石垣空港と離島ターミナルをノンストップで結ぶ、カリー観光の路線バス。運行を開始してから今年で早10年です。
閑古鳥が鳴いているといわれた開業当初、その後、いじめられていると言われながらも逆襲に転じ、コロナ禍を経て今に至る紆余曲折の10年を振り返ります。
今の石垣空港が開業したのは2013年(平成25年)でした。
石垣島のバス会社東運輸は、市街地から遠く離れた新空港への輸送を担うべく、路線網を再編しました。
中心市街地から白保に向かう路線を空港まで延伸し、さらに、当時の全日空ホテルやホテル日航を経由する系統も新設し、1時間に4本体制で、空港輸送を担います。
旧空港は市街地にあったため、移動にタクシーを使う人も多かったのですが、新空港はタクシーで行くのはちょっと高い。
空港連絡バスは、一躍ドル箱路線となります。
そこに割って入ってきたのが、豊見城市に本社のある観光バス会社、カリー観光でした。
カリー観光は2015年に石垣進出。空港と離島ターミナルの直行便のみの運行で路線バス事業に参入します。
しかしながら、
カリー観光のバス停は、空港でも離島ターミナルでも、東運輸より遠い一番外れにあること、
港湾管理者である石垣市が、当初離島ターミナルにバス停の設置を認めず、運行開始が遅れたこと、
フリーペーパー「ガイドブック石垣島」に一時誤った時刻表が掲載され、訂正もされなかったこと、
などのことがあり、カリー観光はいじめられていると一部でささやかれ始めました。
空港では、カリー観光より手前にバス停がある東運輸は、地元紙に「客引きのよう」とまで書かれた露骨な客誘導を行い、どちらに乗っても構わない観光客をごっそり掻き集めました。
カリー観光に乗るのは、知っていて敢えて乗る人だけ。
これに対して、カリー観光は正面突破を図ります。
開業時は東運輸と同じ540円だった運賃を500円に下げ、900円の往復券も発売ししました。
僅かな額とは言え、当時現金しか使えなかったため、ワンコインになって両替の手間が減り客の利便性は増しました。会社も、往復券で囲い込みができます。
対する東運輸は、停車するバス停が多く、運賃値下げとなると色々と調整が必要となります。カリー観光のように単純に値段を下げるだけというわけにはいかず、苦戦を強いられました。
こうして、仁義なき戦いが繰り広げられました。
これは、自分も後から知ったことですが、カリー観光の進出を快く思わない人達がいたようです。
東運輸は、石垣島のバス輸送を一手に担っていました。当然、赤字路線もあり経営は楽ではなかったところ、ドル箱の空港線にライバル現るということになってしまいました。
美味しいところだけを横取りされた、といった感覚なのでしょうか。
もっとも、いわゆる小泉改革のひとつであるバスの規制緩和は、こういった競争が生まれることを狙って行われたもので、言わば国策でもあったのだから、これはやむを得ないことです。
というより、利用者が便利になったのだから、良いことのはずです。
仁義なき戦いは長くは続きませんでした。きっかけはコロナです。
コロナで大幅減便となったのは両社共同じですが、アフターコロナの2022年頃になっても東運輸は、ドライバー不足で減便が続き、1時間4本体制だったものが、ほとんどの時間帯で1時間2本になってしまいました。
そうなると、捌ききれない客は、カリー観光に乗ってもらった方がいいと考えたのか、かつての「客引き」もかなり大人しくなりました。
カリー観光も淡々とタスクをこなし、目立たないながらも、空港輸送に欠かせない存在として定着していきます。
カリー観光は、往復券を廃止しました。客を囲い込む必要がなくなったからでしょう。運賃も、両社揃って片道550円になりました。
仁義なき戦いをしていた頃が嘘のように静かになりました。あれから、まだ5~6年しか経っていないのに。
ちなみに「カリー」とは、めでたい・縁起が良いといった意味の島ことばです。
カリー観光のバス車両。
2~3台で回しているのかと思ったら、意外と車両が多くびっくりしました。これ以外に、定期運行している車両があるわけですから。
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