2023年11月27日月曜日

英祖王が眠るようどれと浦添大公園からの眺望

   


 ゆいレール(沖縄都市モノレール)の終点は、「てだこ浦西」駅と言います。

 浦西は一帯の地名ですが、「てだこ」は太陽の子(でぃーだのこ)のことで、要するに「てだこ浦西」は、キラキラ駅名なのです。




 そのキラキラ「てだこ浦西」の一つ手前の駅、浦添前田駅の近くには、観光客にはあまり知られていない、大規模ながら地味な施設、県営浦添大公園があります。

 いこいの広場とか、学習ゾーンとか、いかにも・・・な施設が並ぶわけですが、ここは元々、浦添城趾・浦添ようどれという史跡でした。




 浦添城趾。伝承では12世紀以降、舜天王から10代の王が居住したとされていますが、史実かどうかは確認されていないそうです。

 17世紀には、薩摩軍の侵攻によって破壊されています。





 そして、ようどれの入り口。こちらは間違いなく英祖王と尚寧王の墓です。ようどれとは、夕どれ=夕凪の意味だそうです。
 当時は、浦添城の一部でした。



 奥は英祖王、手前は尚寧王が一族と共に眠っています。



 残念ながら、これらの史跡はみな復元です。オリジナルは、沖縄戦で米軍に跡形もなく破壊されたそうです。

 高台にあるが故に、沖縄戦では重要な軍事拠点とされ、日米の攻防が繰り広げられ、多数の犠牲者が出ました。

 

 しかし、高台にある城からの眺めは素晴らしい。歴代の王は、毎日こんな景色を見て過ごしたのでしょうか。
 


 反対側(南側)の眺めも素敵です。

 ゆいレールは、建設費を抑えるため、用地買収が不要な道路の上を縫うように走って行きます。



 首里城や美ら海水族館などの目立つ観光地に比べれば、名もない地味な名所で、正直、高台からの展望以外は、人に勧めてもあまり喜ばれないと思います。

 ただ、その分観光客はほとんどおらず、アクセスもいいので、首里城や国際通りの喧噪から逃れて、のんびりするにはいい所だと思います。



 冒頭紹介した「てだこ浦西駅」の「てだこ」は、浦添出身の英祖王が、没後に「英祖日子(えそのてだこ)」という神号を贈られたことにもかけているそうです。

 ゆいレール建設中は、「(仮称)浦西駅」とされていたのもが、いつの間にか「てだこ浦西駅」になっていました。

 浦添市議の一部が、「浦西駅」の方がシンプルで分かりやすいと主張したところ、市は、「もう決まったことだ」とけんもほろろに回答したという記録があります。

 英祖王は、駅名に「てだこ」がついて喜んでいるでしょうか。「チャラい名前にするな!」とお怒りになっているような気もしますが。





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