2018年8月21日火曜日

戦艦大和が眠る海 徳之島犬田布岬




  昭和20年4月7日、帝国海軍戦艦大和は、鹿児島県沖の海で沈没しました。この時、乗組員の戦死者は、2,740名とされています。


 徳之島の南西側、犬田布岬という場所に、大和の慰霊の塔があります。



 大和が沈没したのは、現在では、鹿児島県枕崎市の西南西、約200kmの地点と判明しています。
 しかし、当時、僅かに生還した乗組員が、「徳之島西方二〇浬ノ洋上、大和轟沈シ」と証言したことから、徳之島に慰霊の塔が建てられたそうです。

 

 犬田布岬は、奄美十景の一つ。ここから眺めは、眼下には、コーラルブルーの繊細な色の海が、遠くには、紺碧の青い海が、何処までも広がっています。まさに絶景。




 昭和20年4月1日、沖縄本島でアメリカ軍の上陸が開始されたことを受けて、沖縄を救援すべく、天一号作戦として、戦艦大和のほか小型艦計10隻が、4月6日山口県徳山沖から出航しました。
               




   終戦末期、既に帝国海軍は、破損した艦の修復も思うにまかせず、まだ動ける状態の艦ですら燃料不足で航行させられず、軍港に停泊させたまま浮き砲台として運用せざるを得ない、それほど資源が枯渇仕切った状態でした。
 
 大和は、出撃できない艦から燃料や弾薬を掻き集め、基地に備蓄されたわずかな燃料までも積み込み、それでもタンクを満タンにすることは出来ずに出撃しました。

  沖縄の救援が作戦の目的とはいえ、乗組員達もみな、出撃したが最後、恐らく生きては戻れない特攻作戦であることを覚悟した上での出撃だったと言われています。


 そして大和は、その沖縄に辿り着くことすらできませんでした。





 慰霊塔のは、昭和43年(1968年)に建てられました。高さは大和の司令塔と同じ24mです。




 大和と言えば、真っ先に思い浮かぶのは、宇宙戦艦ヤマト、あるいは、それすらも何のこっちゃ?という人がほとんどだと思います。

 70年前にこの海のずっと沖で、世界最大の戦艦が沈没し、タイタニック号より遙かに多い死者が出ました。



 徳之島に行ったことがあるという人はあまり多くないと思います。この島自体、観光地としてはマイナーで、そこが魅力でもあるのですが、もし、徳之島に行ったら、ここは是非とも足を運んでいただきたい場所です。



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