2014年11月27日木曜日

民謡「安里屋ユンタ」に唄われた絶世の美女クヤマ



サァ 君は野中の茨の花か
(サァユイユイ)
暮れて帰れば ヤレホンニ 引き止める
(マタ ハーリヌチンダラ カヌシャマヨ)


 八重山の民謡「安里屋ユンタ」。元は、竹富島の古謡で、絶世の美女「安里クヤマ」と、クヤマに一目惚れした下級役人とのやりとりを、面白おかしく描いたものだとされています。

 クヤマは、実在した人物。竹富島の集落には、生誕の碑があります。
 

 時は18世紀。王府(琉球政府)から、「目差主(みざししゅ)」という官職の役人が竹富島に派遣されます。目差主は、クヤマに一目惚れし、求婚(正妻としてではなく島妻として)します。

 しかし、クヤマは、「下級役人の妾などになりたくない」と言ってこれを断りました。
 下級役人とはいえ、当時、庶民が役人に楯突くなどということはあり得ない話で、クマヤの反骨精神が庶民に人気となり、語り継がれたものが、後の古謡「安里屋ユンタ」になっと言われています。

 しかし、単なる美談ではなく、オチがありまして、クヤマに振られた目差主は、「おまえより美しい娘を妻にする。」と捨て台詞を残して去り、隣の仲筋村の美女を妻にし、王府に帰還する際お持ち帰りをします。
 クヤマはクヤマで、後に上級役人と結婚し、たいそうな土地を与えられたと言います。

 メデタシメデタシ。

 沖縄の美女伝説は、悲恋の結末を迎えるか、危うく難を逃れるといったものが多いのですが、こういう結末は面白いですよね。大人の事情的には。



 観光水牛車が、誕生の碑の前で駐まります。ここで、ガイドは、クヤマ伝説をひとくさり説明した後、「では」とばかりに三線弾き語りで安里屋ユンタを唄い始め、水牛は、再びゆっくりと歩き始めます。


 安里屋ユンタは、三線を弾いて唄われる曲としては、最もポピュラーなもの。知らないという人でも、沖縄に行ったことがある人ならば何処かで耳にしていると思います。
 今の曲は、1934年に、旧安里屋ユンタを基に新たに作詞・作曲されたもので、石垣島から広がっていきました。冒頭に紹介した歌詞も新安里屋ユンタです。

 クヤマの話が登場する旧安里屋ユンタは、竹富島にだけ残ります。

 トリビアですが、一般には「あさやユンタ」と呼ばれますが、竹富島では「あさやユンタ」です。クヤマの生家の屋号は「あさてぃや」だからだそうです。

 ユンタとは、「結い歌」から転化したもので、田植えなどの時に唄われる労働歌だそうです。


 囃子詞の「マタ ハーリヌチンダラ カヌシャマヨ」を、ここだけ覚えておけば、一緒に唄えます。
 
 言葉の意味は、八重山方言の古語で「また会いましょう美しい人よ」という説、インドネシア語が語源で「太陽は等しく我らを愛する」という説のほか、お囃子と同じなので特に意味は無いという人もいます。

 水牛車のガイドは、ここで美女伝説とかけて、「♪死んだら神様よ~ と言っているみたいですね。」とやって笑いを取るのがお約束。






 クヤマの墓。

 海を見下ろすこんな綺麗な場所にあります。


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