2020年3月11日水曜日

1986年の石垣島・宮古島・竹富島




 1986年の石垣島川平湾。


 偶然見つけた、「JAFMATE」1986年8月号の「Drive & Look 石垣島宮古島」という記事。


 1986年なんてまだ昭和の時代。今ではミシュラン観光地の川平湾は、その頃はどんな感じだったのだろうと興味津々。でも思ったほど変わっていないみたいですね。昔の方が、船が小さいですかね。 




 こちらは、同じく宮古島の前浜。



 背後の伊良部大橋が開通していますが、それ以外は、前浜もあまり変わっていないように見えます。




 もう一つ、竹富島の伝統集落です。



 なごみの塔からの眺めです。なごみの塔には登れなくなりましたが、建物自体は変わっていません。

 正面の建物(下の写真では屋根だけですが)は、建物は同じまま土産物屋の「イナフク」に、右側の芭蕉が生えている建物は、食堂の「しだめー館」になっています。



 沖縄が本土復帰したのは1972年。1986年はそれからまだ10余年の頃。竹富島は、伝統集落をずっと守ってきました。こうして比べてみると、改めて凄いことだと感じます。




 1986年を起点とした、2017年の消費者物価指数は、1.16。消費税は、まだありませんでした。
 郵便料金は、封書が60円、はがきが40円。JRではなく国鉄の初乗りが120円でした。

 そんな時代ですが、「JAFMATE」に出ていた広告によれば、石垣島4泊5日で、2名1室の旅行代金がお一人様101,800円。
 もっと安いかと思いましたが、結構いい値段ですね。そういえば、この頃は航空券がまだ高かったのです。

 ホテルミヤヒラは、復帰前からある、石垣島の老舗です。




 
 「JAFMATE」1986年8月号の表紙。「JAFMATE」は、JAF(日本自動車連盟)の雑誌、というか会員向け機関誌です。



 表紙の写真の場所はここでしょうか。




 川平湾にしても、前浜にしても、竹富島の集落にしても、見た目の印象は、1986年も今もあまり変わっていないようです。

 変わったのは観光客の数。観光客は激増しました。当時、こんな日本の果てまでやって来る外国人観光客は、ホンの僅かだったと思います。

 




 ちなみに、1986年とは、前年のプラザ合意により急激に円高が進み製造業を直撃した、円高不況と言われた年でした。そして間もなく訪れる、バブル景気といわれた狂乱の時代の前夜でもあります。

 思わず笑っちゃいましたが、こんなイケイケの時代だったようです。







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