2019年11月1日金曜日

首里城焼失の衝撃


 これほどまでにもろく儚いものなのか。
 10月31日未明、首里城があっという間に消えてなくなりました。




 散々報道されましたので、ご存知と思いますが、31日未明に首里城正殿内部から出火し、約11時間燃え続けて、正殿のほか北殿、南殿、書院・鎖之間(さすのま)、黄金御殿、二階殿、奉神門(半焼)など計4836平方㍍の建物を焼き尽くしました。

 記載日現在、詳細には報じられていませんが、城内の文化財、宝物等もかなりのものが焼失してしまったと思われます。




 これも再三報じられているところですが、焼失した建物は、再建されたものです。

 首里城の焼失はこれで5回目。1429年の建造後、1453年、1660年、1709年に焼失し、そのたびに再建されてきました。

 1945年の沖縄戦でまたしても全焼しましたが、1957年から、まず守礼門の復元に着手、1992年に正殿が完成、その後も復元する区画を拡大し、今年1月、やっとすべての工事を終え公開を始めた矢先でした。

 しかも、例年この時期に行われている、首里城祭りの真っ只中での惨事となってしまいました。


 正殿の復元の模様は、NHKの「プロジェクトX 挑戦者たち 炎を見ろ 赤き城の伝説~首里城・執念の親子瓦~」でも、放映されました。

 番組では、首里城のあの「赤」をどう再現するか、その苦難が描かれています。

 出火原因は、記載日現在分かっていませんが、その赤色を再現するために用いられた、沖縄独特の桐油(とうゆ・きりあぶら)が、火の勢いを早めた可能性があると報じられています。

 事実だとすれば、何とも皮肉なことです。





 建物は再建ですが、首里城城趾は、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されています。

 那覇市の、そして沖縄そのもののシンボルであり、郵便切手の図案としても度々採用されてきました。

 また、美ら海水族館と並ぶ沖縄県の代表的な観光地であり、そちらの面でのダメージも甚大だと思われます。

 沖縄は、今でこそ訪日外国人観光客で溢れかえっていますが、かつて、円高が進み、日本人観光客がドンドン海外旅行に流れていたとき、首里城一帯は、沖縄観光の目玉として県経済を支えてきました。

 



 火災発生後、ショックだ、悲しいといった地元住民の声が紹介され続けています。

 沖縄県民の精神文化の象徴などと言われていますが、よそ者の単なる沖縄好きである自分にとっても、首里城焼失は衝撃です。

 首里城のある丘一帯は、カメラを持って歩けば、撮りたいものがいくらでもあります。それは、風水思想を始め、御獄や祈りや演舞や建造物から草木に至るまで、沖縄らしいものがすべてそこにあるからです。


 首里城は、1872年の琉球処分(日本との併合)までの450年間、琉球王府でした。それ以降、正殿が沖縄神社の社殿として扱われるなどしたものの、あまり改修も行われず徐々に荒廃し、沖縄戦で完全に破壊され、跡地にはアメリカの手によって琉球大学が設置されました。

 そんな中で、往事の姿で甦った首里城は、日本やアメリカに翻弄された、琉球の伝統文化の総本山的な場所であって、自分なりに解釈すれば、家の間口は南側にするとか、石敢当を置くとか、庭にハイビスカスを植えるとか、三線を弾いて唄うとか、そういった沖縄らしい文化や風俗の象徴であり、シンボルだったのではないかと思います。


 早くも再建の話が出ていますが、どうせ復元なんだし、国が予算を出してまた造ればいい、とは簡単に切り替えられないのではないでしょうか。





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