沖縄では、「そばはだしけーむん」と言わてきました。
 「けーむん」とは「食うもの」で、「(沖縄)そばは、出汁で食うもの」、つまり、そばの旨さは、出汁の善し悪しで決まるという意味です。
 本日10月17日は沖縄そばの日です。
 当ブログでは毎年、その年に食べて印象に残ったそばを紹介して来ましたが、今年は、沖縄復帰50年に便乗して、沖縄そばの歴史について語っちゃおうかなと思います。
 今でいう沖縄そばは、「すば」と呼ばれていました。漢字で書けば「蕎麦」です。
 しかし、「すば」に使われている原料は、小麦粉であり、そのルーツは、日本蕎麦ではなく中華そば、ラーメンと同じでした。
 元々は、中国から伝わった宮廷料理だったようですが、ハッキリしません。
 明治23年の地図に、那覇の上之蔵(ゆいレール県庁前駅の北側辺り)に「蕎麦屋」の表記があり、これが日本蕎麦ではなく沖縄そばであれば、最古の「すば屋」だと考えられます。
 明治35年の新聞広告に、「大和の商人が清国ヨリ料理人ヲ招キ」「那覇市警察署下りに『支那そばや』開業」とあり、これが、資料で確認できる最古の「すば屋」だとされています。
 「すば」の麺は、ラーメンと同じように、小麦粉を練るときに鹹水(かんすい)を使います。鹹水とは、アルカリ塩水のことですが、当時沖縄では鹹水が手に入りにくかったため、代わりに木灰(もっかい)が使われました。
 木灰とは、ガジュマルなどの木を燃やして、その灰を水にさらした上澄み液のことです。
 木灰を用いた麺は、独特の強い腰が特徴で、今でも、少数ながら木灰そばを食べることができる店があります。
 小麦粉は、当時は入手難であったことから、「すば」は高級料理でした。
 戦後、アメリカの占領統治下で、アメリカ産の安い小麦粉(メリケン粉)が出回ったことで、「すば」は一気に庶民の味となります。
 製麺所ができ、麺が小売りされるようになって、麺は自分で打つものから買ってくるものに変わりました。
 そうして、「すば」は外食としてだけでなく、家庭料理としても浸透し、やがて沖縄県民のソールフードになるのです。
 冒頭で紹介した「そばはだしけーむん」という言葉は、逆に言えば、麺は何処でも同じという意味もあるようです。
 何かと酷評されたNHKの朝ドラ、ちむどんどんの最終回かそれに近い回で、主人公の暢子がやんばるで新しい店をオープンする前日、製麺所から麺が納品されず、家族総出で麺を打つシーンがあったと思います。
 打ち上がった麺は、一見艶やかで、蒸し麺だったと思われます。蒸し麺は、生麺を蒸してから油を絡めるもので、暖めるだけですぐに食べられ、その割に保存も利きますが、生麺と比べれば一味落ちます。
 ストーリー展開としては、ツッコミどころ満載なのでしょうが、店で出す麺を素人が打つこと、それが蒸し麺だったことなど、麺に対するこだわりのなさは、ある意味時代考証がしっかりしていると、妙なところで感心してしまいました。
 「すば」が家庭料理として浸透してゆく傍ら、「すば屋」の「すば」も進化を遂げていきます。
 戦後間もない頃、戦争で夫を失った女性が、生活のために「すば屋」を開業するケースが多かったそうですが、中でも首里にあった「さくら屋」のスープは、今でも伝説なのだとか。
 そんなこと言われると、食べてみたくなりますよねぇ。
 昭和42年(1967年)頃には、名護で「ソーキそば」が登場します。
 「ソーキそば」の発祥に関しては、「丸隆そば」説と「我部祖河(がぶそが)食堂」説の二説あるのですが、どちらの店も今も健在です。
 その後「ソーキ」は、ちょっと高級なトッピングとして、沖縄全土に広まって行きます。
 ちなみに、ソーキとは、豚のあばらの骨付き肉のこと、つまりスペアリブです。
 ちょっとうんちくを語ると、ソーキという呼び名は、あばら骨が農具の鋤(すき)に似ていることから来ているそうですよ。
 さて、沖縄そばの日ですが、50年前の本土復帰により、日本の法律が適用されるようになると、細かなところで不都合が生じてきます。
 一定量の蕎麦粉を含まない麺を「蕎麦」と表示することは、景品表示法に違反することになるのです。
 しかし、長年慣れ親しんだ「すば」を、ラーメン・うどんと呼ぶのは耐えがたいということで、県民運動が起こり、1978年の今日、生めん類の表示に関する公正競争規約が改正され、一定の条件の満たした「すば」が、「本場沖縄そば」として商標登録されました。
 10月17日はそういう重要な日なのであって、沖縄そばの日は、3月4日が「さんしんの日」とか、5月8日が「ゴーヤーの日」などというオヤジギャグの日ではありません。
 そんなこんなで「すば」は「沖縄そば」として定着していきます。
 沖縄そばの基本形とされるのは、鰹出汁に豚肉のゆで汁を合せた、塩味のあっさりスープ。あっさり系が、高温多湿の沖縄の気候に合うのでしょう。
 それに、じっくり煮込んだ三枚肉、かまぼこ、刻んだ青ネギ、お好みで紅ショウガを乗せます。
 その応用形として、牛汁そばや中身(豚のモツ)汁そばなどが登場します。
 さらにトッピングも、野菜そば、もやしそばなどのほか、沖縄らしい食材として、アーサそば、もずくそば、ゆし豆腐そば、テビチそばといったものが登場し、沖縄そばのバリエーションを広げてゆきます。
 その一方で麺の方は、相変わらず大手製麺所の麺が使われ、どこで食べてもあまり変わらないといった状況が続きました。
 ところが近年、そんな風潮に風穴が開きつつあります。
 内地のラーメン屋のように、手打ち麺、自家製麺を提供する店がじわじわと増えているのです。
 今現在、宮古島で島人に一番人気があるのは「にいまそば」だと思います。
 ちぢれ麺と細麺の2種類の自家製麺に、あっさり系スープ。具は三枚肉かソーキを選べるだけの直球勝負ですが、素材の旨さを味わえる、まさに日本人好みの店です。
 普通の民家を改装した、中心市街地からはかなり離れた集落の中の店に、開店の11時と同時に島の人が押し寄せます。
 今まであまりなかっただけで、本当は、島の人達も旨い麺を食べたかったのだと思います。
 沖縄そばが、美味を追究し様々に変化していくならば、将来行き着くところは結局、ラーメンと同じなのではないでしょうか。
 沖縄そばもラーメンも、元々中国から伝わったもので根っこは同じです。
 内地のラーメンも、伝統の味を守る店がある一方、日々新たな味が生まれています。
 沖縄そばもさらなる進化を遂げて、沖縄そばを食べるためだけにに沖縄に行く、なんて人が現れるような域に達すると嬉しいですよね。
 また、次に沖縄に行った時も、旨い沖縄そば、いや、すばを食べさせてください。 
※ 
 沖縄県公文書館、農林水産省、沖縄生麺協同組合、にっぽんの郷土料理観光辞典ほかの各サイト、Wikipediaを参照しました。



 
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