当ブログを始めてから既に10年。何だかあっという間だったような気がするのですが、こと、下地島空港に関しては、長くブログを続けて来たんだなぁ~と感じるのです。
この10年は、下地島空港にとっても激動の期間であり、当ブログでもそれで一喜一憂していました。
今、当然のように定期便が飛んでいる空港を眺めていると、何だか不思議な感じがします。
上の写真は、冒頭の写真と共に、2012年夏に撮ったものです。ちょうどブログを始めた頃です。
今ではあまり見かけない全日空機ですが、当時は、ここで訓練飛行を行っていました。まだ、伊良部大橋は開通していない時代です。
下地島空港は、1979年(昭和54年)に訓練飛行場として開港し、以来、沖縄県が管理していました。
パイロットの訓練のため、一旦滑走路に着陸しそのまま再び加速して離陸する、迫力のタッチ&ゴーを間近で見ることができ、しかも、背景には美しい海が控えるというベストビュー。
伊良部大橋がなかったので、熱心なファンは、フェリーにレンタカーを積んでやって来たものです。
しかし、日本航空が経営難に陥ったことから、下地島空港も風向きが変わります。
当時、空港の維持費用は、訓練飛行で利用する日航と全日空が折半する形で負担していましたが、日航が撤退し、単独では維持費を負担するのは困難だとして、2014年には全日空も撤退します。
その後は、時たまRACと海上保安庁の小型プロペラ機が、細々と訓練飛行を行うだけという寂しい状況に陥り、下地島空港はまさに宝の持ち腐れに。
もうこのまま廃港になるのではないかという噂も流れ始め、一方、普天間基地の代替施設として米軍に提供すべしという政治的主張もあり、どうにも落ち着かない時期でした。
空港管理者である沖縄県は、全日空撤退後、庁内に作業班を設置し、新たな利活用策の公募を始めました。
その後、2016年になって、民間空港としての再生、パイロット養成事業、ドローン操縦者の養成など4事業を選定したと発表したのです。
さらに、2017年、ターミナル施設の新設等による旅客化と訓練飛行の本採用が決定。採択された事業者により工事が始まりました。
当初は、2018年秋の開港予定でしたが、半年ほど遅れて、翌2019年3月30日午前10時過ぎに、ジェットスターの一番機が機が着陸したのです。
その後、スカイマークが本格的に進出し、特に羽田からの直行便が飛ぶことになってから、下地島空港の名は、沖縄好きや航空機マニアだけではなく、一般の観光客にも浸透していきました。
また、国際線として、LCCの香港エクスプレスも定期便が設定されました。
宮古空港にはなかった、航空便と連動したリムジンバス・路線バスも運行されるなど、宮古島のサブ空港として本格稼働を始めます。
実質初年度の2019年度は126,159人の利用がありましたが、2020年度はコロナで転けて、その後、2021年度は221,504人まで伸ばし、昨年5月27日には、利用者数累計50万人を達成したのです。
現在は、ジェットスターが2往復、スカイマークが5往復の運航されていますが、国際線は、香港エクスプレスがコロナで運休のまま、現時点で復活しておらず、スカイマーク頼みから脱却できていません。
2025年度の年間利用者を、57万人とすることが目標でしたが、そのためには、今の倍くらいの便数が必要でしょう。
この間、宮古空港はどんどん運航本数を増やしました。
300人くらい乗れる中型機も含め、1日25~30便が飛んでいて、水をあけられるばかり。
全日空の羽田・宮古の直行便は、10年前は1便もなかったのですが、今年の夏は3便にまで増便され、JAL系と併せて、首都圏からの利便性が格段と向上しています。
また、島人は近くて便利な宮古空港を利用するため、観光客の利用が多い下地島空港は、オフシーズンには苦戦することになってしまいます。
今年の夏、コロナが明けて大量の観光客が宮古島に押し寄せた場合、不足するのは、ホテルの客室数でも、航空機の座席数でもなく、レンタカーとタクシーだと言われています。
せっかく活気の戻った下地島空港ですが、宮古空港との競争も厳しく、この先どうなるのか、必ずしも明るい未来が約束されているわけではなさそうです。
立地は最高なのですから、単なる飛行機の乗り場ではない、付加価値のある魅力的な空港施設にはできないものでしょうか。
例えば、空港ロビー内に展望台があって、17ENDの海を背景に飛び立つ飛行機が見学できたら、そこにカフェでもあってゆったり過ごせたら、そのためだけにでも下地島空港を利用するような気がします。
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