自分がここに初めて泊まったのは、平成13年(2001年)10月。2階の202号室でした。
今回、久々に202号室に泊まりました。
何故、部屋まで覚えているかというと、洋室主体のこの宿の中でこの部屋だけが和室。しかも当時は、畳の上にベッドが置かれていて、忘れようにも忘れられない部屋でした。
そして、当時あった「思い出ノート」が今も。
既に3冊目に入ったこのノートは、なんと1997年から続くもの。まさに宝ですな。自分もあの時何か書いておけばよかった。
ぱいらんどに泊まると、毎晩漏れなく宴会が付いてきます。
食堂の大きなテーブルにお客さんが相席し、出来たての料理が次々に運ばれます。
この日の料理は、グルクンの唐揚げに、おばぁが海で採ったモズクの天ぷら、ソーキ汁。その他マグロの刺身、イリチー、あと何だっけ。
泡盛はご自由にどうぞ。というか、「飲んでるかぁ~」とおじぃのチェックが。
後半戦になるとおじぃ・おばぁが三線弾いて、お客さんが唄って踊って?の沖縄風。それが終わっておじぃ達が引っ込んでも、お客さん同士、初対面の人が当然多いのですが、引き続き夜遅くまで飲んでおしゃべりをしています。
後半戦になるとおじぃ・おばぁが三線弾いて、お客さんが唄って踊って?の沖縄風。それが終わっておじぃ達が引っ込んでも、お客さん同士、初対面の人が当然多いのですが、引き続き夜遅くまで飲んでおしゃべりをしています。
こんなスタイルが受けて、雑誌やテレビで取り上げられることもしばしば。
ところで、民宿とは本来、民家の一部を旅行者の宿泊に提供した、自宅開放型の宿泊施設のこと。ぱいらんどでは、ここに住むおじぃおばぁの孫達が、お客さんの宴会中食堂で一緒に食事をしたり、パソコンゲームに熱中していたり。
時には、お客さんの前で中学生の孫が三線弾いて2~3曲なんてことも。それも、ハンパなく上手いのです。
洋室主体の個室で、各部屋に冷蔵庫とクーラーがあり、タオルやパジャマ、歯ブラシなんかも備え付けられていて、名称もペンションですが、この超家族経営なところはどう考えても民宿。それも、そこいらの民宿がお辞儀をして前を通る程の?「ド民宿」ではないでしょうか。
当時小学校低学年だった孫の生意気なガキ活発な女の子が、いつの間にやら高校生になっていて、チェックインの手続をしてくれたりで、時の流れに驚愕します。
以前は、おじぃ・おばぁが二人でやっていました。
二人といっても、おじぃはお客さんと飲むだけで・・・というおばぁの愚痴を、常連のお客さんが聞かされている、何てこともしばしば。
二人といっても、おじぃはお客さんと飲むだけで・・・というおばぁの愚痴を、常連のお客さんが聞かされている、何てこともしばしば。
今は、娘さん夫婦がメインでやっていますが、先日行った時も、おじぃ・おばぁが元気だったので安心しました。
初めて泊まってから、今年でなんと14年連続。
建物自体はもうかなり古く、掃除がキチンとされていてもお世辞にも綺麗とは言えない。駐車場もないし、周りには安くて快適なホテルが次々に建っている。
それでも、八重山に行くとになれば、予約の電話をしたくなります。ぱいらんどは、そういう宿です。
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