ゆいレール(沖縄都市モノレール)の終点は、「てだこ浦西」駅と言います。
浦西は一帯の地名ですが、「てだこ」は太陽の子(でぃーだのこ)のことで、要するに「てだこ浦西」は、キラキラ駅名なのです。
そのキラキラ「てだこ浦西」の一つ手前の駅、浦添前田駅の近くには、観光客にはあまり知られていない、大規模ながら地味な施設、県営浦添大公園があります。
いこいの広場とか、学習ゾーンとか、いかにも・・・な施設が並ぶわけですが、ここは元々、浦添城趾・浦添ようどれという史跡でした。
浦添城趾。伝承では12世紀以降、舜天王から10代の王が居住したとされていますが、史実かどうかは確認されていないそうです。
17世紀には、薩摩軍の侵攻によって破壊されています。
当時は、浦添城の一部でした。
高台にあるが故に、沖縄戦では重要な軍事拠点とされ、日米の攻防が繰り広げられ、多数の犠牲者が出ました。
しかし、高台にある城からの眺めは素晴らしい。歴代の王は、毎日こんな景色を見て過ごしたのでしょうか。
反対側(南側)の眺めも素敵です。
ゆいレールは、建設費を抑えるため、用地買収が不要な道路の上を縫うように走って行きます。
首里城や美ら海水族館などの目立つ観光地に比べれば、名もない地味な名所で、正直、高台からの展望以外は、人に勧めてもあまり喜ばれないと思います。
ただ、その分観光客はほとんどおらず、アクセスもいいので、首里城や国際通りの喧噪から逃れて、のんびりするにはいい所だと思います。
冒頭紹介した「てだこ浦西駅」の「てだこ」は、浦添出身の英祖王が、没後に「英祖日子(えそのてだこ)」という神号を贈られたことにもかけているそうです。
ゆいレール建設中は、「(仮称)浦西駅」とされていたのもが、いつの間にか「てだこ浦西駅」になっていました。
浦添市議の一部が、「浦西駅」の方がシンプルで分かりやすいと主張したところ、市は、「もう決まったことだ」とけんもほろろに回答したという記録があります。
英祖王は、駅名に「てだこ」がついて喜んでいるでしょうか。「チャラい名前にするな!」とお怒りになっているような気もしますが。
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