2019年11月4日月曜日

やっぱり下地島空港はこれ タッチ&ゴーが復活




 ビーチをかすめるように飛ぶキャセイパシフィック航空機。

 何処の国の高級リゾート地?なんて思いますが、日本国宮古島市伊良部島の風景です。
 林の向こうは、もちろん下地島空港です。




 なんか、急に賑やかになった感じがする下地島空港。

 ジェットスターなどの定期便の運航と共に、訓練飛行も行われ、あの下地島空港名物、タッチ&ゴーも復活しています。

 17END周辺はもとより、伊良部島の渡口の浜や佐和田の浜でも、低空を飛ぶ飛行機が、美しい海に映えるアクセントとなっています。



 待ちに待ったこのシーン。でも天気が今イチだなぁ。


 

 訓練飛行も、かつてのようにANA・JALだけではなく、色々な航空会社がやっているみたいです。
 機材の方も、小型のプロペラ機から中型ジェット機まで確認できました。





 佐和田の浜から見る滑走路。吹き流しは北風を示しています。そして次の瞬間、ジェットスター機が成田に向けて飛び立ちました。


 
 ANAが訓練飛行から撤退してから5年。もう二度とあの光景を見ることはできないのかと思っていました。

 この間、小型プロペラ機の訓練は細々と行われていたものの、ジェット機とは迫力が違う上、着陸も離陸もせず、空港上空を低空で飛ぶだけということも多かったのです。

 空港の事実上の復活は、何かとバブリーで気が重くなることの多かった宮古島周辺にあって、明るい話題の一つです。

 下地島空港周辺は、車両進入禁止となり少し不便になりましたが、その分団体さんがやって来ないので、落ち着いて「日本一かも」という美しい海と、間近を轟音を立てて飛ぶ飛行機が堪能できます。



 そして、すこし離れた伊良部島渡口の浜ではこれ。もう最高のシーンです。




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2019年11月1日金曜日

首里城焼失の衝撃


 これほどまでにもろく儚いものなのか。
 10月31日未明、首里城があっという間に消えてなくなりました。




 散々報道されましたので、ご存知と思いますが、31日未明に首里城正殿内部から出火し、約11時間燃え続けて、正殿のほか北殿、南殿、書院・鎖之間(さすのま)、黄金御殿、二階殿、奉神門(半焼)など計4836平方㍍の建物を焼き尽くしました。

 記載日現在、詳細には報じられていませんが、城内の文化財、宝物等もかなりのものが焼失してしまったと思われます。




 これも再三報じられているところですが、焼失した建物は、再建されたものです。

 首里城の焼失はこれで5回目。1429年の建造後、1453年、1660年、1709年に焼失し、そのたびに再建されてきました。

 1945年の沖縄戦でまたしても全焼しましたが、1957年から、まず守礼門の復元に着手、1992年に正殿が完成、その後も復元する区画を拡大し、今年1月、やっとすべての工事を終え公開を始めた矢先でした。

 しかも、例年この時期に行われている、首里城祭りの真っ只中での惨事となってしまいました。


 正殿の復元の模様は、NHKの「プロジェクトX 挑戦者たち 炎を見ろ 赤き城の伝説~首里城・執念の親子瓦~」でも、放映されました。

 番組では、首里城のあの「赤」をどう再現するか、その苦難が描かれています。

 出火原因は、記載日現在分かっていませんが、その赤色を再現するために用いられた、沖縄独特の桐油(とうゆ・きりあぶら)が、火の勢いを早めた可能性があると報じられています。

 事実だとすれば、何とも皮肉なことです。





 建物は再建ですが、首里城城趾は、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されています。

 那覇市の、そして沖縄そのもののシンボルであり、郵便切手の図案としても度々採用されてきました。

 また、美ら海水族館と並ぶ沖縄県の代表的な観光地であり、そちらの面でのダメージも甚大だと思われます。

 沖縄は、今でこそ訪日外国人観光客で溢れかえっていますが、かつて、円高が進み、日本人観光客がドンドン海外旅行に流れていたとき、首里城一帯は、沖縄観光の目玉として県経済を支えてきました。

 



 火災発生後、ショックだ、悲しいといった地元住民の声が紹介され続けています。

 沖縄県民の精神文化の象徴などと言われていますが、よそ者の単なる沖縄好きである自分にとっても、首里城焼失は衝撃です。

 首里城のある丘一帯は、カメラを持って歩けば、撮りたいものがいくらでもあります。それは、風水思想を始め、御獄や祈りや演舞や建造物から草木に至るまで、沖縄らしいものがすべてそこにあるからです。


 首里城は、1872年の琉球処分(日本との併合)までの450年間、琉球王府でした。それ以降、正殿が沖縄神社の社殿として扱われるなどしたものの、あまり改修も行われず徐々に荒廃し、沖縄戦で完全に破壊され、跡地にはアメリカの手によって琉球大学が設置されました。

 そんな中で、往事の姿で甦った首里城は、日本やアメリカに翻弄された、琉球の伝統文化の総本山的な場所であって、自分なりに解釈すれば、家の間口は南側にするとか、石敢当を置くとか、庭にハイビスカスを植えるとか、三線を弾いて唄うとか、そういった沖縄らしい文化や風俗の象徴であり、シンボルだったのではないかと思います。


 早くも再建の話が出ていますが、どうせ復元なんだし、国が予算を出してまた造ればいい、とは簡単に切り替えられないのではないでしょうか。





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2019年10月30日水曜日

木陰でまったり系ビーチ 石垣島底地浜2019




 有名な川平湾から、さらに北西部まで足を伸ばすと、石垣島屈指のロングビーチ、底地浜(すくじはま)に到着します。
 

 タイトルの「2019」は、以前にもご紹介した場所を、今年撮った写真で、改めてご覧いただこうという企画です。


 駐車場から、ちょっとした林の中を抜けてビーチに到着します。ゆったりしていて、なかなかエエ感じです。



 ここには監視員もいます。シャワー・トイレもあります。飲料の自販機もあります。ですが皆、林の中にあるのでビーチサイドは落ち着いています。


 沖縄らしいコーラルブルーの美しい海と、ずっと遠くまで続く白砂のビーチ。




 ただし、底地浜海が綺麗なのは、満々と水を湛える満潮時に限られます。

 これは干潮時です。見えているのは、クラゲよけのネットなのですが、これじゃまったく意味ないし。




 ま、そんなこともあり、また、遠浅過ぎてシュノーケリングに適さないためか、ここを訪れる観光客は少数派です。
 底地浜は、観光ガイドには必ず載っているメジャーなビーチなのに、実は穴場という不思議な場所です。

 しかし、ここの特徴は、木陰の多さ。この木陰でまったり感は、他のビーチではなかなか味わえません。



 こんな波打ち際まで木が生えるということは、普段から波が穏やかだということなんでしょう。


 どうですか。暑い夏の日、ここは特等席ですよ。




 人が少ないせいか、こんな奴らもやって来ます。カニか何かの小動物を狙っているのでしょうか。



 
 最近底地浜でよく見かけるようになったのは、日光浴をしている白人系外国人です。

 綺麗な海を目の前に日陰で佇むのは、さぞかし気持ちいいでしょう。ゆっくり、まったりして行ってください。

 それにしても、こんな日本の果ての島の、果てのビーチまでよくご存知で、と感心してしまします。
 ネット社会恐るべし!ですな。





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