2020年3月29日日曜日

絶景ビーチへと続く細い道『奥への細道』 八重山編




 車でブワッーと行って、駐車場に車を駐めたら目の前はもう海。なんていうのも素敵ですが、草木の茂った細い道を足下に気をつけながら歩いて行くと、奥の方に美しい海がチラッと見えて、いきなりハイテンションに・・・なんていうシチュエーションを想像すると、何だかワクワクしませんか。

 沖縄の離島には、そんな細い道を辿らないと行き着けない絶景ビーチが、いくつもあります。
 そこで、今回のテーマは、絶景ビーチへ誘う細い道、題して「奥への細道」。1回目は八重山編です。


 冒頭の写真は、パナリ(新城島)にある奥への細道。行き着く先はこのような絶景です。




 石垣島にある奥への細道。底地浜へと続く細道です。





 川平湾の北側の奥。当ブログで勝手に奥川平と名付けた海へと続く細い道。



 こちらも石垣島。白保の海へと続く奥への細道。集落内の道で、かろうじて車も通れる幅がありますが、海っぺりまで行く地元の人はあまりいません。




 初めてこの場所に来た人は、必ずといっていいほどここで歓声を上げます。
 「うぉ~!」「マジ?」「やばくね!」

 竹富島のコンドイ浜へと続く細道です。
 
 ここは、車で来ることもできるので、本当の細道ではありませんが、ほとんどの人は、炎天下、海の見えない道を、自転車をえっさか漕いでやって来るので、この海の色を見た瞬間、絶叫マシーンになってしまうのです。



 コンドイ浜のお隣、カイジ浜へと続く道。鬱蒼と茂った木々の間から、コーラルブルーの海が顔を出します。




 西表島に飛んで、南風見田浜へと続く細道です。
 ものすごく広いビーチですが、入り口は、この程度。道路の終点に、かろうじて車数台が駐められるスペースがあって、そこからは細道を歩いて行くしかありません。 




 西表島の西部、というか北部なのですが、中野海岸への細道。ここもビーチは広いのですが、入り口はこんな感じです。




 小浜島の細崎(くばざき)にある奥への細道。というか、ここが小浜島の終点です。当ブログで度々ご紹介している、ゲストハウスパナパナから、海へ向かう短い道です。



 その先にあるのは、渋く美しい細崎のビーチ。沖縄の海としては地味ですが、朝方の満潮時間帯はお勧めです。




 最後は、「奥への細道」というテーマに最も相応しいと思う場所。

 黒島西の浜へと続く細道です。この道は、本当に細く、しかも、ここまで辿り着くのも大変ですが、この先には八重山屈指の海が待っています。





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2020年3月24日火曜日

さらに誰もいない海 久高島の港の海が美しい




 インバウンドもバブルも、今のところコロナとも無縁な島、神の島久高島。

 沖縄の他の島と同様、久高島もまた、港周辺の海の色がとても美しいのです。


 都会の喧噪から離れ・・・というか、ちょっと離れすぎですが、およそ、観光地とは無縁の、ものすごくマイナーでマニアックな場所をご紹介します。

 ちょっと前にご紹介した、多良間島のふるさと海浜公園よりもさらに誰もいない海、さらに浮き世離れした場所ですが、最近の自粛疲れ、心配疲れ、騒ぎ疲れから逃避行して、こんな場所で無邪気にはしゃいでみたい気分なのです。笑



 細長い久高島の南西端にある徳仁港です。この海の色を見ているだけでも、うれしくなってきます。



 徳仁港は、久高島唯一の入り口であり、物流の拠点です。つまり、島の要衝なのですが、そんなこととは関係なく、防波堤に囲まれたとても穏やかで美しい海です。




 こちらは、徳仁港のすぐ北隣にある久高漁港。こちらも、負けずに美しい海です。



 今まで、「港の海がいきなり美しい」という記事を何度か書いてきました。沖縄の離島は、着いた瞬間、美しい港の海が迎えてくれます。

 元々綺麗な海に防波堤を造るので、波が立ちません。船が接岸できるように、一定の深さまで浚渫されていることも、海が美しく見える理由だと思います。


 もちろん、久高島も例外ではありません。港は、観光地として紹介されることはありませんが、到着してすぐに移動してしまうのはもったいないので、ゆっくり周辺を歩いてみてはいかがでしょうか。




