今から約半世紀も前のことですが、1972年・昭和47年の5月15日、アメリカの占領下だった沖縄が日本に返還されました。
あの頃、一部の人達の間で、バブルもびっくりな狂乱のマネーゲームが繰り広げられていたのです。
その主役は不動産、ではなく、何と切手!
今回の記事はちょっと異色ですが、沖縄にまつわる実際にあった物語の紹介です。
昭和30年代から40年代にかけて、日本では切手収集がブームでした。特に子供達の間で盛んで、小学生の男の子なら一度は切手集めをすると言われたほど。
グリコのおまけが、世界の切手引換券だったという時代があったのです。
この当時、切手神話なるものがありました。「記念切手を買っておけば必ず値上がりする」というものです。バブルの時の土地神話とそっくりです。
大人達は、将来の値上がりを期待し、記念切手をシートで買い、貯め込んでいました
今ではとても信じられないことですが、記念切手の発売日には、郵便局に開局前から大勢の人が並んだのです。
昼頃に行って、「今日発売の切手をください」と言うと、局員から「この世間知らずが」とでも言うような目で、「売り切れました」とクールに返される時代だったのです。
世の中には、趣味の切手を売買する「切手商」なる人達が沢山いました。何処のデパートにも必ず「趣味の切手売り場」がありました。
そんな切手ブームですが、昭和40年代も中頃になると、一時の熱が徐々に覚めていきます。理由は、商売に目覚めた郵政省が、記念切手の発行枚数をどんどん増やしたからです。
そんな折り、返還直前の沖縄で、空前の沖縄切手狂想曲が演じられたのです。
当時沖縄では、琉球郵政庁が独立会計で郵便事業を行っていました。収集家が「沖縄切手」と呼ぶ、「琉球郵便」の文字が印刷された、ドル表示のオリジナル切手が発行されていました。
沖縄が返還されたら、沖縄切手はもう発行されなくなる。そんなことが内地の収集家の間でも話題になっていたのです。
一部の切手商は、千載一遇のチャンスとばかりこれに飛びつきました。
沖縄が日本に返還されれば、今まで沖縄切手を集めていなかった内地の収集家が沖縄切手を集めるようになる。そうなると、沖縄切手が値上がりすると大々的にアピールを始めたのです。
今から思えば、荒唐無稽な理屈ですが、さらにその上、沖縄切手は日本切手に比べて発行数が少ないとか、当初は注目されていなかったから郵便に貼って使われてしまい、未使用の現存数はさらに少ないなどと煽ること煽ること。
加えて、琉球郵政庁のまずい対応がこれに拍車をかけます。
沖縄切手は、在琉米軍の関係者などアメリカにもコレクターがいたことなどから、郵政庁は窓口販売のほか、通信販売をしていたのですが、復帰前年の12月、復帰による混乱を避けるためという理由で、突如通信販売を中止します。
通信販売を利用して新発行の沖縄切手を購入していた切手商は、予定数量を確保するため、アルバイトを雇って郵便局に並ばせます。並ぶ人が多くなると、郵便局は一人当たりの発売枚数を制限するようになります。
切手商は、今度は、切手を買うために並んでいる一般の人に向かって、額面の倍で買い取るから売ってくれなどと言いだしたのです。
今買った切手が、即2倍で売れるのです。しかし、それで皆が売るわけではありません。こんなに簡単に値段が上がるなら、持っていればもっと上がるだろうと思うのが人情というもの。
昭和47年4月20日、沖縄切手として最後の発行となる切手趣味週間記念の切手には、図案中に「Final Issue」の文字が入ることが分かり、ブームは益々加熱します。
この日、この切手を買うために、那覇東郵便局(今の那覇中央局)に並んだ人は、な、な、なんと数万人に上ったのだとか。
東京ドームの観客が、試合開始前に一箇所の入り口に並んだような騒動です。
どんだけぇ~
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