2024年6月8日土曜日

ガイドブックに見る四半世紀前の石垣島

 

 初めて沖縄に行ったのが1995年、初めて石垣島に行ったのが1999年。既に四半世紀が経過してしまいました。

 その頃買った沖縄ガイド本。もう断捨離しなきゃ、と思いつつパラパラとめくっていくとついつい時間を忘れて・・・


(初めて行った西表島 2000年9月)


 最初に買ったのは、エリアマップ沖縄1995年版と、沖縄・離島情報2000年度版。まだネットで情報を集める時代ではなかったので、それは真剣に読みましたよ。




 エリアマップに載っていた、石垣島のモデルコース。


       


 川平湾と玉取崎は当然として、平久保崎が入っているのに御神崎(うがんざき)が入っていない。

 そして、唐人墓はともかく、バンナ公園と宮良殿内(みやらどぅんち)は何故?


 宮良殿内は、石垣島の中心市街地にある、19世紀に立てられた当時の行政官の居宅で、国の重要文化財ですが、規模は小さく、普通の観光客なら5分と持たない”観光名所”です。しかも有料(200円)で駐車場もないし。

 この頃は、宮良殿内は絶賛お勧めされていたのでしょうか。それともたまたま?


 ちなみに、ネットで調べた今の人気スポットは、川平湾、平久保崎、玉取崎、米原海岸、底地浜(すくぢはま)、吹通川、御神崎辺りですかね。




 まあ、石垣島と言えば、今も昔も川平湾なのですが、この四半世紀の間にミシュラン三つ星の観光地となり、ますます有名になりました。

 上は、初めて撮った川平湾で2003年のもの、下は2023年ですが、駐車場が広くなって有料になったほかは、特に変わりありません。




 こうして考えてみると石垣島は、観光的にはあまり変化はないですね。この間激変した宮古島と比べれば、何も変わっていないといってもいいくらいです。

 なんかもの凄く変わった印象があるのですが、それは、2013年に開港した新石垣空港と2007年に開業した離島ターミナルのせいかも知れません。



 今では離島ターミナルという広々とした建物があり、エアコンの効いた快適な室内で出航を待つことができますが、昔はただの「離島桟橋」。

 桟橋があって、雨よけのテントの下にベンチが並べられていただけ。乗船券は、通りを挟んだビル内にあった、各社のカウンターで買いました。




 しかし、2000年頃には、こんなに数多くの船便が運行されていました。


 上:沖縄離島情報2000年版 下:同2024年版です。




 沖縄離島情報にはこんなのも載っていました。

 これは、新石垣空港開講前のバスターミナル発白保行きの路線バスの時刻表。平日は、30分間隔で運行されていました。

 新空港ができたとき、この白保行きの路線を空港まで延長して4系統としました。

 それだけでは空港からの輸送を捌ききれないので、1時間当たり2本の新路線(10系統)を追加し、両者併せて15分間隔で空港と市街地を結んでいました。

 今、4系統は維持されているものの、10系統は運転手不足から、1日僅かに数便の運行となっており、これでは混むのも当然です。

 ちなみに、旧空港は市街地から近い場所にあったにも拘わらず、20分間隔でターミナルを結んでいました。



 石垣島自体は、南ぬ浜の人工ビーチが誕生した程度の変化しかありませんが、島の雰囲気は本当に変わったと思います。

 単に観光客が増えただけでなく、中心市街地は騒々しく、もっといえば、チャラくなったと思います。

 島の北部にある民宿のオーナーは、昔と比べると何処にでもある普通の島になってしまったといっていました。

 かつては、「一度訪れた観光客が帰りたくない島ナンバーワン」なんてPRしていましたが、今は果たしてどうなのでしょうか。





 先々月の写真の記事もそうなのですが、溜まりに溜まった本や雑誌を処分しなきゃと思って引っ張り出してパラパラめくると、ついドハマリしちゃうんですよね~。

 でも、そういうことありますよね。笑



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