 漁港のお隣のビーチ。名前はよく分かりません。

 海水浴場というわけでもありませんが、ごくたまに人が泳いでいるそうです。ものすごく贅沢な空間ですよね。
 むしろ、一人で泳ぐのはちょっと怖くないですか?




 船に乗らないと行けないとはいえ、大都会那覇から15㎞ほどの至近距離にあり、多良間島よりは、遙かにアクセスのいい久高島。

 それでものんびり平穏なのは、神様が守ってくれるから、というのは感傷的過ぎるかもしれませんが、歴史のあるこの島は、観光客にとって、何となく敷居が高いのは事実だと思います。
 
 でも、それでいいと思います。神の島は、開発ではなく、歴史と伝統を守るという独自路線を進んでいます。


 徳仁港の美しい海に波を立てて、フェリーが久高島を後にします。




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2020年3月20日金曜日

コロナショックは宮古島バブル崩壊の引き金を引くか



 「音を立てて崩れる」とは、まさにこういうことを言うのでしょう。

 宮古島市が発表した、今年2月の入域観光客数は、対前年同月比で29.65%の減少。クルーズ船利用客に限って言えば、昨年2月の21,496人が一気にゼロになりました。
 原因は、言うまでもなくコロナショックです。


 宮古島はバブルだと言われてきました。このことは、当ブログでも以前記事にしました。
 もしかしたら、予想だにしなかったコロナショックが、早々とバブル崩壊の引き金を引いてしまうのでしょうか。




コロナショックで宮古島にどんな影響があったのか

 宮古島市の入域観光客数は、昨年度が過去最高の1,143,031人。平成25年度は約40万人でしたから、なんと5年で2.85倍に急上昇したことになります。しかし、今年度は、対前年度比でマイナスとなることは、間違いありません。


 1月の途中から3月まで計36回のクルーズ船寄港がキャンセルされ、3月9日現在で、宮古島市の経済損失は、既に21億円にのぼります。(宮古毎日新聞)。


 宮古島観光協会の担当者はこう肩を落とす。「入港予定だった中国や台湾からのクルーズ船のキャンセルが相次いでいます。クルーズ船の乗客は1隻あたり2千人から2千5百人で、朝に上陸して夕方に帰船するケースが多かった。その間にタクシーを使ったり、お土産物を買ったりと、クルーズ船観光客の島での消費金額はひとりあたり約2万円。これが全部消えるのですから大ダメージです。」 単純計算で「24隻×2500人×2万円=12億円」を、3月だけで失うことになる。(デイリー新潮3/18配信)



 以前は、宮古島ではほとんど見かけなかった観光バス。最近は、列をなして観光地に向かいます。クルーズ船の利用客を運ぶためです。

 一体、今宮古島にはどのくらいのバスがあるのか、各社のホームページで大型バス保有台数を調べてみるました。A社が26台、B社は34台、C社が8台。これとは別に、インバウンド専門を謳う会社も進出してきています。

 これらは、大半が観光バス。クルーズ船入港がゼロなら、観光バスの稼働も限りなくゼロに近いはず。

 


