2022年3月26日土曜日

今改めて振り帰る コロナ禍で沖縄旅行を阻んだのは

 

 物騒な出来事が続きます。
 2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻を開始しました。3月16日深夜に東北地方で大地震、24日には北朝鮮がまたまたミサイルをぶっ放しました。

 そうした中、コロナに関するニュースは、ほぼ泡沫扱いになり、3月の三連休は街中に驚くほど人が溢れ、マンボーは21日をもってひっそりと解除されました。


 毎日毎日、あれだけ大騒ぎしていたのは、一体何だったのかと思いませんか?




 そりゃ、もちろん戦争もミサイルも大ニュースです。きちんと事実を報道してもらわなければ困ります。
 地震にしたって、またしても東北なのは本当にお気の毒だし、その余波で新幹線は止まり、首都圏は停電のピンチでした。


 でも、コロナのニュースが重要ならば、バランス良く報じるべきですよね。 もう視聴者の関心が薄れたから、扱いを縮小したのでしょうか?

 そう言えば、地震の余波で東京電力管内に電力需給ひっ迫警報が出された22日、事細かな節電対策が呼びかけられていました。
 
 「暖房効率を上げるため扉の開閉は出来るだけ少なくする」

 あれっ? 三密を避けるため、こまめな換気を心掛けるんじゃなかったっけ?





 第5派が落ち着いた昨年の10月頃から年末頃まで、久々に沖縄繋がりの知人・友人達との飲み会を満喫しました。

 積もる沖縄話で盛り上がったりしたのですが、中には、この2年間全く沖縄に行けなかったという話も。

 沖縄好きで、毎年複数回行っていた人でも、この2年間で1度も行けなかったとか、1回だけは何とか行った、という人達が少なくなかったようです。


 沖友さん達曰く「周りの空気が・・・。」


 職場の人や、地方ではご近所さんから、「今年も沖縄に行くの?」「まさかこんな時に旅行なんか行かないよね」と直接間接に言われ、「行きます」とはなかなか言いだしにくかったそうです。

 お気楽な自由業の自分は気が付きにくかったのですが、組織人や、地域と密着する生活を送る人にとっては、こうした声は相当プレシャーだったようです。

 職場の上司から、「行くのは自由だが、万一のことがあったら職場の皆に迷惑が掛かることを十分自覚して行け。」と言われた人までも。

 これって、全然自由じゃないですよね。
 
 
 「日本人は空気を読む」と言われますが、本当は旅行に出たいのに、行きにくかった、我慢せざるを得なかった人が少なくなかった原因は、「こんな時は大人しくしていろ」という、無言の圧力を感じたからだと思います。


 もちろん、こんな時世ですから、無理して旅行に出ても心から楽しめないから、しばらく延期しようと考えるのは理解できます。
 わざわざ金と休暇を使って行くわけですから、心底楽しめる状況になってから行けばいいと思います。

 でも、それを人に勧めるとか、あるいは事実上強制するならば、何となく不安だとか、何となく我慢ならない、ではなく、合理的な理由が必要でしょう。

 でも現実には、この「何となく」「でもダメ」という、得体の知れない空気感が、沖縄旅行を阻んでいたようです。


 こんな空気感が醸成されたのは、個人の資質、国民性だけでなく、物事を大所高所から判断せず対症療法に徹した行政、そして何より、国民の不安を煽りに煽ったマスコミの影響が非常に大きかったと思うのです。




 自ら公共放送と名乗る某NHKは、ここ2年間ほぼ毎日、ニュースのトップはコロナ関連でした。しかも、番組中多くの時間がコロナに割かれていました。

 毎日毎日、お馴染みのグラフと共に新たな感染者数の発表がありました。

 ××県の今日の感染者数は何人で、内訳は10代が何人で、何人を超えたのは何日連続で、前週を何人上回ったとか下回ったとか・・・

 プロ野球の個人成績のように、各部門の数字が事細かに分析されましたが、そもそも、自治体の発表する数字には、漏れがあったり二重計上があったり、集計や発表のタイミングも県によって区々なのに。

 専門家が危機感を募らせて警鐘を鳴らし、病院関係者が窮状を訴え、居酒屋の店主が売り上げが落ちたと嘆き、街の声とやらは、大変だ、気を付けよう、なるべく家を出ないようにしよう・・・
 繁華街の人出が、コンマ1%の単位で増えたとか減ったとか。

