2017年2月11日土曜日

牙を抜かれた虎?大人になった石垣島の安栄観光


 海が荒れてほかの船が二の足を踏んでも、「アンエイなら行ってくれる」との伝説は健在 海人精神みなぎる「硬派のアンエイ」

 これは、「まっぷる石垣・宮古・西表島 2005版」に載っていたコラム記事です。
 「アンエイ」とは、石垣島に本社を置く海運会社、(有)安栄観光のことです。



 安栄観光は、沖縄が本土に復帰する直前の昭和45年(1970年)に設立され、石垣港を基幹港として、与那国島を除く八重山各島に向けて運航しています。

 設立当時、船員として、島の海人(うみんちゅ=漁師)を集めたと言われています。

 何処でも同じですが、高速船は普通、時速換算で5~60㎞のスピードでかっ飛ばします。その上、海人精神がみなぎっちゃう安栄観光は、気合いが違います。
 もう、15年以上前ですが、安栄観光船に乗り西表島に行ったとき、船が上下にジャンプしながら進むということを初めて体験しました。
 まるで、離島に向かうアトラクションのようでした。

 
 八重山航路の運航は、他の会社も行っていますが、ほぼ同規模のライバルが八重山観光フェリーです。
 
 八重山観光フェリーは、船員が制服をピチッと着こなし、接客もスマートな印象なのに対し、安栄観光の船員は、かりゆしウエアなど服装もバラバラな蛮カラ風。

 八重山観光フェリーの船名は、「サザンコーラル」「サザンクロス」「にぬふぁぶし」など、おしゃれなのに対し、安栄観光は、つい最近までは「あんえい18号」「あんえい98号」などすべて番号。古い船には「第八あんえい丸」なんて書いてある箇所も。

 



 かつては、八重山観光フェリーとのダブルトラックで、特に竹富航路は、毎時00分と30分に両社の船が同時に石垣港を出発し、安栄観光船が八重山観光フェリー船をぶっちぎって竹富港に到着する、という光景が毎日繰り広げられていました。

 その頃は、仲間内で「飛行機がアンエイ状態」だとか、「あのバスがアンエイで」などというギャグが飛び交っていました。「アンエイ」とは揺れる、飛ばすの代名詞でした。

 クチコミなどで「海のハイウェイスター」とか「海の暴走族」とか、無茶苦茶言われながらも、島人や観光客に親しまれる存在だったように思います。





 数ある航路のうち、波照間航路に関してだけは、別会社の波照間海運が既に運航を行っていたことから、路線開設の認可が下りず、旅客定員12人以下の船舶で行う、不定期航路事業として運航を行っていました。

 安栄観光が、波照間航路用に用意した船は、「あんえい78号」。聞いた話では、全長が短く横幅が広いこの船は、時化た海には強いのだとか。
 この78号には、46名分の座席が備え付けられていましたが、会社は、これを改造することなく、旅客定員12人以下の波照間航路に投入します。


 波照間海運は、悪天候で運航を中止する際の条件を、波高2.5㍍以上としていたのに対し、安栄観光は、3㍍以上とし、そして、おそらくは、条件を律儀に守ったであろう波照間海運に対し、海人集団の安栄観光は、独自の判断で「大丈夫、行ける」という場面も多かったのだと思います。

 波照間航路は、ご存じのとおり荒れることが多いのですが、安全運航のためとはいえ、いつも早々と欠航を決める波照間海運に島人の不満は強く、「やはり安栄は頼りになる」などという風評が広がっていきます。
 一方、頼りにされた安栄観光は、不定期航路事業で旅客定員12人の路線にもかかわらず、ほぼ毎日旅客運航し、波照間海運が欠航したときなどは、船の物理的定員まで乗せるなど島人の期待に応えてきました。
 

 冒頭で紹介した、まっぷるマガジンのコラム記事は、まさに当時の島人の声そのもの。観光ガイド本なのに、よくぞ載せたと感心します。


 ところが、そんな安栄観光にも転機が訪れます。

 平成20年1月16日、いつものように海が荒れ、いつものように波照間海運が欠航する中、いつものようにあんえい78号は波照間港を出港し、いつものようにガンガン飛ばしていたら・・・
 折り悪く高波に遭遇し、いつもより激しくジャンプしてしまった結果、船内で怪我人が出てしまいました。