この先どうなるのか

 そもそも原因が原因だけに、今時点で将来のことは見通せません。

 2月に限っていえば、影響はクルーズ船のみということで済むのですが、問題は、3月以降です。

 
 沖縄観光コンベンションビューローが3月17日に発表した「おきなわ観光天気予報」によると、新型コロナウイルス感染拡大などの影響で3、4月の空路客と海路客は前年同月比70%未満と大幅に割り込む見通しで、2015年の調査以来初めて「大雨」と予想した。
 3、4月の空路客は国内・海外路線が大幅に減便する影響で、ホテル予約も前年同月と比べ60%前後と低迷し「大雨」と予想。
 今月9日時点の海外航空路線は、180便減の週50便となっている。国際線で中国や香港、韓国、タイ路線が運休になったほか、国内線も羽田や関西、福岡などの路線で減便が相次いでいる。
 5、6月の空路客はホテル予約が7割を超えており「雨」と予想。ただ、担当者は「影響が長期化すれば予約キャンセルの可能性もあり予断を許さない状況だ」と懸念する。海路客は中国を中心としたクルーズツアーのキャンセルが相次ぎ3~6月は「大雨」と予想。3月の寄港回数は前年同月比32回減の4回、4月は23回減の6回、5月は24回減の11回、6月は34回減の4回と見込む。(沖縄タイムス)



 本来ならば、これから夏に向かって、国内の個人旅行客が増加します。しかし、これを書いている3月20日の時点では、世の中自粛モードで、あまり明るい話題はありません。

 現在、JTA・ANA共、那覇・宮古便は1~2便の減便が行われており、下地島空港にやって来る香港エクスプレスも運休中。4月以降これらが復活するのか、今時点では何とも言えません。
 むしろ、さらなる減便がないとも言い切れない状況です。

 4月19日に予定されていたトライアスロンは、中止が決定しています。

 少なく見積もっても、夏休み前までは苦戦が続きそうです。


 また、クルーズ船という乗り物自体が、世界中に悪名を轟かせてしまいました。コロナショックが治まっても、当分、乗る方も受け入れる方も抵抗があると思います。

 クルーズ船利用客に関しては、影響はもっと長引きそうです。




観光地宮古島の現状はどうなのか

 間の悪いことに、宮古島と周辺の島では、ホテルが開業ラッシュで、この2月に、来間島に169室という大型ホテルが開業したばかりです。

 昨年から今年にかけて、宮古島の前浜近く、南海岸、東海岸、来間島長崎浜、伊良部島南海岸などでリゾートタイプのホテルが次々とオープンしています。シギラエリアでも、新たな大型ホテルが営業を始めました。

 これに、今後オープン予定のホテルがまだ続きます。


 さらに、開発予備軍も控えています。

 市農業委員会によると年間10~15㌶程度だった農地転用が18年度には40㌶を超え、19年度も同程度が見込まれている。(宮古経済新聞)
 
 農地が、ハイペースで宅地や商業地に変わっていると考えられます。


 行政からして、イケイケドンドンで開発を進めています。

 宮古島市では、クルーズ船の大型化に対応するため、平良港に15万㌧級のクルーズ船が接岸できるよう浚渫工事などを進めていますが、これを更に22万㌧級まで対応できるよう新たな計画を策定しています。

 それだけではありません。

 既定計画の緑地2ヘクタールを1ヘクタールに減らす一方で、海外の観光客が買い物などを楽しんだり、宮古の歴史など感じることができる交流厚生用地も整備するとしている。(宮古毎日新聞)


 こういった状況の真っ只中で、月間2万人余りのクルーズ船旅行客がゼロになり、ホテルの予約が激減するという、厳しい現実を突きつけられているのです。




むしろチャンスなのでは 

 宮古島の現状は、コロナショックさえなければすべて順調、というわけではなかったと思います。

 数字の上では右肩上がりの島経済は、一方では、家賃の高騰、オーバーツーリズムなど様々な歪みを生み出してきました。だからこそ、宮古島はバブルと言われ、警戒されていたわけです。


 クルーズ船利用客のために、大型バスが用意されました。前浜港には大型用の駐車場も整備しました。そのおかげで、数百人、あるいはそれ以上の人が一度に前浜を訪れます。
 そのとき、前浜がどういう状態になるかは、容易にご想像いただけると思います。しかも、トイレは以前のままなのです。

