともありません。静かで、穏やかな海です。




 シンプルに綺麗な海が・・・と書きましたが、タッチ&ゴーも復活しています。

 もし、訓練飛行機の窓側席に座って、17ENDの海を眺められたら最高でしょうね。何しろ、この綺麗な海の周りをぐるぐる廻っているわけですから。




 昨年の3月以来、17END周辺の管理用通路は、一般車両通行禁止となっています。そのため、「入口」付近に車が溢れるのが、常態となっています。

 でも、結果それでよかったと思います。おかげで、前浜のように、バスに乗った団体客が大挙押し寄せる心配もなくなりました。 




 車を駐めて、5分10分歩くだけでこんな海が目に前。それも、コンクリートで固められた平坦で歩きやすい道です。
 


 干潮時間帯は、さらに遠浅度が増します。風が強くても、高さ数センチの波が押し寄せるだけ。




 それにしても、無色透明のはずの海の水が、何でこんな色になっちゃうのでしょうか。シンプルに不思議です。




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