 しかし、こうして発表された数字は、果たして重要な意味を持つのでしょうか。


 一つの例で考えてみたいと思うのですが、昨年1年間でコロナ関連で約1万5千人の人が亡くなりました。これ自体は大変な数字です。でもこれは、コロナの恐ろしさを如実に示した数字なのでしょうか。


 皆さんはご存じでしたか? 
 自分は、最近まで知らなかったのですが、コロナで死亡と発表されるのは、「コロナ関連死」なのです。

 つまり、仮に死因が老衰や他の病気だったとしても、事前の検査で感染が明らかになっていた場合は「コロナの死亡」として数えられます。
 厚労省は、亡くなった後の検査で陽性が判明した人も、死者に数えるよう推奨しているそうです。

 山梨県では今年の1月、コロナの「死者」が6人確認されたのですが、重症者はずっとゼロが続いていました。
 重症者がいないのに、何故死者が出るのか。それは、他の原因で死亡した人がたまたまコロナにも感染していたからです。

 読売新聞オンライン(2月1日付け)によれば、「現在の死者数の増加は、コロナが原因で亡くなった人が増えていることを必ずしも意味しない」と、厚労省の担当者が、見解を述べたとのこと。


 統計の取り方について、素人がとやかく言う筋合いではないことは承知しています。問題だと思うのは、わざわざ調べなければ、この事情が分からないことです。
 

 某公共放送のニュースでは、「この中には、コロナには感染していたが他の疾患が死亡の原因の人が含まれています」とは教えてくれません。
 しれっと、重傷者は何人、死亡は何人と言うだけ。

 これだけ聞いたら、コロナが原因で亡くなった人だと思うじゃないですか。

 新聞だって、「死亡者数はコロナ関連死であってなんたらかんたら」という注記はないじゃないですか。

 


 いや、決してコロナの危険性を軽んじている訳ではありません。「コロナはただの風邪教」信者でもありませんよ。

 言いたいのは、コロナに対してだけ、過剰反応じゃないのかということです。
 

 例えば、昨年の交通事故の死者数は、2,636人でした(負傷者数は、361,768人)。
 これは減りに減ってやっとここまで落ちてきた数字で、今より人口の少ない昭和45年には、16,765人もの人が交通事故で亡くなっています。

 交通事故死は、事故から24時間以内に死亡した人の数です。交通事故関連死は含みません。

 ちなみに、2020年だと、コロナ関連死と交通事故死の数は大きく変わりません。


 通勤電車で感染するのが怖いからと、マイカー通勤や自転車通勤に換えた人が増えました。マスコミでも、それを賞賛するかのような報道が多かったと思います。

 しかし、電車内でコロナに感染するリスクと、交通事故に遭ったり、自らが原因となって交通事故起こしてしまうリスクと比較して、どちらがよりリスキーかという分析はなされたのでしょうか。

 いや、もちろん本人が、電車に乗るのがストレスだから、それを回避するために、交通事故に細心の注意を払いつつ、マイカー通勤に切り替えるのはありだと思います。

 でもそれを人に勧め、賞賛するならば、合理的根拠が必要です。それなくして、何となくマイカー通勤の方が安心だと勧めるのは、あたかも、何となく心配だから旅行に行くなと言うのと同じだと思うのです。



 昨年の自殺者数は21,007人と、こちらはコロナ関連死よりも多くなっています。しかも、その中に39歳以下の若者が28%もいるのです。

 少なくとも死者に関しては、こちらの方がコロナより大問題だと思うのですが、マスコミの扱いは小さいものです。




 こんなこともありました。2月10日のことです。

 この日、首都圏では大雪の予報でした。
 当日朝、起きて外を見ると雨。ああ良かった、と胸をなで下ろしたのですが、某公共放送の朝7時のニュースでは、「関東地方大雪」のヘッドライン。画面には、雪が降りしきる映像が流れていました。

 しかしよく見るとこれは、東名高速道路御殿場IC近くの画像でした。この辺りの標高は500㍍ほど。しかも、静岡県であり、正確には関東地方でもありません。

 この時点で都心部は雨でした。

 結局この日は、東京23区内のごく一部で2~3㎝の積雪が観測された程度。いくら雪に弱い首都圏でも、これでは何事も起こりません。

 それでもニュースでは、箱根(標高約700㍍)で今期最大の積雪だとか、都内のうっすらと雪が積もった道路でわざと滑ってみせたりとか、これでもかこれでもかと雪の話題を続けます。

 雪国の人が見たら、何でこんなことで大騒ぎするのかと笑ったでしょうね。でも、決して首都圏の人達全てが大騒ぎしていたのではありませんよ。
 マスコミがはしゃいでいただけなのです。


