2019年7月5日金曜日

竹富島コンドイビーチリゾート問題に関して


 竹富島のコンドイ浜は、八重山屈指の美しいビーチです。
 そのコンドイ浜に隣接してリゾートホテルが建設されようとしており、今竹富島が大揺れです。




 事業の概要は、那覇市の不動産会社が、コンドイ浜に隣接する所有地約2万1千平方㍍に、コテージ24室と連棟式宿泊室5棟23室を建築するというもので、併せてプールや、日帰り客も取り込むカフェやシャワー施設などを造るというものです。 

 平成26年頃から顕在化したこの計画に対して、竹富島の島民は強く反対して来ましたが、事業者側は、必要な法的手続を終え、間もなく着工という段階になっているようです。

 これに対して、島民は、反対の署名集めや県議会への陳情活動を行い、対決姿勢を明確にしています。


 (竹富島を守る会の反対の理由はと署名活動は、こちら



 さて、ここまで読んで、コンドイ浜にリゾートホテルなんて止めて欲しい、と直感的に思う人も多いでしょう。沖縄の各地で次々と開発が進む状況に不安を抱く人も少なくないと思います。
 その一方で、やむを得ないと考える人、何で反対するのか分からないという人もいると思います。
 

 冷静に法律的視点からみると、土地の所有者には、財産権があります。これは憲法上の権利です。財産権の行使として、自らの所有地に建物を建てることは所有者の自由です。

 もちろん、自由といっても、無秩序な行為を許さないために様々な法規制が掛けられています。その主なものは、開発許可と建築許可(建築確認)です。その他、環境関連の規制や県・町の独自の規制が想定されます。

 しかし、工事に着工できるということであれば、事業者は、これらの法的規制をすべてクリアしたと考えられます。そうなるともう、法的には止める手段はありません。
 
 これまでも沖縄で、全国で、地元住民の反対を押し切る形で、数々のリゾート開発が行われて来ました。

 コンドイ浜リゾート計画についても、この段階まで来てしまえば、後は、世論に訴え、事業者が翻意するのを期待するしかないという、かなり厳しい状況にあると言わざるを得ません。


 それでも、当ブログは、コンドイ浜リゾート計画には反対です。そのことを主張する前提として、まず、竹富島憲章について話をさせてください。

  


 竹富島憲章は、昭和61年3月31日、竹富島島民の総意に基づき制定されました。ローカルルールであり、島の憲法です。


 大変長文なので、一部のみを引用します。(竹富島憲章全文はこちら。)

 まず前文の一部です。

 われわれ竹富人は、無節操な開発、破壊が人の心までをも蹂躙することを憂い、これを防止してきたが、美しい島、誇るべきふるさとを活力あるものとして後世へと引き継いでいくためにも、あらためて「かしくさや うつぐみどぅ まさる」の心で島を生かす方策
を講じなければならない。
 われわれは今後とも竹富島の文化と自然を守り、住民のために生かすべく、ここに竹富
島住民の総意に基づきこの憲章を制定する。


 次に本文のうち、総論というべき「保全優先の基本理念」を引用しておきます。

 竹富島を生かす島づくりは、すぐれた文化と美しさの保全がすべてに優先されることを
基本理念として、次の原則を守る。
1、『売らない』 島の土地や家などを島外者に売ったり無秩序に貸したりしない。
2、『汚さない』 海や浜辺、集落等島全体を汚さない。また汚させない。
3、『乱さない』 集落内、道路、海岸等の美観を、広告、看板、その他のもので乱さな
い。また、島の風紀を乱させない。
4、『壊さない』 由緒ある家や集落景観、美しい自然を壊さない。また壊させない。
5、『生かす』 伝統的祭事行事を、島民の精神的支柱として、民俗芸能、地場産業を
生かし、島の振興を図る。


 また、「美しい島を守る」とい項目の中には、
1、建物の新・改・増築、修繕は、伝統的な様式を踏襲し、屋根は赤瓦を使用する。
2、屋敷囲いは、サンゴ石灰岩による従来の野面積みとする。
3、道路、各家庭には、年二回海砂を散布する。

 といった規定があります。これがあるから、竹富島には美しい伝統集落が残っているのです。 

 もし、竹富島が、何処にでもあるコンクリートの塀と住宅、アスファルトの道路だったら、誰が水牛車に乗って観光したいと思うでしょうか。

 しかし、これらが、島民の生活には大きな負担となっていることは間違いありません。
 
 それだけではありません。『生かす』の項には、「 伝統的祭事行事を、島民の精神的支柱として、民俗芸能、地場産業を生かし、島の振興を図る。」とあります。

 つまり、竹富島憲章は、単に観光客受けする古い街並みの保存を目指すのではなく、島の伝統に根ざした精神文化を保全しようとしていることが分かります。

 このことは、祭事における島民の、並々ならぬ情熱に繋がっていきます。


 竹富島には、祭りが年に一度、ではなく、年がら年中祭事があります。島民は、それらを本業の傍らこなします。
 神への祈りは数日続くこともあります。芸能は神に奉納するものであり、そのための練習が不可欠です。島最大の祭事、種子取祭のときは、1月も前から公民館で練習が行われていました。