 この問題は、昨年12月にTBS系のNスタという番組で「魔の水曜日」というタイトルで全国放送されています。


 そうすると、前浜の自然形態にとっては、むしろコロナショックのお陰で一息ついたとも言えるのではないでしょうか。

 もっと言えば、今まで宮古島が抱えていた、家賃の高騰、乱開発、水不足、人手不足といった諸課題も、コロナショックのおかげで多少改善されるかもしれません。

 そうであるならば、今はピンチですが、チャンスでもあると言えそうです。

 

 観光地宮古島が絶対にしてはならないことは、日本一とも言われる宮古の海を大切にせず、ないがしろにすることです。

 それは、自然保護という側面だけではなく、第一級の観光資源を、現役世代が浪費してしまわないという意味もあります。綺麗な海さえ残っていれば、観光客は必ず帰ってきます。

 もし、前浜が、他のビーチが、オーバーツーリズムのせいで以前よりも見劣りする海になってしまったら。
 観光客は宮古島を見捨て、より魅力のある海を求めて別の島に行ってしまうでしょう。

 
 コロナショックにより観光客が減少し、ホテルや観光バス・タクシーが供給過剰となることで、宮古島バブル崩壊の引き金を引いてしまうかもしれません。
 そうであってもそれは、いずれ訪れることが早まっただけだとは考えられませんか。

 コロナショックは、現状の諸課題を一旦立ち止まって考える、ちょうどいい機会なのではないでしょうか。
 



我々は誰を応援すべきか

 観光客の増加を当て込んで、ホテルや商業施設を開設し、バスやタクシーを増車するなど様々な投資をして事業を拡大してきた事業者にとって、今回のコロナショックは、たとえ一過性のものだとしても大打撃だと思います。

 お気の毒だとは思いますが、それはやむを得ないことだとも思います。自らの経営判断で事業を展開したのですから、不可抗力とはいえ、リスクも受け入れていただくしかありません。

 それは、個人の事業主でも、自分の判断で事業を拡大した人は同じです。経済成長を夢見た行政とて代わりありません。 

 何億円の損失とか言われますが、本当に損失なのでしょうか。思い通り収益があげられなかった、取らぬ狸の皮算用だった、というだけのことではないでのでしょうか。


 守らなければならないのは、そこの従業員の生活や、従来から変わらず同じ商売を続けてきて、たまたまバブルに巻き込まれてしまった事業者達です。


 以前の記事でも書きましたが、我々島外の観光客としては、バブルと言われた浮かれた状況の中でも、地に足を付けて地道に生活し、あるいは、従来どおりのサービスを提供してくれていた人・業者を応援し、その人達と今後も変わらぬお付き合いをすればいいと思います。




 日本が、世界が、コロナショックという思いもかけない出来事に突如見舞われました。一刻も早い終息を願うばかりですが、この先どうなるのか、楽観視できません。

 バブルと言われる宮古島がどうなってしまうのかも、誰にも分かりません。


 「宮古・八重山の美しさ楽しさ居心地の良さをお伝えする」と宣言している当ブログとしては、宮古島に限らず、沖縄の各島が、コロナショックでおかしくならないことを祈りつつ、今後どうなって行くのかしっかり見届け、また記事にしたいと思います。



 最後に、直接宮古島には関係ありませんが、Yahooニュースで目に留まった、コロナショックと観光に関する記事を2点引用しておきます。


 これまで、あたかも日本再生の特効薬であるかのように「観光立国」や「インバウンド」という言葉が使われてきた。確かに昨年までを見ると、数字の上では、訪日外国人旅行者数は増え、経済的な効果も大きかった。しかし、無名の温泉旅館の経営破綻は、それが特効薬なんかではなく、使い方を少し間違えただけで大きな副作用に見舞われる劇薬であることを示唆しているのではないだろうか。(THE PAGE 3/8配信)


