2022年1月31日月曜日

いつの間にか7周年の伊良部大橋

 


 つい最近出来たばっかり、なんて思っていたら、早7年。伊良部大橋の開通から、今日で7周年となります。
 

 下の写真は、2012年9月、来間島の長間浜から、工事中の伊良部大橋を撮ったものです。




 伊良部大橋は、宮古島と伊良部島を結ぶ長大橋です。

 橋の長さは、3540㍍。離島どうしを結ぶ橋としては日本最長で、無料で渡れる橋としても日本最長です。

 橋長は3540 ㍍とされていますが、これは、「さんごのしま」というオヤジギャグ語呂合わせにしたかったためなのか、伊良部島側600㍍を埋め立てて海中道路としたためです。
 実際はもっと長く、宮古島側、伊良部島側の取り付け道路も含めると6.5㎞というロングランとなります。

 それも、宮古の海の上を通過する訳ですから、この上もない絶景爽快のドライブコースです。




 今では、宮古島と言えば伊良部大橋、みたいな観光のシンボルであり、パンフレットの表紙やポスターに使われる比率は、東平安名崎を抜いてトップです(当ブログ比)。

 観光はもちろんですが、伊良部島の人の生活に格段の利便性をもたらしました。

 車社会の島では、自家用車を2台持ち、1台を伊良部航路の終点の宮古島の平良港周辺に置いていた伊良部島民も少なからずいましたが、その経済負担も一気に解消しました。

 単に、便利になりましたというだけではなく、緊急車両等の通行が可能になったことで、生活の安全性や質の向上も図られました。




 自分がいつも借りているレンタカー屋の、実質社長なおばちゃんは、伊良部大橋ができて初めて伊良部島に行ったのだとか。

 「伊良部島って広いのね~。」とのご感想でした。笑

 宮古生まれ宮古育ちで、自分より年上の人ですが、島の人は、よほどのことがない限り、他の島には行きません。
 それでも、橋が出来たからには行ってみたくなったのでしょう。

 石垣島の人も、これを機会に宮古島に行ってみようという人が多かったらしく、橋パワー炸裂だったようです。

 



 伊良部大橋が出来る遙か昔、津軽海峡で起きた洞爺丸事故のような悲惨な事故がありました。

 昭和15年(1940年)6月30日、宮古島の平良港と当時の伊良部島渡口港を結ぶ航路上で、渡船が転覆、沈没し、73名の死者が出るという大惨事です。

 伊良部丸遭難事故と呼ばれるものですが、この時から、伊良部島民は宮古島との架橋が悲願だったとか。

 洞爺丸事故と青函トンネルの関係みたいなものですかね。




 その一方、いいことだけではありません。

 約400億円という巨費(ほぼ国費)が投じられましたが、これは島の規模から考えるとかなり異例であり、沖縄の基地対策の一環だという声も少なくありません。

 これは、開通前から予想されていたことではありますが、伊良部島民が、宮古島に行って買い物をするようになったので、島の在来商店は厳しい状況に追い込まれました。

 島の人口は約5千人ですが、これも減少傾向にあります。宮古島の中心である旧平良市の人口が増加傾向にあることとは対照的です。

 島唯一の高校も廃校になりました。


 また、下地島空港の旅客化と共に、宮古バブルを牽引する役割を担う結果ともなってしまいました。





 伊良部大橋・池間大橋・来間大橋と、宮古島には3本目もの長大橋が架かり、絶好のドライブコースとなっています。

 八重山の島々は、石垣島から船に乗って行かなければならないことに比べれば、観光的なインパクトは絶大です。



 宮古島行きの飛行機の機窓から撮った伊良部大橋。
 宮古空港に着陸する飛行機は、いつもではないですが、たまにこんな景色を見せてくれます。




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2 件のコメント:

  1. 人間って凄いもの作るね…

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    1. 造った物も凄いけれど、造った場所も凄いと思います。

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