 島の人口は、わずか300人余り。最繁忙期の8月でも祭事は行われます。祭事を執り行うには、当然金もかかりますが、基本的には島民の負担です。

 赤瓦の屋根も、白砂の道も、伝統の一部に過ぎませんが、伝統の承継のためには、負担も不便も厭わないというのが、島民の姿勢なのです。

 その結果、外周わずか9㎞程度の小さな島に、年間50万人もの観光客がやって来るのです。



 話をリゾート計画に戻します。

 島民は、公民館総会で賛否を計った結果、8割の賛同を得て、リゾート計画反対を打ち出します。
 そして、陳情やら署名集めやら、積極的な反対活動を始めたのです。

 竹富島は観光業を生業とする島です。リゾートが出来れば、実際売り上げが増える飲食店や観光業者は多いはずです。

 それでも強固に反対するのは、竹富島憲章の精神文化に何らの敬意を払おうとせず、経済理論で押し通そうとする事業者を、許せないと感じているからなのではないでしょうか。

 


 ところで先ほど、当ブログもリゾート計画に反対といいましたが、理由は次のとおりです。

 竹富島には、島民の総意に基づく明確な価値基準と一定の秩序が形成されています。
 後から参入する者が、秩序形成には参画せず、その果実である島の自然と景観だけを利用しようとするのであれば、それは、違法ではなくても重大なマナー違反です。

 また、今、宮古島など、沖縄各地でホテル建設などが進められ、あたかもバブルの様相を呈していますが、地元や行政が、きちんとした将来像を示さないまま、場当たり的に開発が行われ、歯止めがかかりません。

 それに比べると、今回の件は、地域の人達が、自分達の地域はどうあるべきかを決め、それに沿うように外部に働きかけるというケースであり、他地域の範たり得るものだと思うのです。
 
 つまり、分かり難い言い方ですが、竹富島の島民が一致して反対する、という姿勢に賛同するのです。


 というわけで、状況は厳しいながらも何とか反対の声が実ってほしいと願っています。
 そこで、最後に、当ブログとしての反対意見をまとめました。長文ですが、最後まで読んでいただければ幸いです。

 なお、入れ込みすぎたせいか、大変僭越なのですが、あたかも自分が竹富島の島民であるかのような書きっぷりになっています。
 出過ぎた真似と叱責されそうですが、どうかご容赦ください。




コンドイ浜リゾート計画に反対する

 竹富島は、16世紀に、八重山を統治するための蔵元(行政府)が置かれていた、歴史のある島ですが、農業には適さない土地であったため、先人達は、サバニを漕いで、遠く西表島まで行って稲作を営んでいました。

 その後、貨幣経済が浸透するにつれ、島は衰退し、今から約50年前の本土復帰の頃は、多くの土地が二束三文で売られそうになりました。しかし、当時の志のある島の人達が、「金は一代・土地は末代」のスローガンを掲げて、土地の買い占めに反対し、外部資本の流入を阻止して、島の伝統を守って来たのです。

 そうした流れを受けて、昭和61年3月31日、島民の総意により、竹富島の憲法ともいうべき「竹富島憲章」が、制定されました。


 竹富島憲章は、「保全優先の基本理念」として、売らない、汚さない、乱さない、壊さない、生かす、ことを謳っています。
 生かすとは、伝統的祭事行事を、島民の精神的支柱として、民俗芸能、地場産業を生かし、島の振興を図ることです。

 竹富島の集落には、赤瓦の屋根の伝統建築の家と石積みの塀、砂を撒いただけの未舗装の道路など、古い沖縄の街並みが残されていますが、これらは皆、島民が竹富島憲章の精神に則り、保全に取り組んだ成果です。

 街並みだけではありません。海岸などの自然景観も、伝統的な祭事も守って来ました。

 竹富公民館が主催する祭事・行事は、年間に20もあります。このうち、最大の祭事である種子取祭は、9日間に渡って執り行われるのです。

 島の人口は、僅かに300人余り。もちろん、皆仕事を抱えています。夏の最繁忙期に行われる祭事も少なくありません。

 それでも、島民は、何とかやり繰りしながら、祭事に取り組みます。
 何故そこまで頑張れるのか、それは、島の伝統を承継するという、竹富島憲章の精神文化に誇りを持っているからです。