 こうして各地を回ってみると、観光業特有の危うさが如実に浮かび上がってくる。急激なブームとその後のバブル崩壊を見ると、観光業は浮き沈みが激しく、バクチ的要素すら付きまとうのだと感じられた。コロナ不況は始まったばかりで、観光地で働く人々には、まだ現状を笑い飛ばす余裕があった。(Newsweek 日本版3/18配信)





 以前の記事は、こちらです


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2020年3月16日月曜日

甘~い完熟物をどうぞ 西表島のパイナップル畑より




 マンゴーと並び沖縄を代表する特産品のパイナップル。

 パイナップルは、こんな素敵な場所で、気持ちよく育っていました。西表島住吉地区のパイナップル畑です。




 
 パイナップルは追熟しないので、ギリギリまで畑で成っていた物が一番旨いのですが、通常は、輸送の日数を考慮し早めに収穫します。

 なので、現地で完熟物をいただくのが一番の贅沢。どうだぁ~ これが甘々の完熟パイナップルだゼィ。




 国内で流通しているパイナップルの約95%は輸入品です。国産は、実は貴重品。

 パイナップルは、植えてから収穫するまで2~3年。多年草ですが、だんだん味が落ちてくるので、2回実をつけたら株分けをするそうです。意外と手間がかかります。


 絶景のパイナップル畑。遠くに見えているのは、鳩間島です。




 パイナップル(Painapple)とは、Pain(松)とappleの造語。松ぼっくりのような外見とリンゴのような甘さという意味だとか。

 パイナップルは、南国の植物。日本では沖縄のほかは奄美諸島の一部でしか栽培されません。しかも、酸性土壌を好むため、沖縄でも本島の一部と、石垣島、西表島、小浜島などに限られます。

 本島よりホンの僅かに気温の高い、八重山産が旨いと言われています。


 隆起珊瑚のアルカリ土壌の土地では、栽培が難しいのですが、近年宮古島でも、土壌改良により、宮古島産パイナップルが少しずつ出回ってきました。





 青いのは、日よけのネット。パイナップルはデリケートなので、日が当たりすぎても品質が落ちてしまいます。




 これがパイナップルの花。花パインと呼ばれるものですが、全体が花なのではなく、下の方に小さく飛び出しているのが花です。




 小振りのまま、熟してしまいました。こうした小さいものは、土産物用としては歓迎されませんが、味に差があるわけではないので、現地でのお買い得品になります。




 パイナップルは、栽培に手間がかる割に値段が安く、10年くらい前は、石垣島でも、売れ残り品が1個100円くらいで出回っていました。
 それではいくら何でも農家に酷だということで、最近は、投げ売りはできるだけやめて加工品にするのだとか。 





 マンゴーに比べると地味ですが、甘さと爽やかさと微かな酸味を備えた島の特産品です。しかも、最高に旨い国産パイナップルは、東京の高級フルーツ店ではなく、島の無人売店にあったりするのです。

 収穫期は、5月頃から。今年ももうすぐ始まります。是非現地で味わってください。



 某日某島の某民宿で、飲み会の最中に同宿だったお客さんからお裾分けが・・・♪




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2020年3月11日水曜日

1986年の石垣島・宮古島・竹富島




 1986年の石垣島川平湾。


 偶然見つけた、「JAFMATE」1986年8月号の「Drive & Look 石垣島宮古島」という記事。


 1986年なんてまだ昭和の時代。今ではミシュラン観光地の川平湾は、その頃はどんな感じだったのだろうと興味津々。でも思ったほど変わっていないみたいですね。昔の方が、船が小さいですかね。 




