2016年4月21日木曜日

首里の古城の石畳


 首里の古城の石畳 昔を偲ぶかたほとり

 「芭蕉布」にも唄われた、首里の古城の石畳。「かたほとり」とは、周辺、片田舎といったニュアンスの言葉だそうです。


 首里金城(きん)町の石畳の道
 切手の図案にもなった場所から、真似して撮ってみました。

 王府首里から、商都・港都の那覇までは、真珠道(まだまみち)と呼ばれる官道が整備されました。
 延長約10㎞の真珠道の大半は、戦火で焼失しましたが、この金城の石畳は、わずかに残った官道の一部です。


 何故、わざわざ石を敷き詰めたのか。
 王府の権威のためではありません。水のためです。
 道に石を敷き詰めることによって、雨は土に染みこまず、石道を駆け下ります。下に貯水池を造って水を貯めるのです。
 高台にある城は、軍事上の要衝ですが、水には苦労したようです。石畳はまさに先人の知恵。



 石畳の道とは反対方向ですが、首里城近くの円覚寺の弁財天堂。

 弁財天堂は、人口の池に囲まれています。ここに首里城内の湧水・雨水が集まる仕組みとなっているのだそうです。

 天女橋 これも石造りです。


 ここには何故かいつもガチョウが。



 真珠道の起点はここでしょうか。おなじみの守礼門。
 首里城本殿の再建前は、「日本三大ガッカリ名所」の第三位を、長崎のオランダ坂と競ったのだとか。
 しかしここは、大手門に相当する、首里城の表玄関です。


 金城の石畳ルート途中の、パワースポットの大アカギ。戦火に耐え抜いた、樹齢200年と言われる大木です。

 願い事が叶うと言われたので、「○○が××なりますように」と、真剣にお願いしたのですが、未だに叶いません。笑


 坂道の途中の家の屋根のシーサー。高層建物を見下ろしているかのようです。


 歴史的価値と引き替えに、住民の生活の利便性は犠牲になっています。車も通らない、歩くのも大変。
 駐車場は遙かに下の方。それでも坂道で、かつ、狭い。
 しかし、誇り高き首里の住民は、出掛けるときは、「那覇に行って来る」と言うのだそうです。首里も金城も、今では那覇市の一字名に過ぎないのですが。


 いかがですか。ビーチリゾート沖縄とは、ひと味もふた味も違う、”琉球”の面影を今に残す、首里の古城の石畳
 モノレール首里駅から、頑張れば徒歩圏内。「♪ 昔を偲ぶ~」気持ちで、散策してみては。




 明日から、今シーズン初の沖縄旅行に出掛けます。次回更新は、月末です。


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