2023年7月3日月曜日

20年前の大イベント 鳩間島で大人の臨海学校

  

 
 「十年一昔」というけれど、20年なら大昔? 今から20年前となる2003年7月、未だに忘れられない一大イベントがありました。
 
 ペンションぱいらんど鳩間島合宿。今思い返すとあれば大人の臨海学校でした。


 写っている方の許可を得て写真を載せるべきでしょうが、今となっては全員に許可を取るのは不可能だし、かといってモザイクをかけるのも無粋なので、このまま載させていただきます。20年前ということで、どうかお許しください。拡大し難い小さいサイズにしました。


(これは、当時の案内看板です。)


 もう廃業してしまいましたが、石垣島にあったペンションぱいらんど。

 そこのおじいとおばあ、全国各地の常連客、石垣島の人など総勢約60人が参集して、鳩間島で1泊2日の大合宿が行われたのです。

 参加者で一番遠かった人は、札幌からと聞きました。



 当時の鳩間島は、秘境の島。

 高速船は運航されておらず、西表島の船舟港行きの貨客船が、平日のみ行きだけ立ち寄るのが全てで、日帰りは不可能でした。

 幹事が交渉して、西表島行きの八重山観光フェリーの高速船を臨時停車してもらったのです。

 食材も酒も全部石垣島からの持ち込みでした。当時鳩間島は、来島客も僅かで、物資も島民の生活に必要な分しかありません。



 昼過ぎに全員が鳩間島に上陸。天候にも恵まれました。

 公民館前の広場に集まって、幹事のあいさつなんかがあったような気がしますが、皆そそくさと海へ遊びにいきます。



 
 そして夕方、いよいよ宴の始まりです。公民館前の広場に、総勢60人が、テンション高めで集合します。

 BBQというか、屋台みたいな感じでしたか。プロの料理人もいたし。

 と言ってももう、何を食べて何を飲んだか、誰としゃべったのか、そもそも何をしていたのかも忘れました。

 昔の話だから忘れたのか、飲み過ぎて翌日の朝には既に忘れていたのかも忘れました。



 覚えているのは、おじいの作るヤキソバ。生パインを大胆にカットしてぶち込みます。

 それが大好評。パインは意外にもヤキソバにとても合うのです。パインをこんな食べ方しちゃうのも7月の沖縄ならではの贅沢。


 メンバーの中で一応知り合いと言える人は、多分15人くらいだったかな。顔を見たことがあるかなという人が10人くらいいたような気がしましたが、残りの半分以上は初対面のはず。

 ですが、この状態になると関係ないですよね。宴は続きます。 




 今も多分そうですが、当時鳩間島には、60人も泊まれるだけの宿はなかったので、夜は公民館に雑魚寝です。

 女性の希望者のみ、1人3千円で民宿に相部屋だったかな。


 夜も更けていきます。後は特にスケジュールも決まっていないので、皆、三々五々引き上げていきました・・・(のはずですが)。 


 昔の話だから忘れたのか、飲み過ぎて翌日の朝には既に忘れていたのかも忘れましたが、夜中に、名人についてヤシガニを探しに行ったような気がするのと、何かがあって、誰かを呼びに行って、お礼を言われたのを微かに覚えています。


 自分は、公民館ステージの部分に寝袋を借りて寝ていましたが、暑くて眠れない。途中で広場の草むらに行ってゴロゴロしていたら、そのまま寝てしまったようです。

 今度は寒くて目が覚めます。いくら夏の沖縄でも、夜露は身に凍みる。また公民館に戻って、暑くて眠れねえなぁ~なんて思っていたら、もう朝だから起きろと起こされた。

 一体何をやっていたんだか。笑



 全員ろくに寝ていなかったはずなのに、翌日もまた元気よく遊びます。これは、船を出してもらってバラス島に上陸したときの写真です。




 集合は、土曜日の確か11時に石垣港だったような。
 

 自分は、最初に声を掛けてもらった時は、とても行けそうになかったのですが、話を聞いているうちにどうしても行きたくなり、金曜夜に仕事を終えてから那覇まで飛び、当日朝の便で石垣島に駆けつけました。

 しかし、もっと猛者がいて、1~2日前に急遽参加を決めて、当日羽田発6時台の直行便で飛んで来た人もいました。


 前泊組は、ぱいらんどで盛大な前夜祭をやったそうです。2泊3日で睡眠時間は合わせて数時間という人も多かったと思います。



 楽しい時間はあっという間に終わり、いよいよ帰り。

 まさに後ろ髪を引かれる思いで船に乗り込みます。桟橋では、鳩間島の人が見送ってくれました。
 左側で三線を弾いているのは、鳩間島出身の唄者、加治工勇さんです(のはずです)。

 



 久々に写真を見たら、皆若いなぁ。というか、オレも結構かわいい顔してたじゃん、なんて。笑


 こんな大イベントが出来たのは、何といっても取りまとめてくれた幹事がいたこと、そして、ペンションのおじい・おばあの人柄に惹かれて、大勢の人が集まったからでしょう。


 ペンションぱいらんども、残念ながら廃業となってしまい、これに代わる宿はもう現れません。
 おじい・おばあ、常連さん達は本当に仲がよく、宿がオフシーズンとなる冬場には、東京や伊豆や京都や福岡に集まっていました。



 今、石垣島でも宮古島でも新しいホテルがガンガン出来ていますが、大半は高級リゾートホテルか、食事も付かない、マンションの部屋を貸すだけみたいなホテルです。

 宿の人とお客さんの距離が近く、宿泊客同士が仲良くなれるような民宿・ペンションタイプの宿はもう絶滅危惧種なのかも知れません。


 鳩間島自体も、大きく変わりました。高速船も運航され、日帰りも可能になり、マリンショップもできて、宿も増えて、要するに普通の島になってしまいました。


 本当に楽しかった大人の臨海学校。

 でも、確実に20年分歳を取った今、もし機会があってもこんなパワフルな遊び方はもうできないかも知れません。それだけに思い出はプライスレスです。





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2 件のコメント:

  1. 外兄、みっちゃんだよ〜

    楽しかったね😆

    大切な経験と、思い出と、大切な出会いに、感謝っ 😁

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    返信
    1. コメントありがとうございます。
      幹事長のおかげだよ。感謝。
      写真も無断で使わせてもらいました。
      この件なら、許してもらえそうだと思ったから。

      削除