 こちらは、同じく宮古島の前浜。



 背後の伊良部大橋が開通していますが、それ以外は、前浜もあまり変わっていないように見えます。




 もう一つ、竹富島の伝統集落です。



 なごみの塔からの眺めです。なごみの塔には登れなくなりましたが、建物自体は変わっていません。

 正面の建物(下の写真では屋根だけですが)は、建物は同じまま土産物屋の「イナフク」に、右側の芭蕉が生えている建物は、食堂の「しだめー館」になっています。



 沖縄が本土復帰したのは1972年。1986年はそれからまだ10余年の頃。竹富島は、伝統集落をずっと守ってきました。こうして比べてみると、改めて凄いことだと感じます。




 1986年を起点とした、2017年の消費者物価指数は、1.16。消費税は、まだありませんでした。
 郵便料金は、封書が60円、はがきが40円。JRではなく国鉄の初乗りが120円でした。

 そんな時代ですが、「JAFMATE」に出ていた広告によれば、石垣島4泊5日で、2名1室の旅行代金がお一人様101,800円。
 もっと安いかと思いましたが、結構いい値段ですね。そういえば、この頃は航空券がまだ高かったのです。

 ホテルミヤヒラは、復帰前からある、石垣島の老舗です。




 
 「JAFMATE」1986年8月号の表紙。「JAFMATE」は、JAF(日本自動車連盟)の雑誌、というか会員向け機関誌です。



 表紙の写真の場所はここでしょうか。




 川平湾にしても、前浜にしても、竹富島の集落にしても、見た目の印象は、1986年も今もあまり変わっていないようです。

 変わったのは観光客の数。観光客は激増しました。当時、こんな日本の果てまでやって来る外国人観光客は、ホンの僅かだったと思います。

 




 ちなみに、1986年とは、前年のプラザ合意により急激に円高が進み製造業を直撃した、円高不況と言われた年でした。そして間もなく訪れる、バブル景気といわれた狂乱の時代の前夜でもあります。

 思わず笑っちゃいましたが、こんなイケイケの時代だったようです。







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2020年3月7日土曜日

誰もいない海 多良間島ふるさと海浜公園




 ♪ 今はもう秋~ 誰もいない海~  なんて曲知りませんか?すんません。


 でも、こちらは、夏真っ只中の7月なのに誰もいない海。
 宮古島から、さらに飛行機を乗り継いで行かなければ辿り着かない離島。多良間島のふるさと海浜公園です。


 
 本当に誰も来ない。口コミガイドなどを読むと、海水浴場なんて書いてありますが、泳ぐどころか、散策に来る人も見かけませんでした。


 下の地図は、ここに立っていた案内看板です。島の真北にあります。



 海浜公園というのは、このビーチ周辺が、トイレやシャワーのあるキャンプ場として整備されたからです。
 ビーチの本当の名前はよく分かりません。

 海水浴場でキャンプ場。当然村の施設だと思いますが、村のHPの観光案内には載っていません。この何ともゆる~い感じは、さすが多良間島。



 コーラルブルー、白砂、遠浅であまり波立たない海。まさに沖縄の海です。そして、広々としています。これで人が居ないのですから、文句なし。

 なのですが、人が居な過ぎて、却って泳ぐには勇気がいります。



 こちらは、少し離れた遠見台から見下ろした、ふるさと海浜公園周辺の海です。




 西向きというわけでありませんが、夏の間は、海に沈む夕日を眺めることもできます。

 夕方になると、誰もいない海に、島の人達が三々五々集まってくることが希にあります。もちろん、泡盛とオリオンビール持参でですが。




 浮世離れという言葉があります。

 浮世離れとは、世間の常識からかけ離れた言動や事柄のことで、あまり周囲のことを考えず、ひたすら我が道を行くマイペース、あるいは、ノンビリしている人という意味だそうです。
 「浮世」は、「憂き世」とも書き、辛く苦しいこの世の中、つまり、日々の仕事や生活に追われている日常の有様を表しているのだとか。


 ちょっと遠いですが、誰もいないこんな海で、浮き世離れしてみたいと思いませんか?




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