沖縄で唯一の電車は、沖縄都市モノレール(ゆいレール)ですが、かつては、線路の上を電車や客車が走る本物の鉄道が走っていました。
その一つが沖縄県営鉄道です。
しかし戦争で大破し、残った施設は破壊、略奪され、また、線路は朝鮮戦争向けの鉄材として供給されてしまったことから、鉄道の痕跡を残すものはほとんど残っていません。
そんな中で、数少なくなった鉄道の遺構と資料を保存しているが、与那原(よなばる)町立軽便与那原駅舎展示資料館です。
この折れた鉄筋コンクリートの柱が旧与那原駅舎の柱です。
左側の道路に当たる部分が線路でした。右側が現資料館です。
もう一つ遺構が残っていました。旧那覇駅にあった転車台です。当時は、蒸気機関車だっため、終着駅では機関車の向きを変える必要がありました。
今のゆいレール旭橋駅のそばにひっそりと残されています。旧那覇駅は、今は那覇バスターミナルとなっています。
ところで、軽便与那原駅舎展示資料館が、「鉄道」ではなく「軽便」と名乗っているのは何故でしょうか?
沖縄県営鉄道は、軽便鉄道法という法律に基づいて建設されました。
国鉄など高規格の鉄道は鉄道敷設法に基づいて建設されていましたが、より簡易な施設・設備による鉄道が「軽便」です。
戦前の鉄道省は、沖縄まで手が回らず、代わりに県が軽便鉄道を造ったのです。
市営地下鉄などは各所でお馴染みですが、県営鉄道というのはあまりなく、わずかに、現在の東武野田線や富山地方鉄道などが、開業当時は県営鉄道だった例があります。
上は、復刻された大正3年当時の時刻表です。
那覇・与那原間を1日9往復していました。所要時間は29分で、今のバスよりは早かったようです。
県営鉄道としては与那原駅まででしたが、そこから支線が伸びて、港からの貨物が輸送されていました。
やがて軍事物資の主要な輸送路となり、そのことでアメリカ軍から激しく攻撃されたと言われています。
終戦後アメリカの統治下におかれた沖縄ですが、地元関係者は鉄道の復旧を強く要望し、一時はある程度の復旧計画も策定されましたが、結局うやむやのままに終わりました。
車社会のアメリカは、鉄道に関心がなかったようです。
与那原町立軽便与那原駅舎展示資料館は、旧与那原駅跡地に立てられた小さな建物で、入場料は100円です。
もっとも、展示されている資料も僅かであり、興味のない人だと5分で終わってしまうかも知れません。
軽便に関する資料は本当に少なく、2003年に加田芳英(かだ よしひで)さんという人が出版した「図説・沖縄の鉄道」という本が頼りなのだとか。
加田さんは、研究者というよりマニアですが、自らの足で貴重な資料を集め、沖縄県営鉄道に関しては、この本がほとんどバイブルに近い存在だそうです。
資料館は客も少なくのんびりした雰囲気ですが、当時のことなど全く知らない若い職員が、軽便について熱く語ってくれたのが印象的でした。
ノスタルジーや鉄オタ的興味だけではなく、沖縄戦の悲惨さを間接的に物語ってくれるという意味でも、意味のある施設だと感じました。
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