 こんなのを見たら、コロナの報道だって疑心暗鬼になるじゃないですか。

 僅かに積もった雪道でわざと滑ってみせて「危険です」といったようなことは、コロナではやっていなかったでしょうか。

 積雪と違ってコロナは見えないから、たまたまばれなかっただけ、ということはなかったのでしょうか。
 




 3月12日、JRほか全国の鉄道会社でダイヤ改正がありました。今回の改正は、東海道新幹線など一部の例外を除き、ほぼ全国、全時間帯で、不便になるものでした。

 朝夕のラッシュ時も含めた減便、定期列車の臨時化、運行区間の短縮、列車の短編成化などが行われました。理由は「お客様のご利用状況を踏まえて」だそうです。つまり、コロナで客が減ったから。

 一部の鉄道会社では、「ダイヤ改正」というのはさすがに口幅ったいと思ったのか、「ダイヤ変更」という聞き慣れない用語を使っていました。


 そりゃそうでしょうよ。あれだけ、不要不急の外出は控えろ、都道府県を跨ぐな、テレワークしろと叫ばれ続けたのですから。


 そして、次に来るのは、間違いなく、全国各地の赤字ローカル線の廃止です。

 鉄道マニアが、国鉄末期の廃線基準を今の鉄道路線に当てはめてみたら、全国の鉄道網はスッカスカになったらしいのです。

 人口減少とモータリゼーションにより、日本の鉄道は先細りだと言われていました。
 それがコロナのおかげで10年早く来たと言う人もいます。

 もちろん、ローカルバスも同じ運命です。


 こうなると、高齢化の進んだ地方では、自動車の完全自動運転の普及が先か、集落の消滅が先かという、リアルな現実を突きつけられることになります。

 でも、これはコロナによって必然的にもたらされたものでしょうか。過剰反応したため副作用が出た可能性はゼロでしょうか。




 沖縄では、まあ、沖縄に限らず地方ではみなそうですが、現地のマスコミが、毎日午後になると、速報として、今日の感染者は何人と報じます。
 県内では何人、宮古保健所管内では何人、八重山保健所管内では何人などなど。

 感染者数が増えている、減っているという傾向は知る必要のある情報だろうと思いますが、感染者(正確には感染したと報告された者)の数は、一刻も早く知らせなければならない情報でしょうか。


 市長の、「PCR検査を受けてから来るのは観光客の義務だ」とか、「世界最悪の感染状況になったから観光客は来るな」という発表は、ツッコミなしでそのまま伝えるだけ。

 もし、行政のやっていることが誤りならば、それを追究し、正しいということであれば、さらに啓発するのがマスコミの役割ではないのですか。


 一方、緊急事態宣言下でも、堂々と居酒屋でドンチャンやっている奴らがいたのだから、どうしてそこに突撃してレポートしないんですかね。
 そこが一番の急所じゃないですか。皆、そこを知りたいのではないですか。


 まあ、酔っ払いに絡まれると面倒だから、君子危うきに近寄らず。大本営発表をそのまま流しとけば紙面は埋まるし。・・・なんて嫌みです。すんません。笑



 
 初めの頃は、コロナは一過性のものだと思っていました。
 まさかまさか、こんなにしつこく付きまとわれるものだとは、夢にも思っていませんでした。
 こうなると、考えたくはありませんが、この夏も、第7派、第8派に見舞われるかも知れません。

 そのときはまた、感染者数が何人とグラフ化し、危機感を募らせ警鐘を鳴らして、無言のプレッシャーをかけ続けるのでしょうか。

 いい加減、コロナ禍であっても、どうしても避けなければならないこと以外は、普段どおりにやっていこうという風潮にはならないのでしょうか。



 偉そうに色々書いてしまいましたが、マスコミ論を展開し、有為なマスコミ批判をするには、当ブログは明らかに力不足です。


 でも、

 沖縄に行きたい人達がいた

 感染を防ぎながら旅行を楽しむ方法はあった

 実際に、観光客のせいで感染が広がったというデータはなかった

 それなのに、沖縄に行けない人達がいて、観光関連の仕事の人は泣いた


 これって、どう考えても、どう考えても変だと思いませんか。



 過去記事、「沖縄のコロナ感染は本当に観光客が原因だったのか」はこちら
 

 新着記事は、Twitter と Facebookでお知らせしています。

 スマホの方は、「ウェブ バージョンを表示」をタップすると各種機能が使えます。



0 件のコメント:

コメントを投稿