前回の続きです。
1972年(昭和47年)、返還直前の沖縄での切手騒動が内地にも伝播します。
「沖縄では、切手が大変なことになっているらしい。」切手収集家はもちろん、子供の頃ちょっとだけ切手集めをしていた、なんていう人達がザワザワし始めます。
突如降ってわいた沖縄切手狂想曲。これに乗じて、一儲けしてやろうと考える者が現れたとしても不思議ではありません。
彼らは、沖縄切手をコレクションしましょうとPRするのではなく、沖縄切手は将来値上がりするから、投資物件として有望だと言い出したのです。
つまり、今のうちに買い占めておいて、高くなったところで収集家に売れば儲かりまっせ、という話です。
「切手投資センター」という業者が現れ、「切手投資新聞」みたいなものが発行され、それには株価のような「切手市況価格」が載っていたのです。
そして「市況価格」は、上げの一本調子。
「沖縄切手で儲けろ」なんていう凄いタイトルの本が、一般の書店に並んでいました。
三越などの大手デパートを会場に、「沖縄切手大即売会」が、沖縄を含む全国各地で開催され、開店前から人が並ぶ加熱ぶり。
プレイステーションやWindows95のように、人より早く使ってみたいから並ぶのではなく、今買っておかないと、次回は値上がりしているかも知れないから、早く行って並ぶのだとか。
ショーケースに並べられた沖縄切手のシートが飛ぶように売れ、1回のイベントで1億2千万円を売り上げたと報道されたこともありました。
その沖縄切手狂想曲のシンボルとして利用されたのが、1958年発行の「守礼門復元記念」切手です。
沖縄戦で焼失した首里城のうち、この守礼門がいち早く復元され、それを記念して発行された記念切手です。
沖縄を象徴する図柄と明るい色調は、「沖縄切手最大の人気銘柄」で、子供たちにも人気がある。そう説明されましたが、既に子供に買える値段ではなくなっていました。
当時、この切手のカタログ価格は1枚4千円。1シート(10枚)の「市況価格」は3万7千円で、それが「年内10万円確実説もある」と吹聴されたのですが・・・
一方で、こんな狂想曲を嫌悪する収集家や切手商も大勢いました。本物そっくりのシールを配って、抗議したのです。
さて、沖縄切手狂想曲の顛末ですが、ご想像のとおりの展開となります。
切手に一定の値段が付くとしても、それはコレクターズアイテムとしての価値であって、その趣味がない人同士での取引は、本来成立し得ないものです。
ヤフオクもない時代、買ってはみたものの、いざ売ろうとしてもなかなか買い手が見つかりません。
「高価買取り」だったはずの切手商は、「買い取り予定数に達した」とか何とか言って買い渋り、そうこうしているうちに「市況価格」はどんどん下がり、その言葉すらも消えてしまいました。
返還前の沖縄だけで使用できた切手なので、その後は、郵便に使うがことできない、すなわち額面の価値すらも保証されないのです。
上手く立ち回って甘い汁を吸った少数の人と、一攫千金を夢見てババを掴まされた大勢の人達。
世の中うまい話はないという、当たり前のオチが待っていました。
それは、復帰前に郵便局に並んだ沖縄の人達も同じです。
あの騒動ですから、無事お目当ての切手が買えたとしても、相当な労力を費やしたはず。
それでも、「2倍で買い取る」と言われて売った人は、僅かながらも小遣い稼ぎになったかも知れませんが、もっと高くなると信じて温存した人は、「あのとき売っていればなあ」という愚痴をこぼす羽目になったと思います。
あれから数十年。切手収集自体が、大衆の娯楽から一部のマニアックなの人達の趣味になり、当時の狂乱を知る人も少なくなってしまいました。
上の写真は、自分の沖縄切手コレクションです。世が世なら、銀座で連日豪遊ができたかも、なのですが、実は後年、往事と比べれば二束三文に近い値段で買い集めたものです。
何故今更、と思われるでしょうが、沖縄が好きだから、というのが一番の理由ですが、ほかにも理由があります。
利用するだけ利用しておいて、用が済んだら見向きもされない沖縄切手は、琉球処分で日本に併合され、終戦によりアメリカ占領下に置かれた沖縄そのものの歴史と重なるような気がして。
ちょっと大袈裟ですかね。笑
2回に渡って異色の記事を書きました。次回からは、またいつもの写真紹介記事に戻ります。
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