 その誇りこそが、モチベーションとなっているのです。
 

 島民は、毎朝、家の前の白砂の道を箒で掃きます。落ちている花びらや葉っぱを拾い、箒で砂の上に丁寧に掃け目を付けて行きます。

 もちろん、人が通れば、すぐに足跡や轍ができてしまいますが、翌朝も同じように、掃け目を付けて行きます。何故でしょうか。それが島の伝統だからです。

 もし、島民がこの精神文化性を失ってしまったら、竹富島は、ただ古い家が並ぶだけのテーマパークになってしまいます。


 このような島民の姿勢を評価してもらった結果なのだろうと思います。日本の外れの小さな島に、年間50万人もの観光客が来てくれるようになったのです。



 そんな竹富島に、降って湧いたのが、竹富島コンドイビーチリゾートホテル事業計画です。

 平成26年、唐突に、事業者による事業計画説明会が開催されました。寝耳に水だった島民は、事態を飲み込めず、賛否の意見集約も出来なかったため、「地元からの意見無し」という扱いになり、法的手続きが進みます。
 
 これは大変なことになると気付いた島民は、慌てて反対運動を展開すると共に、平成27年3月の公民館総会において、出席者の8割の賛同を得て、コンドイビーチリゾートホテル事業計画に反対することを正式に決定しました。


 ところで、観光を生業としている竹富島で、何故観光施設であるホテル建設に反対するのか疑問だ、という人もいます。
 島民は、一時的な感情によって反対しているわけではなく、もちろん、為にする反対をしているのでもありません。

 リゾートホテル建設予定地の目の前にあるコンドイビーチは、八重山屈指の美しい海であり、何もないのんびりした静かなビーチです。そこに、何処にでもあるような、おしゃれでインスタ映えのする施設やプールを造ってしまうのはもったいないと感じています。

 独自の水源を持たず、石垣島からの給水に頼る竹富島では、大規模なリゾートホテルの稼働による水不足が強く懸念されます。

 台風銀座の竹富島では、大雨によってリゾートホテルの浄化槽が溢れ出したら、珊瑚の海に大量の汚水が流れ出すのではないかという心配もあります。

 ホタルの光と星明かりしかない、真っ暗で静かな場所に、リゾートホテルの人口灯や喧噪がもたらされたら、生態系へ影響はどうなのかという不安もあります。

 人口僅か300人余りの島に、宿泊客だけでも100人超規模のリゾートホテルが出来たなら、神聖な島の祭事が見世物になってしまうのではないか、何かことがあれば、祭事を執り行うこともままならないのではないかという苛立ちもあります。

 しかし、何より問題視しなければならないことは、島民が多年に渡り築き上げてきた価値観と秩序を一顧だにせず、経済論理を優先する事業者の姿勢です。

 竹富島の美しい自然も街並みも、偶然に残されたものではありません。島民が負担も不便も厭わず、不断の努力によって守って来たものなのです。
 そこに突如割り込んで来て、その果実だけは利用しようとすることは、法律違反ではなくても、重大なマナー違反、社会常識違反ではないでしょうか。

 2019年1月26日の八重山毎日新聞(web版)によれば、事業者の取締役営業部長は、「建築確認が取れたら着工する。反対が出ても進めさせてもらう。(今のところ)住民に改めて説明することは考えていない」と語ったそうです。

 信じられないことです。


 しかしながら、こうしている間にも、法的手続が進行し、工事着工も間近という段階になってしまいました。
 島民は、あらゆる手段を駆使して建設に反対する決意ですが、なかなか有効打が見つかりません。
 
 これをお読みいただいた皆さん、どうか島民と一緒に反対の声を上げてください。竹富島を守る会では、web上で反対の署名活動をやっています。


 竹富島の歴史、竹富島憲章の精神文化の流れの中に、今回のリゾートホテル反対があるということを、一人でも多くの島外の人に理解していただければ、それは、島民の独りよがりではない、受け入れられる価値観なのだという確信に繋がります


 もし、許されるならば、実際に竹富島に足を運んでいただいて、竹富島はどのような島なのか、島民は何をしてきたのか、ご自分の目で確かめていただければと思います。
 

 晴れた夏の日、竹富島はとても暑いです。

 暑いですが、ここは、青空と、コーラルブルーに輝く海と、咲き乱れる花と、眩しく光る白砂の道と、赤瓦の屋根の上から見下すシーサーの中を、ゆったりと時間が流れる、楽園のような島なのです。
 



 竹富島を守る会キャンペーン・竹富島憲章・八重山毎日新聞(web版)・Wikipediaほかを参照しました。

 



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