 海難審判庁は、事故原因を、強風にもかかわらず発航し、大幅減速を怠ったためなどと裁定し、あんえい78号の船長を戒告処分としました。


 こうしたことがあって、海上保安庁や、監督官庁である沖縄総合事務局運輸部から行政指導を受け、従来よりも慎重な運航、加速減速を強いられることとなり、また、設立当初の海人世代から、第2世代第3世代へと交替して行くという会社側の事情も重なり、かつての海のハイウェイスターは、牙を抜かれた虎となってしまいました。


 安栄観光の保有船も、新しいものは「ぱいじま」、「うみかじ」などというネーミングがなされ、蛮カラなイメージすらも変わりつつあります。



 現在、波照間航路以外は、ライバルの八重山観光フェリーとの共同運航になり、乗船券も両社共通で使えます。

 因縁の波照間航路は、波照間海運が解散し、八重山観光フェリーが就航していないため、今は安栄観光が単独運航するという、皮肉な結果となっています。

 色々あって、大人になった安栄観光。
 ハイウェイスターだった頃より、各航路とも2~5分くらい時間がかかるようになった気がします。

 でも、島人が安栄観光に寄せる期待は、今も昔も変わっていません。

 船が欠航すれば、即生活に影響が出る八重山の離島。これからも、島人のため観光客のため、頑張っていただきたいものです。



 その後の経緯については、こちらをご覧ください。(2021年10月追記)


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6 件のコメント:

  1. ああ わたしも西表島に行く時に往復利用しましたね、確かに凄いスピードだった
    船内で椅子席だったかシート席だったか忘れたが
    右から左へまた左から右へとにかくこんなに揺れる客船は初めてでしたが
    早い方がいいと思うのと船酔い寸前で気分悪いのと狭間でしたね

    まあ宮古島のダイビングボートも宮古島から下地島まで40分間
    上下に何度も揺れながら経験したから・・しょうがないか
    と思った経験でした。また乗りたいか? といえば・・・・・・。

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    1. コメントありがとうございます。
      幸いにも、というか、残念ながら、というのか、スピードは落ちました。
      石垣港内はずっと徐行しますし、近くの船とすれ違う時も、スピードを落としています。
      昔の方が良かったという人も多いと思いますが、安全のためといわれてしまえば、文句は言えません。笑

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  2. こんにちは。
    2020年10月1日より共通乗船券が廃止になったとのことで、11月にちょっと見に行って来ましたが、
    八重観は良くも悪くも今まで通り(に見えた)一方で、安栄は現状の最高速力である34ノット(GPS速度計で確認)を出しながら同時出航の八重観便をぶっちぎったり追い抜いたりするなど、それはそれは凄まじい爆走っぷりでした。
    また、上原航路も多少欠航しにくくなったようです。

    私自身が八重山にはまり出したのは2018年と、安栄全盛期を知らない世代ではありますが、それを想起させるには十分な疾走っぷりでした。

    今後も八重山とあんえい号を追いかけていきたいと考えています。
    長文失礼しました。

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    1. コメントありがとうございます。
      また、最新状況のレポも感謝します。
      やっぱり社風が合わないのですかねえ。お互いコロナで苦しいだろうに、何もこんな時に、と思いますが、まあ、一般的には競争があった方が利用者の利便性は増すと思うので、今後の両社に期待したいと思います。

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  3. 98年当時は波照間海運も4mで出航してましたね。安栄観光は知人いたけど回数券で乗る常連にはたまにオマケしてくれたり、イメージと違って根が優しい人多かったですよ。満員だと、チケット要らないから操舵室で立っててなんてこともあった。

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    1. コメントありがとうございます。
      おおらかな、楽しい時代だったのですね。
      自分は、往復券を買って有効期限はいつまでかと聞いたら「そんなものはない」と言われた思い出があります。2003年くらいだったかな。

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